ここまで後期は19勝6敗5分で首位を走っています。前期は5月下旬まで首位をキープしながら、残り1カ月で香川にひっくり返された悔しさをチーム全体で共有しているのが、いい結果に出ているのでしょう。シーズン前、僕は選手たちと「最後の最後まで諦めず、全力プレーをすること」を約束しました。8月2日には5点差、3日は4点差を終盤に逆転するなど、この約束を実践して戦えていることはうれしいですね。
 勝ち星を伸ばせている最大の要因は福岡一成入野貴大からクローザーのオナシス・シレットとつなぐ勝利の方程式がしっかりしていることでしょう。特に入野は34試合に登板して防御率0.95と、ほぼ完璧なピッチングをみせています。今季、愛媛から移籍し、「何が何でもNPBへ」という強い気持ちが好成績につながっていることは間違いありません。

 彼は愛媛にいた頃から、ボールの勢い、キレはNPBクラスだとみていました。しかし、上へ行くための課題はコントロール。徳島に来てから下半身主導で投げられるよう、フォームを微調整しました。本人も広島から派遣された小松剛らにアドバイスをもらいながら、貪欲に取り組み、最近はコントロールがまとまってきました。下半身を使ってボールを放るため、ストレートも初速と終速の差がなくなってきているように感じます。優勝とNPB行きの両方を勝ちとるべく、残り10試合、彼にはフル回転してもらおうと考えています。

 福岡はトライアウトから目立ち、ストレートのスピードも良いものを持っていました。最初はなかなか起用法が固まらなかったものの、大事な場面で好内容をみせ、勝ちパターンや接戦での中継ぎを任せることになりました。ただ、無我夢中で投げていた時期を過ぎ、最近はやや大事に行き過ぎている面も見受けられます。

「勝たなくてはいけない」とのプレッシャーから腕の振りが悪くなり、持ち味であるボールの勢いが失われています。これはある程度、結果を出したピッチャーが誰もが乗り越えなくてはいけないハードルです。自分の実力を発揮した上で成績を残す。これができるかどうかが、野球が仕事になるか、ならないかの分かれ道です。

「まず、自分のボールを信じて投げろ」
 福岡には、そうアドバイスをしました。結果だけを求めていては、絶対にいいピッチングはできません。優勝争いが佳境を迎える中、福岡にはぜひ腕をしっかり振って投げてほしいと願っています。

 現在、2位の愛媛も1.5差で追っており、なかなか負けてくれません。残り10試合、すべて勝つつもりで臨まないと、前期の二の舞になるでしょう。特に直接対決の3試合は是が非でも勝ちたいところです。愛媛は2ケタ勝利をあげている池ノ内亮介(広島から派遣)、小林憲幸(元ロッテ)に、勝ちパターンで出てくる西川雅人(元オリックス)、金森敬之(元北海道日本ハム)、岩崎哲也(元埼玉西武)と元NPBのピッチャーがたくさんいます。簡単に得点は望めませんから、ロースコアに持ち込むことが勝利への第一条件です。

 前期は首位を走っている時に、言葉に出さずとも「残りは5割でいい」と僕自身がヘンな計算をしてしまったことが悪かったと反省しています。だから、後期は残り試合、「優勝」「勝利」を前面に押し出して戦う考えです。
「敢えて優勝を意識し、それを重圧ではなく、皆で楽しみながらゴールを目指そう」
 そんな話を選手たちにもミーティングでしました。

 僕はNPBで1998年の横浜、01年のヤクルトと2度、優勝を味わいました。特に01年のヤクルトは終盤、巨人に追い上げを許し、非常に苦しいシーズンとなったことを覚えています。僕自身も巨人との直接対決で打ち込まれ、相手を勢いづけてしまいました。

 しかし、2度の優勝経験で感じたのは、プロであっても最後は気持ちがモノを言うことです。ヤクルトの時も巨人に追いつめられてから、もう一度、チームが「勝ちたい」の一心でひとつにまとまりました。だからこそ、今回も勝つことだけを考えて、一戦必勝で戦います。

 レギュラーシーズンは残り2週間。開幕から70試合を経て、自分で言うのも何ですが、いいチームになってきたと感じます。このチームでレギュラーシーズンだけでなく、リーグチャンピオンシップ、独立リーググランドチャンピオンシップまで戦いたいと心から思っています。

 2年前、徳島はBCリーグ王者の石川に3タテを喫し、日本一の座を逃しました。昨年も香川が新潟に敗れ、アイランドリーグは2年連続でBCリーグ勢に苦杯をなめています。BCリーグをストップし、日本一を奪回するのは徳島しかいません。最後の最後に全員で笑えることだけを信じ、目標に向かって走り抜きます。徳島の皆さん、応援よろしくお願いします。


島田直也(しまだ・なおや)プロフィール>:徳島インディゴソックス監督
1970年3月17日、千葉県出身。常総学院時代には甲子園に春夏連続出場を果たし、夏は準優勝に輝いた。1988年、ドラフト外で日本ハムに入団。92年に大洋に移籍し、プロ初勝利を挙げる。94年には50試合に登板してチーム最多の9勝をあげると、翌年には初の2ケタ勝利をマーク。97年には最優秀中継ぎ投手を受賞し、98年は横浜の38年ぶりの日本一に貢献した。01年にはヤクルトに移籍し、2度目の日本一を経験。03年に近鉄に移籍し、その年限りで現役を引退した。日本ハムの打撃投手を経て、07年よりBCリーグ・信濃の投手コーチに。11年から徳島の投手コーチを経て、12年より監督に就任。
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