「日本代表選手になりたい」
 小学生の頃、オリンピックで日の丸をつけて戦う姿を見て憧れを抱いた。それ以来、ずっと思い描いてきた夢。それがラートという競技との出合いによって確かな目標となり、そして現実のものとなった。しかし、それで満足することはできなかった――。
日本ラート界を牽引する存在となりつつある堀口文。今、彼女の視線の先にあるのは、世界だ。

 堀口が念願の「日本代表」として世界の舞台に立ったのは、2011年のことだ。前年に行なわれた全日本選手権で直転2位、跳躍3位に入った堀口は、約半年後の世界選手権の代表に選出された。そして、それが彼女にとって大きな転機となった。

 ラートは予選で「直転」「斜転」「跳躍」の3種目を演じ、合計点数で総合の順位を決定し、さらに各種目の上位6人が種目別決勝へとコマを進める。初めての世界の舞台で、アクシデントが起こったのは堀口が最も得意とする直転を演じている最中のことだった。日本国内の大会では全3種目、音楽は使用されないが、世界では直転のみ、曲をつけてのパフォーマンスとなる。

 ところが、堀口の演技中、急に曲が止まってしまったのだ。運営側のミスによるものだった。だが、堀口は慌てなかった。どんな判断が下されてもいいように、曲がないまま最後まで通した。突然のアクシデントにも動揺することなく、冷静に対応するあたり、彼女の強心臓ぶりが窺い知ることができる。

 演技終了後、堀口に運営側から2つの提案が出された。
「音楽点での減点なしで、今の演技で採点する」
「今の演技はゼロにし、もう一度やり直す」
 堀口は迷うことなく、「もう一度、やります」と答えた。内心、彼女はラッキーだと思っていた。会心の演技ではなかったからだ。

 他の種目との調整もあり、堀口の直転は最後の方にまわされた。残っていた斜転と跳躍を終えた堀口は、再び直転に挑んだ。すると、堀口が技を決めるたびに、大きな拍手がわき起こった。世界ではまだ無名の彼女にとっては、予想外の出来事だった。
「みんな私が1度目に曲が止まってしまった選手だということがわかっていたようなんです。しかも、その時は既に他の種目が終わっていて、残っているのは私を含めた女子の直転だけだったので、注目して見てもらうことができました」

 周囲から送られる拍手にも乗せられ、堀口は次々と技を決めていった。1回目とは違い、それは会心の演技となったのである。
「みんなに見てもらえて、とても楽しかったです」
 結果は15位で決勝進出とはならなかったが、堀口は自分の力は出し切ったという満足感を得ていた。

 しかし、その満足感は翌日には違う感情へと変わっていった。決勝で日本人選手がメダルを獲得する姿を見ると、彼女の中にある思いが芽生えた。
「世界の舞台でメダリストになりたい」
 堀口の目標が「日本代表になること」から「日本代表として世界で活躍すること」へとランクアップした瞬間だった。

 “負けず嫌い”からのモチベーション

 幼少時代からスポーツが好きだった堀口は、3歳から水泳を始めた。小学校時代にはダンスや器械体操の教室に通い、中学では陸上部、高校ではバドミントン部に所属した。なかでも最も夢中になったのはバドミントンだった。できれば、バドミントンで日本代表を目指したいと考えていた。だが、現実は厳しかった。エリート選手は皆、小学校入学の前後から始めていた。そのため高校からスタートした堀口とは、キャリアの差があまりにも大きく開いていたのだ。強くなればなるほど、堀口は埋められない差を痛感せざるを得なかった。

 そこで堀口は、大学では新しい競技に挑戦しようと考えていた。誰もが大学から始めるような、そんな競技を探していたのだ。彼女が選んだのは、ラクロス部だった。堀口と一緒に入った前原千佳は、当時の彼女についてこう語っている。
「高校までいろいろなスポーツをしてきただけあって、『運動神経いいな』と思いましたね。ラクロスも上手かったですよ。それに自分に厳しいところがあって、とても練習熱心でした。よく自主練習をしていましたね」

 だが、堀口はラクロス部を1年で退部してしまう。授業で知ったラートの虜となってしまったのだ。はじめは空き時間に楽しむ程度にすぎなかった。だが、やればやるほどハマっていった。
「最初は簡単にできると思ったんです。でも、簡単そうに見える技でも、いざやってみると、すごく難しくて……」
 それが逆に、負けず嫌いの堀口に火をつけたのだ。

 3年先輩の高橋靖彦は、ラートを始めたばかりの頃の印象をこう語る。
「すごく身体能力の高い子だなと思いました。走るのも速いし、バネもあるし、『うまくなるだろうな』と思いましたよ。でも、いくら能力があっても、結局は練習するかしないかなんです。でも、彼女はすごく練習熱心でした。想像以上の成長を見せてくれています」

 堀口のラートへの思いがいかに大きいかは、双子と間違えられるほど仲のいい前原の言葉からも容易に想像ができる。
「ラートは文にとって生活の中の1番なんです。空き時間があると、体育館に行って練習していますし、練習のために遊びに行くのをやめたりすることもあります。練習後には、遅くまで海外のトップ選手の映像を観て、技を研究したり……。今は震災の影響で自由に使えた体育館が使えないので、別の体育館を他の部と兼用しているんです。練習時間が限られているので、それに合わせて他のスケジュールを組んでいます」

