石川ミリオンスターズは2年ぶり2度目の独立リーグ日本一を達成しました。これで昨季の新潟アルビレックスBCを合わせると、BCリーグとしては3連覇となりました。それまでは四国アイランドリーグプラスには5連覇され、レベルの違いを感じてもいましたが、今や両リーグに力の差はありません。今回の徳島インディゴソックスとの独立リーグチャンピオンシップも、最後までどちらに転ぶかわからない好ゲームばかりでした。今後はさらに切磋琢磨して、独立リーグのレベルアップを図っていきたいですね。
 さて、ミリオンスターズは2年ぶりの頂点に立ったとはいえ、決して順風満帆のシーズンを送ったわけではありません。前期は北陸地区で優勝してプレーオフの出場権利を得ることができたものの、後期は一転、最下位に終わりました。特に9月に入ってからは打線がふるわず、厳しい試合が続きました。

 後期も残り5試合となったところで、正直、優勝の可能性は非常に低くなっていました。そこで私は選手の頭を切り替えさせることにしたのです。「最後まで優勝を諦めることなく、戦う。練習も試合も普段通り勝つためにやる。その中で、その後に控えている短期決戦のプレーオフに向けた心の準備をしていってほしい」と言ったのです。

 それには理由がありました。レギュラーシーズンとは異なり、短期決戦のプレーオフではひとつの負けが非常に大きい。だからこそ、どの試合も序盤からエンジン全開で入り、先手を取ることが重要になります。しかし、今季のミリオンスターズはスロースタートであることが多く、徐々にエンジンがかかるのです。それでは短期決戦を勝ち抜いていくのは難しい。そのために、プレーオフに入る前から、試合開始直後にパッとエンジンがかかる準備をしていきたかったのです。

 そしてもうひとつは、目線を変えることにありました。負けが混み、最下位の可能性が高いという状況は決してチームにとってはプラスではありませんでした。ですから、そこに目を向けるよりも、その先にあるプレーオフという新しい目標を早めに意識させることで、選手たちのモチベーションを高めていきたかったのです。それが功を奏したのでしょう。結局後期は最下位となったものの、最後の2試合の福井ミラクルエレファンツ戦に連勝し、その状態で福井との北陸地区チャンピオンシップに入ることができたのです。

 そのチャンピオンシップでは、初戦は0−1で負けましたが、試合の内容としては悪くありませんでした。そして2戦目は4−4の引き分け。これも結果よりも、打線が4点を取ったことの方が大きく、手応えを感じていたのです。とはいえ、1敗1分と後がない状態であることは変わりありませんでした。

 絶対に負けることができない、プレッシャーのかかった3戦目も、やはり接戦となり8回を終えた時点で1−1と、非常に緊迫した試合でした。しかし、選手たちは非常に集中し切っていました。「勝てる」という自信と「絶対に勝つ」という気持ちの両方をしっかりと持っていたのです。その結果が、サヨナラ勝ちに結びつき、さらには第4戦での快勝につながったのです。

 レギュラーシーズン残り5試合で頭を切り替え、いい意味で開き直ることができたことで、最後の福井2連戦に連勝することができた。これが福井とのチャンピオンシップを制した最大の要因だったと思います。

 “無傷の3連勝”を生んだサンチェスの一発

 そして1週間後、新潟が待つリーグチャンピオンシップに臨みました。下馬評では新潟が圧倒的に有利とされていました。それもそのはずです。今季の対戦成績は新潟の6勝2敗。後期に限ってはミリオンスターズは新潟に4連敗を喫していたのです。ところが、大方の予想を裏切り、結果はミリオンスターズが無傷の3連勝で一気に2年ぶりの優勝を決めました。

 最大のポイントとなったのは、やはり初戦だったと思います。新潟の先発は最多勝、最優秀防御率の2冠に輝いたエースの寺田哲也(作新学院高−作新学院大)。ミリオンスターズは寺田にいいようにやられてきました。ところが、その寺田からミリオンスターズは初回に2点を先制したのです。これは両者にとって、非常に大きな2点でした。

 打ったのは3番・サンチェス(ベネズエラ)。1死一塁の場面で打席が回ってきたサンチェスは、寺田の初球を左中間のスタンドに運んだのです。実は他の打者とは違い、サンチェスは寺田に対して苦手意識はまったくありませんでした。なぜなら、シーズン途中で加入したため、寺田とは一度も対戦したことがなかったのです。

