「アイアンマン」。そのまま訳すと「鉄人」である。そう、日本にトライアスロンが広まった当時、この言葉が先行してしまい、「トライアスロン=鉄人」と表現されることが多くなった。ただ、本来この「アイアンマン」というのは、トライアスロンにおけるひとつのシリーズの名称であり、総称ではない。例えていうなら、車のレースは「モータースポーツ」とか「カーレース」というのが表現として正しいのだが、その総称を「フォーミュラー1」と言っているようなものである。本来はカテゴリーの1つに過ぎないのに、そのインパクトが強過ぎて、総称を超えて一般的に認知されているという感じだろうか。
(写真:トライアスリートにとって憧れのフィニッシュ)
 そもそもこの「アイアンマン」とは、スイム3.8?、バイク(自転車)180?、ランニング42.2?を1人の競技者が継続して行うものである。トライアスロンの中でも、走行距離が長く、過酷なカテゴリーで、完走するのは簡単ではない。そのためには時間をかけてきっちり練習をする必要がある。そんなレースに、ハンディキャップを持つアスリートのチャレンジも増えている。アイアンマンの世界ではこの方たちの部門を「フィジカルチャレンジ」と呼び、世界中のアイアンマンレースでその姿は見られる。義足、義手、車いす、盲目、様々なハンディを抱えながらも、このレースにチャレンジしている姿には本当に頭が下がり、胸を打たれる。五体満足の身体で挑むことさえ簡単ではないスポーツなのに、どうしてそんなことができるのか。いや、そんなことをやろうと思えるのか……。今月12日に開催されたハワイでのアイアンマン世界選手権でも、フィジカルチャレンジの選手たちの姿を多く見かけた。

 この世界選手権は、各地で開催されているアイアンマンレースで好成績をおさめたものだけが出場を許されるトライアスリートの夢の舞台。これはフィジカルチャレンジのアスリートも同条件で、各地のアイアンマンでしっかりと成績を収める必要がある。つまりハワイを走れるアスリートとは健常者はもちろん、フィジカルチャレンジでも選ばれたものだけということになる。

 そしてアスリートをサポートする大会の体制も素晴らしい。1人のアスリートに必ず2人のサポーターが付き、義足交換や、車いすの乗り換えなどをフルに手伝ってくれる。アスリートに聞いたところ、「どこでどんなサポートが必要なのか言えば、すべて対応してくれる」という心強いサポートなのだそうだ。そしてそのサポーター全員が医療従事者であるという点も大きい。ある選手が「ドクター自らこんなことをやってもらって」と、感謝の意を伝えると、「究極の舞台で戦うハンディキャップの方々を支える。こんな貴重な体験ができるのは素晴らしいからね」と返されたそうだ。どこまでも有難く、そして心強い言葉である。

 フィジカルチャレンジのアスリートがレース中に頑張っている姿を見ると、五体満足の僕が苦しんでいるなんて恥ずかしくなる。そして、フィジカルチャレンジアスリートの姿勢から力をもらうことも少なくない。健常者とフィジカルチャレンジアスリートがお互いを刺激し合い、その場を大会側が支えるといういい循環がここにはできているのだ。アイアンマンが「ただのスポーツではない」と言われるのは、こんなところにも理由があるのかもしれない。
(写真:暗いコースから光に包まれたゴール地点へ)

 今年の世界選手権ではこんなことがあった。制限時間の17時間まであとわずかとなった時のこと。直前に雨が降ったこともあり、いつもは大観衆を集めるフィニッシュエリアもやや少なめの印象であった。それでも最後まで必死に、フィニッシュを目指すアスリートへの応援は熱く、それに応える選手たちのエネルギーも素晴らしかった。あと2分を切った頃だった。暗闇の方から歓声が聞こえてくる。大会MCのマイク・ライリーさんが励ましの声をシャウトしながら近付いて行った。その直後に見えてきたのは、義足を引きずりながら、身体を傾けて歩き続ける女性選手の姿だった。しかし、フィニッシュを目の前に倒れ込んでしまい動かなくなる。無常にも時間は17時間を過ぎ、競技の制限時間を超えてしまった。それでも観客は声援を送り続け、スタッフも彼女に声をかけ続けた。そしてその声援に応えるかのように、その女性選手は立ち上がり、フィニッシュラインを超えた。タイムアップ48秒後のフィニッシュにもかかわらず、会場は大歓声に包まれた。もちろん、競技としてはDNF(did not Finish)という記録となる。それでも彼女は諦めなかったのだ。

 その不屈の精神を見せてくれた女性選手とは、67歳のカレン・エイデロット(米国)さん。元々トライアスリートだったが、数年前に事故で右脚を失った。それでもトライアスロンが諦められず、再度チャレンジ。そして昨年今年と、2年連続でフィジカルチャレンジではなく、一般のエイジグループの選手として世界選手権の出場権を得たのだった。健常者でも難しいアイアンマンを義足ながら、一般アスリートとして臨んだわけである。この困難に挑戦する姿勢とバイタリティは、見ているものにエネルギーを、いや見ているものを叱咤激励するには十分すぎるほどだった。
(写真:声援を背に進むカレン選手)

「僕たちはまだまだできるはず」
 そんな思いを会場にいた観客は、彼女のフィニッシュした姿を見て、抱いたのではないか。私にはそう映った気がした。

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
 スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦していた。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための新会社「株式会社アスロニア」の代表取締役に就任。今年1月に石田淳氏との共著で『挫けない力 逆境に負けないセルフマネジメント術』(清流出版)を出版。
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