すごいものを見た。時は8月31日、場所は阪神甲子園球場。この日、広島対阪神戦が行なわれていたのだが、折からの悪天候で、1度中断した。いったんは再開できたのだが、6回にさしかかって、甲子園は猛烈な豪雨に襲われた。いわゆるゲリラ豪雨といっていいと思うが、あっという間に内野はプールのようになった。
 6回表終了時点で再び中断。8時13分。風も強く、どこかの湖を見ているかのように、内野のプールが波立っている。雨は一向におさまる気配を見せない。この試合は、阪神先発・藤浪晋太郎の高卒ルーキーとしての2ケタ勝利がかかっていた。ここまで2−1と阪神リード。コールドゲームで藤浪は10勝目だな……おそらく誰もがそう思っていたはずである。いくら甲子園の水はけがいいと言っても、プールのようになったグラウンドで試合再開できるはずがない。

 ところが、審判はなかなか出てこない。コールドゲームを宣告しないのである。20分くらい経っただろうか。気が付いたら雨は小止みになっている。えー? やるの? でも雨が止んでも、プール状態じゃ野球はできないだろう。

 と思っていたら、グラウンドキーピングを担当する、かの阪神園芸の方々がグラウンドに現れ、作業を開始した。雨は止んだ。作業の詳細までは書かない。とにかく、大きな水たまりに吸水マットのようなものを入れ、ダイヤモンドに沿って、砂を入れていく。9時15分頃、両軍の選手がグラウンドに現れ、思い思いにストレッチを開始。9時21分、試合再開。68分の中断だった。

 広島の投手は横山竜士に代わり、最初の打者は西岡剛。初球を三塁線にセフティバントを試みる。気持ちはわかる。どのくらいボールが転がるのか、濡れるのか、そりゃ確認したいだろう。入れた白い砂のあたりを転がったボールは、しかし、特にドロドロになったりはしていない。いいものを見たのは、次の回である。

 2つの盗塁が示したもの

 7回表。阪神の投手は売り出し中の松田遼馬。簡単に2死を取ってから、天谷宗一郎を四球で歩かせてしまう。ここからである。2球目、天谷スタート。えっ? 走れるの? 天谷は松田のモーションを完全に盗んでおり、二塁に鋭いスライディング。楽々セーフ。もちろん、スライディングの時、二塁ベース付近に入れた砂は飛び散った。しかし、さして天谷のユニフォームがドロドロになるわけではない。主として、ベースランニングをするラインに沿って砂が入っている。つまり黒地の内野に白地のダイヤモンド浮かんで見える。甲子園は一種、幻想的な空間と化している。

 これは何なのだろう。もちろん、2死から盗塁して一打同点の状況をつくりたいという作戦意図だと、常識的な説明は出来る。しかし、おそらくそうではないだろう。十数分前までぬかるみだった場所に現出した、砂で固定されたグラウンド。そこで天谷は、盗塁そのものを表現するという、球場の見えざる意志のようなものに導かれて走ったのだ。だから、いつもの彼よりも速く、完璧な盗塁になった。「幻想的」とあえて言ったのは、そういう事情をさしている。

 さらに7回裏、広島の投手は今村猛。こちらも簡単に2死を取ってから、俊介にレフト前ヒットを許す。今村は何度か牽制を繰り返す。カウント2−1からの4球目、今度は俊介がスタート。捕手・倉義和もいい球を投げたが、こちらも余裕でセーフ。明らかに俊介は、というより阪神ベンチは、天谷に対して走り返したのである。こちらも、例えば藤浪の2ケタ勝利というような世俗的な目的ではなく、盗塁そのものを表現仕返すために。

 もはや幻想空間と化した甲子園での、この盗塁の応酬。どちらも得点に結びつかなかったが、そんなことはどうでもいい。それは間違いなく、日本プロ野球の精神の最も良質な部分を表現し得た瞬間だった。たまたまぼんやりテレビ中継を観ていただけだけれども、あえて、忘れがたい経験をした、と言っておきたい。

 もちろん、甲子園の水はけの良さ、グラウンド・キーピングの技術、選手のプロ意識と、再開を可能にした要因を分析することはできる。それよりも、大変オーバーな言い方をすれば、日本野球が積み上げてきたもの、いわば歴史意識を感じたとでも言っておきたくなる。なぜそうなのか、を説明するのは難しい。ただ、おそらくは、勝つための戦略、すなわち野球の試合としてではなく、盗塁そのもの、いわば野球のイデアに触れた瞬間だったからではあるまいか。

 大記録目前の裏側

「そのもの」のすごさを表現しているという点では、今季の最注目は、田中将大(東北楽天)の連勝記録と、ウラディミール・バレンティン(東京ヤクルト)の年間最多ホームラン記録だろう。どちらも、不滅に近い大記録になりそうだ。田中については、もう立派としか言いようがない。ストレートの力、変化球のキレ、コントロール、勝負強さ、スタミナ。すべてが「投手とは何か」という根源的な問いの答えのようだ。野球の試合を超越して、野球(=投球)そのものに至る、という言い方も許されるような気がする。

 バレンティンもまた然り。たとえヤクルトが敗戦の様相を呈していても、彼の第4打席まで観客が帰らないのは、端的にみんな勝敗よりも「ホームランそのもの」を味わいたいからでしょう。思うにバレンティンは今年、巨大な外野フライを打つコツを、こっそりつかんだのではないか。例えば、トニ・ブランコ(横浜DeNA)と比較してみるとよい。ブランコの方が、明らかにバットは強く振っているが、ブランコのホームラン数は30本台にとどまっている。ブランコは思い切りボールをぶったたいているが、バレンティンは、いいポイントでボールの軌道にバットを入れて、打球を上げることを身に付けたように見える。

 いずれにせよ、田中将大とバレンティンの記録は、超越的といっていいはずだ。歴史があって、歴史を破る者たちが現れる。素晴らしいではないか――と気持ちよく言い放ちながら、最後に一言グチを。

 9月5日時点で、セ・リーグは、首位・巨人と3位・広島のゲーム差は19.5である。広島の借金は9。ちなみに4位・中日は借金13。5位DeNAは15。ここまでが、クライマックスシリーズ進出圏内とされる。いつまで、こんな無様なルールを続けるつもりなのか。首位と20ゲーム以上も離れて、借金が2ケタもあるチームに、仮にも日本シリーズに勝ってしまう可能性があるシステムが、許されるはずがない。

 今年、日本シリーズで我々が目撃したいのは、どう考えたって、田中将大と巨人打線の対決だろう(パ・リーグは、千葉ロッテが大逆転する可能性がないとは言えないが)。そりゃ、田中とバレンティンの真剣勝負も見てみたいけれども、それは日本シリーズではない。

 述べてきたように、我々は今、野球の超越的な瞬間を目撃できるチャンスに恵まれている。ただ、その野球が、実にいびつなシステムの上に運営されていることも忘れてはならない。これを放置すれば、遠からず、必ずや、野球そのものが堕落するというしっぺ返しを食らうことになるのだから。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者
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