 試合前、サンチェスは私に「寺田はどういうピッチャーなのか教えてくれ」と聞きに来ました。そこで私は「初球は必ず真っ直ぐでストライクを取りに来るから」と言ったのです。すると、サンチェスはその通り初球を狙いにいき、見事に先制2ランを放ったのです。これには私も驚きを隠せませんでした。

 この2点で勢いづいたミリオンスターズとは裏腹に、新潟のショックは大きかったと思います。まさかエースの寺田が初回にホームランで失点するとは思ってもみなかったでしょうからね。ミリオンスターズは2回以降は追加点をあげることができなかったものの、南、マルティネス、木田が新潟打線を1失点に抑え、初戦をモノにしました。

 実はこの試合の途中から、なんとなく新潟のベンチは元気がなかったように感じていました。今思えば、新潟はプレーオフでのミリオンスターズに嫌なイメージを持っていたのかもしれません。というのも、2年前もレギュラーシーズンでは1勝6敗と新潟に大きく負け越していたミリオンスターズが、リーグチャンピオンシップでは初戦こそ落としたものの、2戦目から3連勝したのです。新潟はその2年前とメンバーがほとんど変わっていませんから、その時のことが無意識にあったのかもしれません。

 いずれにせよ、初戦を制したことでミリオンスターズは勢いに乗りました。2戦目も取って王手をかけると、3戦目は3−0と完封勝ちを収めて、2年ぶり4度目のリーグ優勝を決めたのです。

 光った納谷の好リード

 そして迎えた独立リーグチャンピオンシップでは徳島と対戦しました。奇しくも2年前、BCリーグとしては初の日本一を達成した時の相手が徳島でした。とはいえ、当時とはお互いにメンバーはガラリと変わっていますから、徳島にとっても苦手意識はなかったと思います。

 初戦は5回に先制したものの、終盤に失点し、1−2で敗れました。敗因は、徳島のリリーフ陣が予想をはるかに上回る素晴らしいピッチングをしたことにありました。特に2番手の入野貴大には驚きました。前情報では、「球は速いけど、打てないピッチャーではない」というものだったのですが、スピードだけでなく、非常にキレがあり、ちょっとやそっとではバットにさえ当てられませんでした。

 後から聞いたところ、その日の入野はシーズン中でも滅多にないほど、最高のピッチングだったそうです。毎試合、あのキレが出すことができれば、それこそ「NPBでも十分に通用するのに……」と思うくらいの素晴らしいピッチングでした。

 2戦目以降は、お互いに徐々にどういう配球でくるのか、何を狙っているのかなど、傾向がわかってきます。そこで対策をたてるわけですが、その中で2戦目から3連勝することができたのは、ひとえにキャッチャー納谷嶺太(出雲北陵高−甲賀健康医療福祉専門学校−石川−群馬ダイヤモンドペガサス)の巧みなリードがあったからに他なりません。もちろん、南和彰(神港学園高−福井工業大−巨人−カルガリーパイパース)や木田優夫さん(日大明誠高−巨人−オリックス−タイガース−オリックス−ドジャース−マリナーズ−東京ヤクルト−北海道日本ハム)といったベテランの存在も大きかったことは言うまでもありません。

 いずれにせよ、日本一の座を奪還できたのも、応援し、支えてくれたファンや関係者のおかげです。改めて感謝したいと思います。ありがとうございました。また、来季も石川ミリオンスターズの応援、よろしくお願いします。

森慎二(もり・しんじ)プロフィール>:石川ミリオンスターズ監督
1974年9月12日、山口県出身、岩国工高卒業後、新日鉄光、新日鉄君津を経て、1997年にドラフト2位で西武に入団。途中、先発からリリーバーに転向し、2000年にはクローザーとして23セーブを挙げる。貴重なセットアッパーとしてチームを支えた02、03年には最優秀中継ぎ投手に輝いた。05年オフ、ポスティングシステムによりタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)に移籍。2年間のメジャー契約を結ぶも、オープン戦初登板で右肩を脱臼。07年、球団から契約を解除されたものの、復帰を目指してリハビリを続けてきた。09年より石川ミリオンスターズのプレーイングコーチに就任。10年からは金森栄治前監督の後を引き継ぎ、2代目監督としてチームの指揮を執っている。
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