最初、わたしには意味がわからなかった。なぜ2人の若者が親しげに笑っているだけの写真が、スポーツ新聞の1面トップに来るのか。たとえその2人が、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったラウルとデラペーニャであっても、である。
説明してくれたのは、語学学校の先生だった。
「この街には、祖父が、父が、あるいは自分がフランコ政権によって迫害された人たちがたくさんいる。だから、フランコが愛したレアル・マドリードの選手と、カタルーニャの象徴であるバルサの選手が仲良くしている写真は、多くの人たちにとって衝撃的なのだ」
あれから20年近くの月日が流れた。地域同士の確執があるがゆえ、代表チームがクラブほどの成績を残すのは不可能と言われていたスペインは、いまや自他ともに認めるサッカー大国となった。個人的にはブラジルでの連覇はまずないと見ているが、それでも、有力候補であることは認める。
なぜスペインは強くなれたのか。地域の確執が消えたわけではない。依然としてバルセロニスタは白を憎み、マドリディスタは青とエンジをあざ笑う。ただ、日本人からすると度を超えていたように思えた感情のぶつけあいが、依然として緊迫したレベルではあるものの、スポーツの世界にかろうじて納まりそうなレベルに落ち着いてきたことも、代表の戦力アップと無関係ではあるまい。少なくとも、最近はファンが豚の生首をピッチに投げ込むようなことはなくなった。
ただ、それでもわたしは懐疑的だった。
4月25日、昨シーズンまでバルサの監督を務めていたティト・ビラノバ氏が亡くなった。45歳だった。バルセロニスタが悲しみに暮れるのは予想できた。パートナーだったグアルディオラが監督を務めるバイエルンが黙祷を捧げるのも想定できた。
だが――。
レアル・マドリードは祈りを捧げるだろうか。若くして命を落とした宿敵の指揮官に彼らがどんな反応をみせるのか。そのことでスペインという国のいまが見えるのではないかと思っていた。そして、おそらくは「ない」のではないか、と。
予想は、完全に裏切られた。
週末のリーグ戦、チームはキックオフ前に黙祷の時間を設けた。選手はもちろん、観客も静寂の時を作り出した。
以前のスペインであれば、実現不可能だったはずの一瞬を、21世紀の彼らは生み出してみせた。
たかが黙祷。けれども、わたしにとってはスペインの変化を改めて痛感させられる黙祷だった。
<この原稿は14年5月1日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから