ブラジルサッカー界の闇をもっとも知る男――エリアス・ザクーと親しく付き合った人間の1人が、三浦知良の父・納谷宣雄だ。納谷は日本で最初のサッカー代理人の1人として数多くのブラジル人選手を日本のクラブに紹介していた。
(写真:空港到着寸前、飛行機の中から見たリオの街)
 伝説の男へのアポイントメント

 日本で生活していると気がつきにくいが、その国のリーグの価値は「貨幣価値」に直結する。かつて日本の円は強く、ブラジルの通貨、もしくはドルに換算するとその価値がさらに上がった(少し前、ロシアリーグに多くのブラジル選手が向かったのも同様の理由である)。加えて、日本のクラブはブラジルのクラブと違って近代化されており、給料遅配がない。そのため、Jリーグのある日本は夢の国だったのだ。

 地球の裏側の光り輝くリーグの窓口である納谷を、多くのブラジル人選手が頼った。納谷は自然と送り出す側、つまりブラジルの代理人であるザクーと親しく付き合うようになった。
 納谷はリオ・デ・ジャネイロにあるザクーの自宅に招待されたことがあった。彼の家は、納谷の言葉を借りると「まるで船に乗っているような」美しい海が一望できる一等地にあったという。そして、ザクーは競走馬も多く所有していた。
「ザクーはブラジルで一番の馬主だよ。ブラジルだけでなく欧州でも馬を所有している、ものすげえ大金持ちだ」
 と教えてくれた。

 ぼくがブラジルの協力者に頼んで、ザクーに連絡をとったのはジーコ率いる日本代表がドイツW杯で惨敗を喫した後、2006年夏のことだった。
 ザクーは、リオの他に、欧州にも自宅を持っており、ブラジルにはほとんどいないという。それでも留守宅を預かっている人間は、取材の申し込みをザクーに伝えると約束してくれた。

 何度か連絡を入れると、ザクーは取材に応じてもいいと話している、という返事が来た。「これは行くしかない」。彼がブラジルに戻る日時を確認し、他の取材日程を調節してブラジルに入ることにした。

 同年11月、サンパウロに着いて、旧知のブラジル人「ジャーナリストにエリアス・ザクーと会うことになった」と話すと、「嘘だろ」と首を左右に振った。
「お前は若いのに良くザクーなんか知っているな。今の若いブラジルのジャーナリストは知らないよ。ただ、彼に取材するなんていうのは何かの間違いだろう? 取材に応じるはずがない。彼はメディアが大嫌いなんだ。写真もほとんどない」
 嫌な予感がした。そして、危惧していたことが起こった。

 厄介な相手にはいかに粘るか

 サンパウロに着いてリオにいるザクーに電話を入れると、彼は不機嫌だった。
「身体の調子が悪い。そもそも自分はマスコミが嫌いだ」
 彼は取材を受けることを渋り出した。
「わざわざ日本から来たのだ」と説得すると、「来週電話してくれ」と電話を切られた。ザクーは日によって体調のいい日と優れない日があるようだった。それによって彼の機嫌は大きく左右された。取材を受けると答えた日はたまたま体調のいい日だったのだ。

 厄介な相手にはいかに粘るか、である。翌週もザクーに電話を入れた。
「目の手術をしなければならない。明るいところに出ることができない。だから取材を受けることは難しい」
 目の手術をした後、欧州に戻るという。そして、こう言った。
「来週電話してくれ」
 前週と同じ答えだった。

 このままでは埒が明かない――いつもブラジルでの取材を手伝ってくれている、写真家の西山幸之と相談して、サンパウロからリオに行くことにした。近くまで来ているとなれば、ザクーも断れないという判断だった。
(写真:リオは美しい海岸を持っている)

 リオに着いて電話を入れると、彼は「誰が来いと言ったのだ!」と怒鳴った。それでもわざわざ来たことに気を遣ってくれたのか、翌日の朝8時に話をしようと言ってくれた
 翌朝、電話を入れるとザクーの機嫌が良かった。1時間後に僕たちの泊まっているホテルまで来てくれるという。
 ただし、取材時間は10分――。ザクーは「青色のパンツに黄色いシャツで行く」と言った。ぼくたちは30分前から、コパカバーナに面したホテルのロビーで待つことにした。しかし、約束時間になってもザクーらしき男の乗った車は到着しない。

 10分が経過――。ブラジルでは約束の時間が守られることは少ない。特に、全てに緩いカリオカ(リオの住民)は約束に遅れがちである。時間通りにこないことは織り込み済みだった。

 30分が経った。
「途中で気が変わり、すっぽかされたのか……」
 ぼくは不安になってきた。

 ロビーにはチェックアウトのため、大きな荷物を持つ人間が増えていた。西山とぼくは見逃してはならないと分担してロビーに目を配ることにした。

 青色のフォードが到着したのは約束の時間から40分経った頃だった。中から青色のパンツに黄色いシャツを着た老人が降りてきた。ザクーだった。

(つづく)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクション作家。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち—巨大サッカービジネスの闇—』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)。最新刊は『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)。早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』『実践スポーツジャーナリズム演習』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。
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