やっぱり野球は、楽しみながらやらなきゃダメですね ~金村義明氏インタビュー~
親しみやすい人柄と、陽気なキャラクターでおなじみの金村義明さん。旧知の当HP編集長・二宮清純と波乱万丈の野球人生を振り返りながら、魅力溢れるトークを展開する。

二宮清純: 今日はいろいろと伺いたいのですが、初めに今議論となっている高校野球の「7回(イニング)制」変更について、金村さんはどうお考えですか。
金村義明: 僕は反対。確かに、国際大会も7回制が増えているから気持ちは分からないでもありません。だけど、「逆転の報徳」で育った僕の感覚としては、9回制のほうがドラマが生まれやすいし、それが野球の醍醐味やと思う。時間を短縮したいのであれば、MLBのようにピッチクロックを導入すればいい。
二宮: 運営側は、近年の酷暑も懸念しているようです。
金村: 確かに暑いもんね。それこそ「京セラドームでやればいい」と言う人もいるけど、球児にとっては甲子園こそが聖地なので、甲子園をドームに改築するほうが早いんじゃないかなあ。
二宮: 「逆転の報徳」という話が出たので、高校時代の話もお聞きしたい。金村さんは報徳学園高校3年の時、エースとして全国制覇を成し遂げました。初戦から決勝戦まで6試合すべて完投したわけですが、どのくらいの球数を投げたんですか。
金村: 予選の7試合も完投だったから、全部で13試合。僕も球数を知りたくて、新聞社に勤めている友達に「何球投げたか調べてくれへん?」と頼んだけど、「もう分からない」と(苦笑)。
二宮: 1試合120球だとすれば、本戦だけでも700球以上は投げているでしょう。キツくはなかったですか。
金村: そりゃキツかったけど、嫌ではなかった。僕は報徳野球に憧れて、中学から報徳に行きました。家は裕福ではなかったから、母親が清掃の仕事の他に内職もして、死ぬほど働いて報徳に通わせてくれた。しかも、3年の春は1回戦で大府高校(愛知県)の槇原寛己(元巨人)に投げ負けて、周囲からは「お前のせいや。報徳始まって以来の恥や」と散々に言われてね。だから、夏は何としても勝ちたくて、むしろ投げたかった。
二宮: 時代が違うとはいえ、夏の炎天下ですからフラフラだったのでは?
金村: むしろ気持ちよかったですよ。練習のほうがはるかにしんどかった。当時の監督は、「よしと言うまで走れ」と言ったままサッサと帰るような人で、甲子園で優勝した時も、「仕上げのキャッチボールをしろ」と。「仕上げ」って何やねんって(笑)。アイシングもしたことがない。「水は飲むな」という時代だったから、1年生に草むらに放水してもらって、ボールをわざとそこに放って、ほふく前進しながら水をなめていた。こんな話をすると「お前、また(話を)盛ってるやろう」なんて言われそうだけど、全部本当。だから、試合のほうがラクでした。
二宮: そもそも、なぜそこまで報徳に憧れていたのでしょうか。
金村: いまだにそうですが、報徳は阪神圏の中でものすごい人気なんですよ。テレビで高校野球を見ていて、アイボリーのシャツにモスグリーンの文字が映えてね。カッコよかった。僕が住んでいた宝塚の家から川沿いに行くと報徳のグラウンドがあって、毎日自転車で練習を見に行きました。
二宮: 野球の特待生制度は?
金村: 当時はなかったですね。もう父親に泣きながら「(報徳に)行かしてくれ」と土下座して。でも父親は、「中学出たら働け」と。それで僕は、「報徳へ行ったら、プロで阪急に入って、阪急電鉄の線路よりも高い高台に家を建ててやるから」と口癖のように言っていた。ある時は母親の肩をもみながら、「もうおやじと離婚してくれ」なんてことも言いました(笑)。それで最後は父親も「勝手にせえ」と。
二宮: 当時、阪急の練習も見に行ったりしていましたか。
金村: もちろん。報徳の練習を見て、そのまま西宮球場に行っては、ファンブックに選手たちからサインをもらったりしていました。当時はセキュリティーもユルユルだから、選手たちは住所欄も記入してくれる。それで週末になると、福本(豊)さんや大熊(忠義)さん、加藤(秀司)さん、長池(徳士)さんなど有名選手の家を1軒ずつピンポンダッシュしていました(笑)。そのうち、長池さんの家のお手伝いさんとは友達になったりして、めちゃくちゃ楽しかった。
二宮: それほど憧れた阪急でしたが、迎えたドラフトでは近鉄と阪急の競合の末、近鉄が1位のクジを引き当てました。当時の心境は?
金村: 当初、僕は阪急始まって以来の“逆指名”だったんですよ。7年連続でドラフト1位に断られている不人気な球団に、阪急ファンで地元出身の金村が行きたいと言っている。それはそれは阪急も喜んでくれていたんです。
二宮: そこまで相思相愛だったのになぜ?
金村: 当時の近鉄のスカウトが僕を狙っていて、母親に上等なセーターとかお土産を持参しながら言うんですよ。「お母ちゃん、近鉄はな、阪急よりも大きい会社や。甲子園のスターは太田幸司さんや仲根正広さんなど、みんな近鉄やで。せやから、阪急の条件を教えてくれ」って。それで阪急が提示してくれていた条件を言ってしまったんですよ。「前年の原(辰徳)さんと同レベル(8000万円)だ」と。すると僕に、「そんな金額かいな。近鉄に来たらもっと親孝行できるで」って。それで心が動いてしまった。
二宮: 当時のドラフト“あるある”ですね。
金村: 会議で「近鉄・金村義明」とパンチョ(伊東一雄)さんがアナウンスした時の阪急スカウトの鬼のような顔、よう覚えています。その後、長池さんの家に行って土下座して謝りました。長池さんは「近鉄に行って頑張れ」と言ってくれましたけどね。
二宮: 実際の契約金はどうだったんですか。
金村: いざ契約となった時に提示された金額は5500万。「スカウトが何を言ったかは知らんけど、スカウトにそんな権限はない。原君は大卒で君は高卒だ。会社員の初任給だって違うやろ?」と言われ、そんなアホなことあるかと(苦笑)。もう後の祭りでしたけどね。
(詳しいインタビューは7月1日発売の『第三文明』2026年8月号をぜひご覧ください)

<金村義明(かねむら・よしあき)プロフィール>
1963年8月27日、兵庫県宝塚市出身。報徳学園高校時代は、3年時(81年)に春夏の甲子園に連続出場。春の大会は1回戦で敗れたものの、夏の大会はエースとして予選から決勝まで1人で投げ抜き、全国制覇を果たす。同年、ドラフト1位で近鉄(現・オリックス)の指名を受け、翌年に入団。内野手に転向し、5年目の86年からサードのレギュラーに定着し、89年のリーグ優勝に貢献するなど、「いてまえ打線」の一員として活躍する。94年オフにフリーエージェント(FA)で中日へ移籍。97年にはトレードで西武へ移り、主に代打やDHで活躍した。99年に現役引退。通算成績は1262試合、打率2割5分8厘、127本塁打、487打点。現在は野球解説者、タレントとして幅広い分野で活躍中。