ザッケローニ監督によれば、この試合のテーマは「融合」だったのだという。新しく加わった戦力は、従来の選手たちと混じり合うことができるのか。何らかの化学反応を引き起こすことができるのか――。
 テーマを追求するためにこの試合があったのだとするならば、及第点をつけていい。

 柿谷の動き出しは、周囲の選手の新たな一面を引き出しつつあった。本田は、早くも柿谷との間に関係性を築きつつあった。それに比べ、豊田は気の毒なぐらい孤独にも見えたが、ともあれ、新しい顔ぶれが加わったことで戦力がダウンする、ということはなかった。新しいことに挑戦しよう、という気概も少しずつではあるが見え始めた。攻撃に関して、今後のオプションが増えたのは間違いない。

 だが、あまりにも守備はお粗末だった。

 何より、猛烈に腹立たしかったのは、ホームで4失点という惨状を呈しておきながら、選手たちから煮えたぎるような怒り、屈辱が伝わってこなかったことである。

 なるほど、ウルグアイは強豪かもしれない。だが、南米予選での彼らは、目下予選突破ラインを下回る5位であり、かつ、今回の予選のアウェーゲームでは6試合で3得点しかあげていないのだ。

 そんなチームに、日本はホームで4失点を喫してしまった。コンフェデ杯前にブチあげた大きな目標がいまだブレずに胸の内にあるのであれば、試合後、なぜ多くの選手たちはああも淡々としていられたのだろう。

 個人の主張をぶつけあう欧米型のやり方に習え、というつもりはない。日本には日本のやり方がある。それでも、この日の日本の守備陣は、あまりにもお粗末だった。組織うんぬんではなく、個としてやってはいけないプレーをし、やらなければいけないプレーをしない選手が多すぎた。

 ミスを犯すたび、彼らは「ごめん」と謝っているように見えた。だが、そういうぬるま湯を許してきたからこそ、同じ選手が同じ失敗を繰り返し続けたのではなかったか。

 もう謝罪はいらない。謝罪することで許される空気を取り払わない限り、状況が好転することもあるまい。攻撃陣だけでなく、守備陣にも新たな顔ぶれが必要である。 
 この試合は、あの天災以降初めて東北で行われた日本代表の試合だった。そのことの重みを、果たしてどれだけの選手が理解していたのだろう。この試合の重みを感じなかった選手たちは、それでもブラジルに行けば期待される重みを力に変えることができるのだろうか。

<この原稿は13年8月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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