2012年ロンドン五輪、日本卓球界に新たな歴史が刻まれた。団体女子で日本チームが決勝進出を果たし、銀メダルに輝いたのだ。男女合わせて史上初のメダル獲得が決定した準決勝のシンガポール戦、最後のダブルスでのマッチポイントで相手サーブのリターンエースを決めたのは、チーム最年少の石川佳純だった。石川は個人シングルスでもベスト4に進出するという快挙を成し遂げた。今回はその石川をはじめ、国内のみならず世界の卓球界を陰で支えている企業のひとつ、日本卓球(ニッタク)の用具開発に迫る。
(写真:2008年、ニッタクと契約した石川選手。当時から“天才卓球少女”として将来を嘱望されていた)
 ニッタクが石川とパートナー契約を結んだのは、08年2月。当時、彼女は1カ月後に中学校卒業を控えた15歳だった。彼女の名は既に世間に知れ渡っていた。07年1月、彼女は史上最年少(13歳11カ月)で全日本卓球選手権大会ベスト4進出を果たすと、同年5月には史上最年少で世界選手権団体メンバーに選出。08年1月の全日本選手権でも前年に続いてベスト4に入る活躍で、“天才卓球少女”として注目されていたのだ。

「将来の夢はオリンピックに出ることです」
 全日本選手権で放映するCM撮影時に、あどけなさの残る笑顔でそう答える石川を、企画開発部の松井潤一課長は「彼女の夢を実現できる用具が開発できたら」という思いで見ていたという。その4年後、石川は見事に夢を叶えた。出場どころか、銀メダル獲得まで達成してしまったのである。松井をはじめ、4年間、石川の用具開発や用具選定に奔走した社員は皆、表彰台の上で銀メダルを下げ、観客に笑顔で応える彼女の姿を感慨深く見つめていたに違いない。

 変わりゆく世界の主流

 卓球は競技としてのみならず、誰でも簡単に楽しむことができるレクリエーションとしても日本人には馴染みの深いスポーツのひとつだ。その卓球で使用される用具のひとつ、ラケットには大きく分けて3種類ある。「シェークハンドラケット」「日本式ペンラケット」「中国式ペンラケット」だ。ここでは日本で多く使用されている「シェークハンドラケット」と「日本式ペンラケット」を説明したい。

(写真:ほとんどのトップ選手が使用している「シェークハンドラケット」)
 現在、世界の卓球界で主流となっているのがグリップを握手するように握る「シェークハンドラケット」(写真)だ。ラケットの両面にラバーを貼り、フォアハンドとバックハンドとでは使用する面が異なる。一方、これまで古くから日本で一般的に用いられてきたのが、ペンを持つようにグリップを握る「日本式ペンラケット」(写真)だ。これは片面だけにラバーを貼り、同じ面でフォアとバックを打つ。

 各ラケットの特徴を松井課長は次のように説明してくれた。
「日本式ペンラケットは、フォアハンドを武器とする選手に向いています。手首を使いやすいので、台上のボールを処理しやすいという利点もあります。ただ、バックは手首を外側にひねるようにして面を出して打つようになるので、打ち返すというよりは押し返す感じになってブロックはやり易いのですが、攻撃時の威力は落ちる。だからトップレベルではフットワークをいかしてフォアに回り込むというスタイルが多いですね。でも、どんどんスピードが増している現代卓球では、いかに前で素早く対応し、攻撃できるかということが重要になってきています。ですから、バックでも強く打ち返せるように両面を使えるシェークハンドを使う選手が現在は日本でも世界でも非常に多いんです」
(写真:国内で馴染みの深い「日本式ペンラケット」は強烈なフォアショットを繰り出す)

 また、ブレード部分(打球面)の板の構成や大きさ、ラバーの種類は、プレースタイルやレベルなどによってさまざまだ。日本式ペンは9ミリの厚みの1枚の木板(桧単板)を好む選手が多く、一方のシェークハンドは複数の板(合板)を使用する選手がほとんどだ。合板の枚数は3、5、7、9枚等があり、一般的に枚数が多くなるほど打球の弾みが良くなり、威力あるボールを打つことができる。だが、その分ラケットの重量も増え、パワーや高い技術が必要とされる。基本的には最も扱いやすいのは5枚合板で、競技者レベルとなると、現在世界トップ選手の傾向としては男子は5枚合板にカーボンなどの特殊素材を挟んだもの、女子は7枚合板を使用している選手の割合が増えている。

 石川もまた、ロンドン五輪前にそれまで使用していた5枚合板から7枚合板をはじめ様々なラケットを試してきた。世界のトップ選手たちと対戦するなかで、求め始めたのが威力だったからだ。それだけ彼女の技術レベルやパワーが上がったということでもある。

 共同開発の背景にある“貢献”

 しかし、威力を重視したラケットだけが世界に通用するかというと、決してそうではない。それを証明したのが、石川本人である。09年、ニッタクは一般者向けのラケットを商品開発した。それは石川の「これから卓球を始める子どもたちにも、本格的なラケットを使ってほしい」という要望により、彼女との初めての共同開発によって作られた「佳純ベーシック」である。初心者にも使いやすい5枚合板をベースとし、コントロール性能の高い「佳純ベーシック」は、攻守どちらにも対応したバランスのいい仕上がりとなっている。グリップ部分のマークやラインに石川の好きなオレンジを配色するなど、細かな部分まで石川のこだわりが詰まっている。

 出来上がった「佳純ベーシック」を手にした石川は、非常に満足していたという。そして数日後、こう言った。
「私、このラケットを使いますよ」
 これには開発者たちも驚きと共に喜んだ。「佳純ベーシック」は共同開発ではあったがその時点では一般者向けのラケットを想定していたからだ。それを世界を相手に戦うアスリートの石川が、試合で使用すると言うのだ。

 実際、石川は「佳純ベーシック」で試合に臨んだ。そして、その年の5月に横浜で行なわれた世界選手権で、石川はベスト8進出を果たしたのである。彼女の左手には、「佳純ベーシック」がしっかりと握られていた。その時のことを、松井課長はこう振り返った。
「私も会場で見ていたのですが、本当に嬉しかったです。開発担当した『佳純ベーシック』で世界のベスト8に入ったのですから、開発者冥利に尽きるという感じでした。彼女自ら『佳純ベーシック』が世界でも通用するほどのラケットだ、ということを証明してくれたんです」
(写真:09年、「佳純ベーシック」で石川選手が世界の8強入りした時の思い出を語る松井課長)

「卓球界に貢献する」――ニッタクの企業理念だ。石川もまた、一般者向けのラケット開発を要望した背景には自身の競技のみならず、普及への強い思いがあったのだろう。そして本気でこだわり抜いたからこそ、自ら愛用するにまで至ったのではないか。つまり、「佳純ベーシック」にはニッタクと石川の卓球への情熱が詰まっている。

(後編につづく)

(文・写真/斎藤寿子)
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