香川真司にとって、ドルトムント最後の試合となったのが、2年前の5月12日に行われたバイエルンとのドイツ杯決勝だった。
 あの時、バイエルンは特別なチームではなかった。素晴らしい選手は揃(そろ)っていたものの、手の届かない存在、ではまるでなかった。それどころか、開始早々香川のゴールで失点を喫したバイエルンは、最終的に5発を食らう惨敗を喫しているのである。
 だから、わたしが香川であれば、全面的にサッカー観が塗り替えられるほどの衝撃を受けていたに違いない。

 1日、CL準々決勝のためマンチェスターに乗り込んできたバイエルンは、2年前に香川が戦ったのとほとんど変わらない顔ぶれだった。オールドトラフォードで先発した11人のうち、実に8人はあの時も先発していた選手なのだ。

 そんなチームに、マンチェスターUはサンドバッグにされた。もちろん、彼らにも何回かチャンスはあり、ちょっとしたツキがあれば勝つことだって不可能ではなかったが、それは、あくまで結果だけのこと。内容でバイエルンを凌駕(りょうが)するのはほぼ不可能だということは、他ならぬ赤い悪魔の選手自身が痛感したことだろう。

 特に、香川真司は。

 だから、わたしだったら目がくらむほどの衝撃を受け、かつ、鳥肌が立つほどの興奮を覚える。

 選手は、チームは、かくも短期間にかくも大きくかわることができるのか。中堅、ベテランの域に達しつつある選手でも、それまでのサッカー人生とはまるで違うタイプに生まれ変わることができるのか――。

 グアルディオラに率いられたバルセロナが世界を席巻していたころ、強さの秘密として必ずや語られたのが下部組織、いわゆるカンテラの存在だった。小さいころからバルサの哲学に親しんできた選手たちが、次から次へと生まれてくる。ゆえにバルサは強く、美しい。それが、わたしも信じたサッカー界の常識だった。

 だが、14年4月1日を境にそれが変わるかもしれない。

 バイエルンというチームは、世界中のほとんどのチームがそうであるように、いろんな国、地域からの寄せ集めである。実際、1年前までの彼らは、よくある好チームにすぎなかった。

 ところが、そんなチームであっても、指導者次第では伝説的な存在へと変貌しうることを、バイエルンとグアルディオラは証明しようとしている。

 バルセロナのようなサッカーは、バルセロナでなくてもできる、ということを。たとえば、日本でも。

<この原稿は14年4月3日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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