 なぜ、堀口はそこまで練習に意欲を燃やすことができるのか。モチベーションづくりについて訊くと、こう答えてくれた。
「もちろん、『今日は行きたくないな』という日もあります。でも、そういう気持ちに負けることはほとんどありません。とにかく後悔したくないので、『今日、練習に行かなかったら、次の試合で負けるかもしれない』と思うと、自然と足が体育館に向かうんです。練習も例えば10分完走で、最後は力を抜いて走ろうかなと思っても、『ここで抜いたら負けるかもしれない』と思うと、頑張ることができます」
“超”がつくほどの負けず嫌い。それが彼女のエネルギー源となっているのだ。

 苦手克服への壁

 昨年、堀口は新たな挑戦を試みた。「マルハン・ワールド・チャレンジ」(MWC)への応募だ。もちろん、活動費に充てる支援金を獲得したいという気持ちはあっただろう。だが、彼女にとって最大の理由は競技の普及にあった。その証拠に、8月に行なわれた最終オーディションでは、彼女は厳しい練習環境や資金不足という境遇の話ではなく、持ち時間のほとんど全てをラートという競技の魅力を伝えることに終始したプレゼンテーションを行なったのだ。

「他の競技以上にラートは、まだまだマイナーだと思ったので、とにかくラートのことを知ってもらいたかったんです。前年の第1回で先輩の高橋さんが選ばれて、ラートの魅力を知ってもらえたと思うのですが、私のような小柄な女性でも簡単にできるという、また違う魅力をアピールできるかなと思ったんです」
 最終メンバー7人には選ばれなかったが、プレゼンテーション後の用意されたブースにはラートを見に多くの人が来てくれたという。堀口にとっては、それが何よりも嬉しかった。また、獲得した支援金50万円で、堀口は斜転用のラートを購入した。これまでは先輩から借りながら練習していたのだ。自分用に購入したラートで、堀口は今、今年7月に米国・シカゴで開催される世界選手権に向けた練習に励んでいる。

 2年前、初めて挑んだ世界選手権では目標をランクアップさせたと同時に、堀口は手応えも感じていた。帰国後、彼女は親友の前原にこんなことを語っている。
「世界は本当にすごかった。でも、決して手が届かないわけではないかもしれない」
 特にアクシデントでやり直した直転では大きな自信を得た。彼女が直転を得意種目だと胸を張って言えるようになったのは、それからのことだ。

 では、世界のトップ選手たちと肩を並べるためには今後、何が必要なのか。
「直転に関しては、日本では一番ですし、世界でも十分に戦う力はある」
 先輩の高橋はそう太鼓判を押す。だが、世界の表彰台を狙うには、乗り越えなければならない壁があるという。
「跳躍と斜転に関しては、さらにレベルアップが必要です。もちろん、練習もたくさん積まなければいけません。でも、それ以上に本当の意味で苦手なものを克服するためには、単に練習を繰り返すだけでなく、『絶対にやってやるんだ』という強い気持ちが必要です。そうした精神的な壁を乗り越えることができるかが今後の課題だと思います」

 その一方で4年間、後輩を見てきた高橋は成長も感じている。
「以前は、練習も先輩からアドバイスを受けてという感じだったのですが、今では自分自身で練習すべき部分を見つけることができるようになりましたね。世界を目指すには、自分で自分をコントロールすることが必要ですから、その点では成長する下地はできていると思います」

 堀口もまた、決して世界を甘くは見ていない。表彰台への道が険しいことはわかっている。「本当の勝負は2015年」という彼女にとって、今回の世界選手権は非常に重要な大会となることは想像に難くない。だからこそ、現実的な目標を設定し、着実にステップアップしていこうと考えている。
「まずは予選を突破して、2年前にはかなわなかった決勝に進みたいと思います。決勝では、もうやるだけです。自分ができる一番いい演技をしたいですね」
 世界の舞台で自らの実力を発揮できるかどうか。メダルへの道は、そこから始まる。

(次回はハンググライダー・鈴木由路選手と二宮清純の対談をお届けします。4月3日更新予定です)


堀口文(ほりぐち・あや)
1990年2月26日、秋田県生まれ。3歳から水泳を始め、ダンス、器械体操を経験。中学校では陸上部、高校ではバドミントン部に所属した。2009年、筑波大学体育専門学郡に進学し、ラクロス部に入部。途中から体操部と兼部していたが、翌年3月にはラクロス部を退部し、体操部で本格的にラートを始めた。10年から全日本学生ラート競技選手権では史上初の3連覇。昨年の同大会では総合、直転、跳躍、斜転、団体の5冠を達成した。10年の全日本ラート競技選手権大会では直転2位、跳躍3位となり、翌年の世界選手権日本代表に選出された。11年全日本選手権では総合2位(直転と跳躍で優勝)で、翌年の世界ラートチームカップの直転代表に選出され、スイス大会銅メダル、ドイツ大会銀メダルに貢献した。昨年の全日本選手権では総合2位(直転、跳躍ともに優勝。斜転6位)となり、今年7月に行なわれる世界選手権に出場する。
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『第2回マルハンワールドチャレンジャーズ』公開オーディションを経て、7名のWorld Challengers決定!
>>オーディション(2012年8月28日、ウェスティンホテル東京)のレポートはこちら


※このコーナーは、2011年より開催されている、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。

(斎藤寿子)
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