神奈川県川崎市にある法政大学体育会弓道部の道場には、優勝または1位以外の賞状やトロフィーは飾られていない。全国学生弓道選抜大会(選抜)と全日本学生弓道選手権大会(全日本)を各9度制し、全日本学生弓道王座決定戦(王座)では12度優勝――。そんな“常勝”法大弓道部の主将が、川田悠平だ。
 3年時の昨年は団体メンバーとして選抜、全日本の2冠に貢献した。にもかかわらず、「個人的にはふがいない1年に終わったと感じています」と振り返る川田の表情はさえなかった。
 実は、川田は王座の準決勝まで出場しながら決勝ではメンバーから外されたのだ。王座は毎年11月下旬に行われる。1年の集大成ともいえる大会の大一番を欠場し、法大が敗れる様を川田は見ていることしかできなかった。

 突如振りかかったアクシデント

 なぜ、川田は決勝のメンバーから外れたのか。王座では準決勝までは1試合で各選手4射をひと区切りとして、3回の競射計12射を放つ(決勝は20射)。法大は1回戦をシードされ、2回戦から登場。川田は2回戦を12射9中(※的中の意)と及第点の出来を見せていた。ところが、準決勝の最初の4射をすべて外してしまったのだ。2回目からは他の選手と交代し、その選手が高成績を記録したことから、監督の藤井俊雄は川田を決勝のメンバーから外すことを決断した。

「あそこが限界でした。気持ちよりも体のほうがもたなかったというのかな」
 藤井は当時の川田の様子をこう振り返った。実は、川田が調子を崩した背景には、彼に振りかかったアクシデントが起因していた。

 それは3カ月前に遡る。全日本(8月)の5日前、川田にある異変が起きていた。「朝起きると、顔面の右半面が動かなくなっていた」のである。病院で診察を受けた結果は、原因不明の「顔面神経麻痺」だった。藤井は「いちばんひどい時は顔の右半面がピクリとも動かなかった。もうひきつったような顔をしていましたね」と当時の川田の状態を明かした。

 周囲が心配する中、川田には全日本を欠場するという選択肢はなかった。初日(8月16日)の予選に出るメンバーを主催者に提出してしまっていたため、交代することができなかったのだ。
「もう“やるしかない”と思いましたね」
 川田はこう語ったが、藤井は彼のまた別の気持ちも感じとっていた。
「(レギュラーの)ポストを渡したくないという強い気持ちがあったのでしょう」

 法大弓道部は全国の有望な弓士たちが集うエリート集団だ。団体の出場メンバー(全日本は5人)に入ることは決して簡単なことではない。法大弓道部の選手には、どんな苦境にも崩れない射技と折れない精神的なタフさが求められる。そんな誇り高き団体戦のメンバーは指導陣(監督、助監督、コーチ)が練習や練習試合の的中、射型などを総体的に判断して決定する。顔面麻痺を発症した後も川田をメンバーに選び続けた理由について、藤井は「結果的に川田が頑張って、メンバーに入れる要素をずっと持ち続けたから」と明かした。

 幸い、弓を引くための致命的な支障はなかった。ただ、的を見る右目が閉じられないため、目が乾いたり、涙がたまったりすることは避けられなかった。そのため、介添え(※弓を射る射手を補佐する人物)に預けておいた目薬を競技直前に点して、なんとか1試合4本を打ち切るかたちで大会に臨んだ。

 全日本の結果は予選から決勝までの5試合で計20射を放ち、15中。自身も「ある程度の結果を出せた」と納得の成績で、法大の4年ぶり9度目の優勝に貢献した。これで11月の王座への出場権も得た。「なんとか、大丈夫」――。川田にとっても、チームにとってもある種の安心を得られた大会となった。ところが、である。川田は全日本後に専門医の診察を受けた結果、手術の可能性を示唆された。9月の東京都リーグ戦、11月の王座に向けた夏の合宿の直前だった。

 主将として臨むラストシーズン

「手術をするのだから、合宿でどんなに頑張っても、リーグ戦には出られないんだ」
 本来なら後半戦に向けて意気込むはずが、川田は気持ちを乗せられないまま合宿を終えた。結局、合宿後に手術を回避して薬物治療を継続していくことが決まったものの、一度止めたエンジンを再び動かすことは容易ではなかった。

 9月に始まったリーグ戦は、4試合のうち2試合の出場に留まった。そして、迎えた王座では決勝メンバーから落選したのだ。
「やはり、自分でうまく調整することができなかったことが(不調の)最大の要因だと思っています」
川田はこう考えているからこそ、昨シーズンを「ふがいない1年」と評したのだ。一方で、藤井は彼の精神的な強さを感じていた。
「(王座の決勝メンバーから外した時は)“ご苦労さん”という気持ちでしたよ。顔面麻痺を発症し、レギュラーから外れる可能性もありました。ただ、川田自身が頑張って、王座の準決勝まで持ちこたえた。大したものだと思います」
 
 王座終了後の12月1日、川田は第56代法大弓道部男子主将に就任した。川田ら当時3年生の部員ひとりひとりが「誰が主将になるべきか」を記入した用紙を藤井に提出した。そして4年生と指導陣が話し合った結果、川田が選ばれた。藤井は「人間性も含めたすべてを見た結果」と主将抜擢の理由を明かした。

 当の本人は高校時代に主将を務めていたこともあり、始めは「ああ、キャプテンかぁ」と特に感じたことはなかったという。だが、就任して約4カ月経った現在は伝統ある主将の重圧を少なからず感じている。というのも、歴代の主将は平均して9割以上という驚異的な的中率を誇ってきたのだ。
「自分は大学に入ってから、1年を通して結果を出したことがないんです。つまり、安定感がない。その部分は少しプレッシャーを感じています(苦笑)」

 学生最後のシーズンの目標は“安定感”。“常勝”法大弓道部の弓士として過ごしてきた時間のすべてを、その射に込め続ける。

川田悠平(かわた・ゆうへい)プロフィール>
1991年、8月10日、高知県生まれ。岡豊高校進学を機に弓道を始める。高校時代はインターハイに2度、高校選抜に1度出場。09年の新潟国体では遠的で8位、近的では4位入賞を果たした。法大入学後は1年時の後期から団体戦のメンバーに選出。2年時には出場した選抜で同校の2連覇に貢献。昨年は団体戦のレギュラーとして主要大会に出場。選抜3連覇、4年ぶり9度目の全日本制覇を成し遂げた。同年12月1日、法大体育会弓道部の第56代主将に就任。今年は史上初の主要大会5冠を目指す。



(鈴木友多)
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