更迭を要求する声がいつも正しいとは限らない。
 6年前の今頃、シーズン途中から指揮をとった外国人監督の解任、更迭を要求する広島ファンの声は決して珍しいものではなかった。続投を決定したフロントに対する批判もかなり手厳しいものがあった。もし、あの時点で更迭という決断がくだされていたら、Jリーグの現在はまたずいぶんと違ったものになっていた可能性がある。少なくとも、ペトロヴィッチ監督がレッズの指揮官になっていることはなかっただろう。
 オランダ、ベルギーとの連戦を乗り切ったことで、ザッケローニ監督の立場はひとまず安泰となったと言っていい。更迭を求める声が高まる中、変わらぬ支持を明らかにした協会の対応が奏功した格好だ。度がすぎるほど固定したメンバーにこだわっていたザック監督が、ドラスチックなまでのメンバー組み替えに踏み切れたのは、解雇の不安と無縁だったからに他ならない。自らの進退がかかった状況であれば、果たして西川や山口、大迫の起用はあったかどうか。

 ただ、いささか引っかかるところもある。

 今年に入ってからの日本代表の戦いぶりは、監督の更迭という決断が下されていても少しも不思議ではない……というより、更迭されない方が不思議なぐらいだった。特に、10月のぶざまな連敗のあとは。

 それでも、更迭はなされなかった。問題は、続投の理由としてあちこちからこんな声が聞こえてきたことである。

 いまからでは時間がない。現実的ではない――。

 W杯本大会が開催されるのは来年6月である。10月の時点で、日本代表には年内に2試合のテストマッチが予定されており、年が明ければ、当然ある程度の試合が組まれることにもなろう。時間がない、現実的ではないという人たちは、何を根拠に、物差しに、時間の不足を理由にするのか。

 シーズン途中にクラブチームの監督が解任された場合、新監督に与えられた準備の期間は下手をすると1週間を切る。もちろん、テストマッチで自分なりのやり方を試すこともできない。すべてがぶっつけ本番で、しかし、毎年のようにどこかのクラブがシーズン中の監督交代という決断を下している。時間がないから、現実的でないから、という声はどこからも聞こえてこない。

 もし時間がなければいい代表チームはつくれない、というのであれば、ザック監督が就任した直後に行われたアルゼンチン戦は、なぜあれほど素晴らしい試合になったのだろう。

 土台さえあれば、時間がなくともいいチームは生まれ得る。そもそも、13年11月の日本代表は、10月とは違う選手、違うやり方で戦うようになっていた。

 更迭を要求する声がいつも正しいとは限らない。同じことは、続投の決断についても言える。

<この原稿は13年11月28日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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