Jリーグが発足した当時、その成功を確信していたのは、日本人よりもむしろ外国人だったような印象がある。
 彼らが成功を信じる理由は、いたってシンプルなものだった。曰く、日本は経済で成功した。だからサッカーでも成功する――というものだ。我々は日本人である、ゆえにできない……という劣等感を発想の原点としていた身には、君たちは日本人である、ゆえにできる……という論理が、にわかに信じられなかった記憶がある。
 幸い、Jリーグはまずまず成功し、日本代表はW杯の常連となった。もはや「農耕民族たる日本人にサッカーは向かない」などとのたまう御仁もいなくなった。

 ただ、昔を思えば信じられないような高みに到達したという実感は抱きつつ、わたしの中にはくすぶり続けた不満があった。

 日本人らしさが、見えない。足りない。感じられない。
 ドイツのサッカーを見る時、わたしはそこにメルセデスやポルシェをだぶらせる。バッハの音楽を思い出す。重厚で、パワフルで、極めて論理的なプレースタイルは、ドイツの精神が生み出してきたものと当然のことながら似通っている。

 アルゼンチンの情熱、ブラジルの奔放、イタリアの美しさと脆さ――時折例外はあるにせよ、基本的にその国のサッカーはその国のイメージそのものである。

 海外の人たちは、日本人を勤勉だという。組織的だとも、緻密だとも、正確だともいう。だが、代表チームを含めた日本のサッカーに、わたしは日本をあまり感じなかった。監督が代わるたびに根幹までが変わってしまう。いったいこのサッカーのどこに、セイコーの緻密さやプリウスの先進性を見いだせばいいのか。そこが大いに不満だった。

 だから、しびれた。リトルなでしこの戦いぶりに、心底しびれた。彼女たちが展開したのは、日本人が、外国人がイメージする日本そのものだった。日本企業が、和食が、アニメが、つまりありとあらゆる日本人が作り上げてきた日本のイメージを、彼女たちはサッカーで表現してくれた。

 そして何より、彼女たちは日本が世界一になることをまるで疑っていなかった。世界に挑戦して栄冠を勝ち得たのが先輩なでしこだとしたら、彼女たちは世界を征服しにいき、かつ、見事にそれをなし遂げた。世界の女子サッカー界は、バルセロナの出現以上に衝撃を受けているはずである。

 サッカーの歴史では、ごくまれに「敗れても評価は揺るがない」というチームが出現する。コスタリカで世界の頂点に立った日本代表は、まさしくそういう存在だった。

 空前の快挙である。

<この原稿は14年4月10日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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