ロンドン五輪に向けて、里内たちスタッフは合宿を行っている。コーチの武藤覚がグループリーグで対戦するスペイン、ホンジュラス、モロッコの分析ビデオを仕上げていた。合宿ではそのビデオを見ながら、基本戦術、セットプレーの対応を話し合った。
(写真:国際大会ではその国のスカウティング能力が問われる)
 参加者の口から何度も出たのは「6試合を戦って帰ろう」という言葉だった。
 グループリーグは3試合、決勝トーナメントで1試合勝てば準決勝に進出する。準決勝で勝てば決勝へ、負ければ3位決定戦へ。どちらの場合でも6試合戦うことになる。そして6試合を戦うというのは、4位以内に入ることでもあった。

 とはいえ、目標達成は簡単なことではない。
 年齢別を含めて日本の男子代表が国際サッカー連盟(FIFA)と国際オリンピック委員会(IOC)主催の大会で6試合を戦ったのは、銅メダルを獲得した68年のメキシコ五輪と、準優勝となった99年のワールドユースの2大会しかなかった。

 まずは初戦のスペインといかに戦うかがポイントだった。
 スペインには、キーパーにダビド・デ・ヘア(マンチェスター・ユナイテッド)、ディフェンスのジョルディ・アルバ(バルセロナ)というA代表経験者がおり、オーバーエージ枠として、ハビ・マルチネス(当時アスレティック・ビルバオ)、ファン・マタ(チェルシー)らが加わっていた。A代表は2010年W杯南アフリカ大会、五輪前の欧州選手権で優勝しており、ロンドン五輪でも優勝候補の筆頭と目されていた。

 里内はスペインの監督の決勝に向けて調子を上げていくという趣旨のコメントが掲載された記事を見つけ、つけいる隙があると感じていた。

 選手のピークをどこに持っていくかは意見の分かれるところである。たとえばブラジル代表は毎回W杯で決勝トーナメント終盤にピークを持っていくように調節していると言われている。

 2006年W杯ドイツ大会で日本代表はグループリーグで敗退した。その敗因として決勝トーナメントに合わせてコンディションをつくっていたという意の記事を目にした時、里内は全く違うと憤った。里内は当時の代表フィジカルコーチである。日本代表にはそんな余裕はなかったのだ。当時の方針は初戦に向けて選手のコンディションを仕上げる。それはロンドン五輪でも変わらなかった。

「1試合目から潰すぞ、トラトラトラ」
 里内はスタッフ合宿で気勢を上げた。

 日本代表は7月11日に国立競技場でニュージーランドとの壮行試合を経て、日本を後にした。イングランド到着後はノッティンガムで2試合(7月18日にベラルーシ、21日にメキシコ)の親善試合が組まれていた。

 この2試合の意味合いは多少違っていた。
 ニュージーランド戦前の1日、7日にはJリーグの試合が行われており、選手によっては4連戦となる。そこで選手のコンディションを考えて、ベラルーシ戦では全員を出場させることが目的だった。そして、メキシコ戦ではベストメンバーを組んで試合に臨んだ。

 仕上がりは順調だった。日本はベラルーシ戦、メキシコ戦に連勝。特にメキシコはロンドン五輪で優勝候補にも挙げられている強豪だった。メキシコ戦の翌22日は練習を休みにした。23日に雨が降る中で練習を再開すると、里内はスペイン戦に向けてコンディションを上げるために練習の負荷を上げた。

 続く24日は前日のきつい練習とぬかるんだピッチの影響もあっただろうが、トレーニングではミスが連発していた。選手たちにはメキシコ戦勝利の余韻が残っているようだった。

 里内はまずいなと思っていると、監督の関塚隆が練習後、ものすごい剣幕で怒鳴り始めた。
「こんなミスの多い練習でスペインに勝てると思っているのか! 6、7発食らってしまうぞ!」
 普段は温厚な関塚の厳しい口調に、選手たちは表情を引き締めた。
(写真:五輪前、関塚は「蹴倒・世界」という目標を掲げた)

 初戦で対戦するスペインは日本と同じ宿舎に泊まっていた。日本戦の後、ロンドンに行き、開会式に出るのだと話しているのが耳に入ってきた。
(何、余裕かましてんねん、絶対に潰してやる)
 里内は怒りを噛み殺した。日本にとってスペインは格上の優勝候補、負けて元々である。だが、彼らは明らかに気が緩んでいた。勝機は十分あった。

 スペイン戦の指示はごく簡単だった。
――スペインはカウンター攻撃を狙ってくるだろう。最終ラインの選手は前に蹴るだけでもいいから出来るだけシンプルにプレーすること。
――高い位置でのミスは構わない。しかし、自陣近くでミスはするな。
――(永井)謙佑、東(慶悟)をどんどん走らせろ。

 序盤からスペインに試合を支配されたが、最終ラインは崩されなかった。そして前半35分、右からのコーナーキックに大津祐樹が合わせて先制。前半終盤、スペインに退場者が出たこともあり、日本は1対0で逃げ切った。

 強豪に勝ったという喜びもあったが、まだ目標は達成していない。ホテルに選手を集めて、首脳陣は「結局、まだ何も終わっていない。次のモロッコ戦が大切だ」と選手たちに檄を飛ばした。モロッコもアフリカ予選2位の強敵だった。

 試合は後半39分、永井が清武弘嗣からラインの裏へ出たボールを拾ってディフェンダーを振り切り、得点。この1点を守って、1対0で勝利し、決勝トーナメント進出を決めた。第3試合のホンジュラス戦では連戦で疲弊していた選手を休ませて、出場機会の少なかったメンバーを優先して起用した。

 五輪代表はスタッフの数が限られているため、選手も裏方として動くことになる。控えに回った選手たちが率先してペットボトルの水を交換、試合に出ている選手のマッサージをしていた。それを横目で見ながら里内はいいチームになったと感じていた。

 ホンジュラス戦は0対0で引き分けたものの、決勝トーナメント1回戦でエジプトに3−0で快勝し、「五輪で6試合を戦う」ための条件をクリアした。

 しかし――。
 本当に強いチームと、“そこそこ強い”チームには差がある。日本は6試合のうち、もっとも肝心な最後の2試合で、その差を露呈してしまうことになる。

(つづく)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクション作家。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち—巨大サッカービジネスの闇—』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)。最新刊は『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)。早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』『実践スポーツジャーナリズム演習』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。
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