11月23日、プロ野球コンベンションが開催され、今季のタイトルホルダーたちが表彰されました。正力松太郎賞、沢村賞、ベストナイン、最優秀防御率、最高勝率、最多勝、そしてパ・リーグMVPとタイトルを総なめにした田中将大投手(東北楽天)は、まさに今季のプロ野球の顔でしたね。しかし、今季のプロ野球を盛り上げたのは、田中投手だけではありませんでした。なかでもルーキー投手のレベルの高さには驚きと同時に、十分に楽しませてもらいました。4人も2ケタ勝利を挙げたのですから、今季はまさに“当たり年”でしたね。
 “いさぎよさ”が生み出す切り替え能力

 新人王に輝いたのは、パ・リーグは則本昂大投手(楽天)、セ・リーグは小川泰弘投手(東京ヤクルト)です。創設9年目にして、初のリーグ優勝と日本一を達成した楽天。その開幕投手を務めたのが則本投手でした。開幕前、ワールド・ベースボール・クラシックに出場した田中投手を回避し、他のピッチャーで開幕投手を考えなければならなかった星野仙一監督が指名したのが則本投手だったのです。つまり、日本一への道は、ルーキーのピッチングから始まったのです。

 正直、星野監督が則本投手を抜擢したことに、私は驚きを隠せませんでした。則本投手は昨秋のドラフト会議で2位指名されたピッチャーとはいえ、大学まで全国ではほとんど無名でした。実際、オープン戦でのピッチングを見た限りでの私の感想は「まとまったピッチングをしているし、そこそこ勝てるんじゃないかな」という程のものでした。

 パ・リーグでは55年ぶりとなる新人での開幕勝利投手誕生なるか、ということで注目されたその開幕戦の結果は、6回1/3を投げて6安打4失点で白星を挙げることはできませんでした。しかし、ベテランでも緊張する開幕戦、しかも敵地にもかかわらず、最速150キロの直球とスライダーで、強打者たちがズラリと並ぶ福岡ソフトバンク打線に堂々と立ち向かうその姿は、とてもルーキーとは思えませんでした。その強気のピッチングを、日本シリーズまで貫き通したのですから、いかにメンタルが強いかがわかります。

 則本投手の一番の武器は、やはりストレートでしょう。スピードもそうですが、それ以上にボールの強さです。見ていると、多くのバッターが彼のストレートに対して勢いに押されていました。バッターに訊くと、やはり一番打ちにくいのはストレートなのだそうです。つまり、バッターがストレートを「打ちにくい」と感じた時点で、ピッチャーの勝ちなのです。つまり、則本投手はバッターとの勝負に勝てるストレートを投げることができるピッチャーだということです。

 強いボールを投げることができるのは、ひとつは腕の振りがいいからです。そして、思い切り腕を振ることができる背景には、則本投手に“いさぎよさ”が備わっているからではないかと思うのです。「自分のボールが打たれるのではないか」という不安が、則本投手のピッチングにはひとかけらも見えません。そして、たとえ結果的に打たれたとしても、ひきずることなく、すぐに切り替えることができる。その切り替えの能力に長けているからこそ、あれだけ“投げっぷり”がいいのです。

 進化の裏にある“バイブル”の存在

 今季、則本投手は27試合に登板し、15勝8敗、防御率3.34という成績を挙げましたが、彼が並みのルーキーではないと感じたのは、成績に限ったことではありませんでした。驚いたことに、彼はシーズン中に、意図的に自分を進化させようとしたのです。人は成功している時、それを維持させようとするのが普通です。しかも、則本投手は1年目なのですから、それが当然とも言えます。

 私がプロ1年目の時、開幕当初の則本投手と同様に、ストレートとスライダーで勝負していました。それである程度の手応えを掴んだ私の頭の中にあったことといえば、「とにかく全力で投げること」。それ以上のことを考える余裕はまったくありませんでした。ところが、則本投手はシーズン前半はストレートとスライダー中心だったのですが、後半にはチェンジアップでも勝負できるようになり、さらにシーズン終盤には新たにフォークを習得して武器にしたのです。

 この則本投手の進化の裏には、身近に手本となるピッチャーの存在があったことは否めません。その存在とは無論、田中投手です。田中投手は150キロ以上のストレートと、鋭く落ちるスプリットがあります。これだけでも十分なのですが、決してそれだけに頼ってはいません。他にも球種をもっていますし、コントロールもいい。こうした力だけではなく、ピッチングの基本がしっかりしている田中投手を間近で見て、則本投手はいろいろと感じ、学んだのでしょう。それは初めてとなるシーズンオフ、田中投手に合同トレーニングを直訴したことからもわかります。

 さて、巨人との日本シリーズを制し、楽天は日本一となったわけですが、もちろん82勝のうち、24勝も挙げた田中投手の活躍は欠かすことはできません。しかし、クライマックスシリーズファイナルステージを含めたプレーオフを勝ち抜いた要因は、則本投手の活躍なくしては語ることはできないことも、また事実です。プレーオフに限って言えば、最大の功労者と言っても過言ではありません。

