球団創設9年目で東北楽天ゴールデンイーグルスが初優勝を果たした。
 就任3年目でチームをリーグ優勝に導いた星野仙一監督の手腕は称えてあまりある。
 星野にとっては中日(1988年、99年)、阪神に続いて3球団目での優勝となった。過去、3球団で優勝を果たした監督は三原脩(巨人、西鉄、大洋)と西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)の2人しかいない。

 星野と言えば、かつては“鉄拳制裁”が代名詞だったが、最近は随分、丸くなった。選手への評価も肯定的なものが多い。

 楽天で進境著しい選手といえば、今季首位打者争いを演じた銀次(本名・赤見内銀次)だが、彼についてはこう語っていた。
「アイツは常に前向きなところがいい。周囲から“監督は我慢して使っていますね”とよく言われるんだけど、こっちを我慢させる何かをアイツが持っているということですよ」

 優勝翌日、日刊スポーツ(9月27日付)に中日時代から星野を知る小山伸一郎と入団7年目の嶋基宏の対談が載っていた。参考までに一部を紹介しよう。
<小山 中日の時は鉄拳制裁もあったからな。殴られて、出血を隠すためにマスクして帰る選手もいたよ。今は怒鳴るだけ。悔しそうな時“でいくそ!”と言ってる。
 嶋 あれ、どこの地方の言葉ですかね(笑い)
 小山 何だろうね。
 嶋 僕、監督に1度も殴られたことないでしょ。
 小山 楽天の選手は誰1人、殴られてないでしょ。聞いたことない。
 嶋 コーヒーメーカーと灰皿はよく殴られてます。
 小山 若い選手からしたら、近寄りがたいし、怖いよね。だけど、監督が歩み寄って、コミュニケーションとるようになったじゃん。ちょっとした一言で心酔させるんだよね、監督って>
 星野に対するイメージが小山と嶋とでは全然違っているところが興味深い。

 話は変わるが、いつだったか野球評論家の豊田泰光が星野を評して「GM監督」と語ったことがある。
 まさに今季の星野は「GM型監督」の面目躍如だった。
 昨シーズンオフ、オーナーの三木谷浩史に「安物買いのゼニ失いはやめましょう」と進言した。
 これまで球団の“財政規律”を重視するフロントは高額の資金がかかるメジャーリーガー獲得に積極的ではなかった。

 だが、元監督の野村克也が口にするように「エースと4番打者は育てられない」というのが、球界の定説である。
 幸い楽天の場合、投手陣には田中将大という柱がいる。問題は4番打者だ。
 星野が目をつけたのがメジャーリーグで通算434本塁打、1289打点、ブレーブス時代にはワールドシリーズを経験しているアンドリュー・ジョーンズだ。

 星野の眼鏡に狂いはなかった。ジョーンズは10月3日現在、打率こそ2割4分2厘と低いが、リーグ5位の90打点を叩き出した。ここぞという場面で主砲としての存在感を発揮した。
 優勝を決めた9月26日の埼玉西武戦では、2点ビハインドの7回、2死満塁のチャンスで走者一掃の逆転ツーベースを放った。
 ジョーンズを支えたのが5番のケーシ−・マギーである。ヤンキースでクリーンアップを担ったこともあるスラッガーはチーム最多の27本塁打、91打点を叩き出した。
 年俸(推定)はジョーンズ3億円、マギー1億円プラス出来高。球団史上、外国人選手としては破格の高年俸だが、これで優勝を買えたのなら安い買い物である。

「星野にあって僕にないのは球団からおカネを引き出す才能ですよ」
 野村はこうボヤいていたが、指揮官の熱意がフロントを動かしたと考えるべきだろう。

 星野には座右の銘とする言葉がある。
 迷ったら動け――。
 この言葉が星野の行動を決定していると言っても過言ではない。
 4年連続最下位の阪神の監督に就任する時も、新興球団でBクラスの常連だった楽天に身を投じる時も、この言葉に背中を押されたという。

 星野には『迷ったときは、前に出ろ!』(主婦と生活社)という著書もある。
 自身、言葉の意味をこう解説している。
<この“迷ったときは、前に出ろ!”には、「とにかく、やってみろ」という意味も込められている。
 あなたの人生において、やって後悔したこととやらずに後悔したことの数を比較してみていただきたい。誰もが“やらずに後悔したこと”のほうが圧倒的に多いものだ>

 昔と違って、戦況を見つめながらベンチでじっと耐えている姿が絵になる66歳である。

<この原稿は2013年10月29日号の「経済界」に掲載されたものです>

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