オランダ戦での2点目を見て、私は鳥肌が立ちました。「日本のサッカーもここまで来たか」と。日本はアタッキングサードで6本のパスをつないで、ゴールを陥れました。パスのほとんどがワンタッチ。そして、選手たちの動きも止まることがありませんでした。あれでは、オランダの守備陣も為す術がありませんでしたね。強豪相手、しかもアウェーで、連動した球離れの速いパス回しを展開できたことに、日本の大きな成長を感じました。
 効果的だったシフトチェンジ

 2連敗した10月の遠征では、ザックジャパンはボール支配率は高いけれども、横パスが多く、ゴールへ向かうかたちがあまり見受けられませんでした。これまでも触れてきましたが、横へ横へとパスを回しても、大きく陣形を崩すことはできません。横から縦へと目先を変えることで、組織を揺さぶれるのです。ボールを支配しつつ、どこで縦パスを入れてシフトチェンジするか。これが、今回の2連戦のポイントでした。

 その意味で、オランダ戦の2点目は右サイドでボールを持ったDF内田篤人が、PA手前に縦パスを入れたことで、シフトチェンジに成功しました。その後に、あのようなワンタッチでのプレーが続くと、相手DFはボールへ飛び込むタイミングを逸してしまいます。日本の選手たちも気持ちよくパスを回せていたのではないでしょうか。

 そして、選手たちが動きを止めなかった姿勢もゴールにつながりました。内田はタッチライン際からパスを出した後、止まらずに内側に動き出しています。ボールは岡崎慎司、本田圭佑とつながり、再び受けた内田がゴール前の大迫勇也にパス。大迫の落としたボールを、本田が押し込むという一連の流れを完成させました。受け手と出し手がゴールまでのイメージを共有し、オートマチックに連動するかたちは今まではあまり見られなかったこと。チームとしての理想形が表れたと思いますね。

 昔から、技術が高い日本人には、同じく個人技に優れ、ボールを失わない南米系のサッカーがよく合うと言われてきました。今の日本には長年、ベースにしてきた南米系のサッカーに、ヨーロッパ的な縦に速くパスを入れるスタイルが融合しつつあります。ボールを奪われないようリスクマネジメントしながらビルドアップし、あるタイミングで縦にパスを入れる。縦パスを合図に2列目、3列目の選手が前の選手を追い越してスペースに走り込む。このかたちは日本独特といってもいいでしょう。この「ジャパンスタイル」を確立できれば、W杯でも旋風を巻き起こせると見ています。

 評価できるザック采配

 また、今回の遠征では、メンタル面にも成長を感じました。2戦とも日本は自分たちのミスから先制点を奪われましたが、そこから持ち直し、オランダ戦はドロー、ベルギー戦では逆転勝利を収めました。ミスは反省しなければなりませんが、失点後に気持ちを切らさず、反撃につなげたことは評価できます。

 印象的だったのが本田です。失点後、彼が味方を鼓舞するシーンが見られました。この2連戦に限った話ではありませんが、本田からはチームの中心として「俺がやってやる」という気持ちがにじみ出ます。そんな彼の強気な姿勢を見て、味方の選手たちも「まだまだ大丈夫だ」と切り替えられたのではないでしょうか。

 またアルベルト・ザッケローニ監督の采配もよかったですね。本番までテストマッチの数が残り少ない中、監督もいろいろな選手を見てみたいと思っていたはず。大迫、森重真人、山口螢といった新戦力を試すために、オランダ戦は香川真司や遠藤保仁ら主力をベンチスタートにしました。そして、後半からスタメンクラスの選手を投入し、彼らがリズムを変えた結果、引き分けにまでこぎつけることができたのです。選手を試しつつ、勝負を仕掛ける。チームにとって最高のテストマッチになったことでしょう。

 今回の遠征では1勝1分けと結果を残し、いわゆる成功体験ができました。コンフェデレーションズカップ以降、明るい話題の少なかったザックジャパンが、これをきっかけにチーム状態が好転することを願っています。

 12月6日にはいよいよW杯の組み合わせが決まります。年が明ければW杯メンバー生き残りをかけた戦いがより一層、激しくなります。日本代表は来年3月に予定されている国際親善試合まで実戦機会がありません。つまり選手たちは各所属クラブでのアピールが重要になってきます。

 香川はマンチェスター・ユナイテッドでの出場機会増加に比例して、代表でのプレーもよくなってきました。やはり、選手は自分の長所を生かす上で常に試合でプレーし続けなければなりません。まず、選手たちには代表に選ばれることを意識するよりも、所属クラブで与えられた役割をきちんとこなしていってほしいものです。それがW杯という大舞台に立ち、活躍する上での第一条件だと考えています。

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)<PROFILE>
 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザ(http://kashima-hsp.com/)の総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。
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