死者5人、逮捕者2千数百人。五輪開催予定都市から全土へと広がったデモは、鎮静化するまでに1週間を要した。
 これは2020年夏季オリンピック・パラリンピック招致活動を行っているイスタンブールのことではない。12年夏季大会を成功させたロンドンのことだ。
 黒人男性が警察官に射殺されたことをきっかけに発生したこのデモ、もし11年8月ではなく開催都市決定の05年7月より前に起きていたら、果たしてロンドンは接戦を制することができただろうか。
 というのも、12年大会の本命はパリで、IOCの評価委員たちも花の都の開催計画に、最も高い評価を与えていたからだ。ところがパリは4回に及ぶ投票で1度もトップに立てず、決選投票でもロンドンに競り負けた。

 ロンドン54票に対し、パリ50票。その差、わずか4票。投票数で最下位の都市を除外しながら進められるサバイバルマッチでは、小さなスキャンダルが命取りとなる。ロンドン北部トッテナムでの黒人男性射殺事件が投票前に発生していたら、シンガポールでの最終決戦の勝者はパリになっていたはずである。

 さて、話は飛んでイスタンブールである。5月31日にイスタンブールで発生した抗議行動は瞬く間に死者3人、負傷者約4千人、逮捕者約3千3百人を数える反政府デモに発展した。

 専門家によると、デモはイスラム色を強めようとするエルドアン首相の政策に反発する世俗派を中心に極左や極右、サッカークラブのサポーターたちまで入り乱れ、収拾がつかなくなっている模様。まだ7年先の話とはいえ、本当にこれで五輪が開催できるのか。当初、イスタンブールの最大の不安はトルコの南に位置するシリアの内戦リスク、つまり火の粉の国境越えだったわけだが、国内で催涙ガスが噴射されているようでは世話はない。

 五輪招致に限ってみれば、トルコ政府の最大の失敗はエルドアン首相の次の発言だろう。「国内外の過激分子が背後で操っている」。これが事実なら、セキュリティーは困難を伴う。どこのNOC(各国オリンピック委員会)がそんな危険な地に選手団を送り込みたいと思うだろうか。敵失を喜んでいるわけではない。心底、憂慮している。

<この原稿は13年6月12日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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