変わるか、変えるか――ブラジル戦のあと、そう書いた。このままでは限界、とも書いた。だが、書かなかったこともあって、それは現時点でのわたしが、ザッケローニ監督が変われること、選手が変われることを信じている、ということである。
 変わろうとする意志が、このままではいけないという危機感が本物であれば。

 09年夏のインタビューで、本田は自分の「持ってなさ」を嘆いていた。大事な試合での大事なゴールが自分にはない、とオランダの2部でプレーする男は漏らしていた。

 それからの1年間で何があったのかはわからない。けれど、1年後の彼は自ら「持ってる」と公言する男になり、4年後のいま、多くの日本人は「持ってる男」と聞けばイチローと同じぐらい本田の名前を思い浮かべるようになった。

 本田を変えたのは、彼自身である。彼は望み、そこに近づいた。

 他の選手にできないはずがない。

 日本代表が強くなったのは、海外でプレーする日本人選手が増えたからでもあるが、この先求められるのは、現地でもスターとして、中心選手として認知される日本人選手である。一昔前を思えば、インテルやマンチェスターUでプレーする日本人がいること自体が驚きだが、W杯で勝とうとするならば、インテルでリーダーシップを取る長友、マンUで攻撃の核となる香川が必要なのだ。そうなろうとする彼らの気持ちが必要なのだ。

 本田が、モスクワでそうしてきたように。

 ザッケローニ監督についても然りである。

 彼がこれまでやってきたことは、歴代の日本代表監督の中でも特筆すべきレベルにある。過去、これほどまでに世界を近く感じさせてくれたチームはなかった。

 初めて日本に来たとき、彼は日本の文化、習慣、スタイルに大いに戸惑ったはずである。だが、彼はそこでイタリア式を強要するのではなく、見事に両者を融合させてみせた。

 日本に来てからの彼は、ミランで指揮をとっていたときの彼とは確実に何かが変わっていたはずである。

 メンバーを固定し、熟成を進めることでザック監督のチームはW杯予選を勝ち上がった。だが、学生が希望する就職先として公務員が上位にランクされるこの国では、イタリアやブラジルよりも早く倦怠期、停滞期が訪れるらしいこともわかってきた。

 求められるのは、「いま」とは違うザックである。

 変わるか、変えるか――ブラジル戦のあと、そう書いたが、過去の監督があんな試合をやっていれば、わたしは間違いなく「変えろ」と書いていただろう。不満はある。現状のままでは間違いなくダメだという思いもある。それでも、わたしの中にはまだ、ザック監督に期待する気持ちが強く残っている。

<この原稿は13年6月20日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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