 特に日本シリーズの開幕戦でのピッチングは、大きかったと思います。結果的には負け投手にはなりましたが、その内容は決して悪くはありませんでした。8回4安打2失点は好投というには十分。試合をつくるという先発の責任は、きっちりと果たしています。そして何よりも、巨人サイドには嫌なイメージを与えられたと思うのです。おそらく、初戦をモノにしたとはいえ、巨人は則本投手を打ち崩したとは思えなかったはずです。それどころか、「やっかいなピッチャーだな」と感じたことでしょう。

 普通に考えれば、巨人は敵地での初戦を完封でモノにしたのですから、そのまま勢いに乗ってもおかしくはなかった。ところが、2戦目以降も巨人打線がなかなか実力を発揮することができなかったのは、やはり初戦の勝利が“快勝”ではなかったからにほかなりません。初戦の則本投手のピッチングは、2戦目以降のチームに好影響を与えたのです。

 野茂同様の大砲弾

 一方、セ・リーグの新人王に輝いた小川は、ドラフト会議で指名された時から、彼の独特なフォームが話題となっていましたね。足を高く上げるダイナミックなフォームは、ノーラン・ライアンを彷彿させるということで、“和製ライアン”と言われています。実際、小川投手は『ノーラン・ライアンのピッチャーズバイブル』を読んで参考にしたという話は、今ではプロ野球ファンの間では有名でしょう。

 しかし、私が彼のピッチングを見て、頭の中に浮かんだのは野茂英雄なのです。それはフォームというよりも、ボールの強さでした。特に印象深かったのは9月15日、神宮球場での阪神戦でのピッチングでした。この試合、小川投手は完封で14勝目を挙げたのですが、終盤に入ってもバランス良く、フィニッシュまできれいに投げていました。球速自体はそれほどでもないのですが、ボールには小川投手の全身から出力された力がしっかりと伝わっており、阪神打線をきりきり舞いさせていたのです。「これは打てんわ」と言いたくなるようなボールは、野茂を彷彿とさせるものでした。

 近鉄時代、間近で野茂のボールを見た時の衝撃は今でもはっきりと覚えています。それまで私が目にしていた好投手のボールは、言葉にしたら「シュルシュルシュル、スパーン」というものでした。ところが、野茂のボールは違いました。いきなり「ズドーン」という音がするのです。それはまるで大砲弾を見ているかのようでした。小川投手のボールも、その「ズドーン」だったのです。

 小川投手は身長171センチとプロ野球選手としては小さく、決して体格に恵まれているとは言えません。その小川投手が、身長188センチと身体の大きな野茂と同じ強いボールを投げられるなんて、不思議に思うかもしれませんね。しかし、小川投手には野茂と共通している部分があるのです。それは身体全体をうまく使ったフォームだということです。それともうひとつは、“間”です。小川投手は足を高く上げた後、踏み出すまでにタメをつくります。そこで“間”ができるのです。野茂にも“間”がありました。そして、それらを可能にしているのは、野茂も小川投手も、強い下半身、そして股関節の柔らかさがあるからなのです。

 小川投手の今季の成績は、26試合に登板し、16勝4敗、防御率2.93。完封勝利が3試合というのも、小川投手のすごさを表わしていますね。小川投手のルーキーらしからぬ武器はクロスボール、つまり右打者へのアウトコース、左打者へのインコースへのストレートに自信を持っていることです。これは則本投手、そして高卒ルーキーながら10勝(6敗)を挙げた藤浪晋太郎投手(阪神)にも言えることなのですが、勝負球のひとつであるクロスのストレートの投げっぷりが非常にいいのです。「ここに投げれば、絶対に打たれない」という自信をを持っているからこそ、思いっきり腕を振れるのでしょう。

 さて、どのスポーツの世界においても“2年目のジンクス”という言葉がありますが、実際に2年目というのは苦労するものです。特に1年目に活躍した選手に対しては、球団も選手も、研究して対策をたててくるからです。しかし、何よりも怖いのはケガです。ケガをして投げられないようになってしまっては、壁にぶつかることも、課題を見つけることさえもできないのです。

 私はプロ2年目、シーズン途中でヒジを痛め、二軍に落ちてしまいました。知らず知らずのうちに、身体に負担がかかっていたのだと思います。1年目のシーズンを終えた時、確かに初めてのプロの生活で疲労はありましたが、手応えを感じていましたから、心地良さを感じていました。そして「もっとやれる」と思い、オフはトレーニングに励みました。

 しかし、身体を鍛える一方で、しっかりと休養させることにも高い意識をもって、オフシーズンは過ごしていたのです。ところが、いざシーズンに入ると、いつの間にか身体をを休ませることへの意識が希薄になっていました。それが故障につながったのだと思います。ですから、則本投手と小川投手にはシーズンに入ってからも、身体を休ませることにも意識を働かせ、ケガのないシーズンを送ってほしいと思います。

佐野 慈紀(さの・しげき) プロフィール
1968年4月30日、愛媛県出身。松山商−近大呉工学部を経て90年、ドラフト3位で近鉄に入団。その後、中日−エルマイラ・パイオニアーズ(米独立)−ロサンジェルス・ドジャース−メキシコシティ(メキシカンリーグ)−エルマイラ・パイオニアーズ−オリックス・ブルーウェーブと、現役13年間で6球団を渡り歩いた。主にセットアッパーとして活躍、通算353試合に登板、41勝31敗21S、防御率3.80。現在は野球解説者。
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