巨人−広島の6回戦(4月27日)は、内海哲也と前田健太の両エースによる、素晴らしい投手戦だった。延長10回まで0−0で進み、11回裏、ブラッド・エルドレッド(広島)のサヨナラ3ランという試合だったので、ご記憶の方も多かろう。
 ところで、この試合の3回表、巨人の先頭打者、橋本到の時、こんなシーンがあった。カウント2−2からの5球目。前田はこの日走っていたストレートで勝負に出る。ところが、ド真ん中高目に入ってしまう。好調橋本が逃すはずもなく、鋭くスイングすると、打球はものの見事なライナーのピッチャー返しとなって前田を襲う。わっ、みぞおちあたりを直撃か、と思った瞬間、ひょいと腹部をひっこめて衝撃をやわらげ、グラブでキャッチ。さすが、マエケンの運動能力、と球場全体がどよめく。

 テレビ解説だった槇原寛己さんは、すかさずこう言った。正確に再現します。
「一番ぼくが懸念していることは、飛ぶボールの、これなんですよ。要するに反発が、すごく初速が速いんでね。ピッチャーが危険じゃないかなと思っていたんですがね。マエケンは投げ終わった後の姿勢が捕球体勢になるんでしっかり対応できましたけど、他の選手では球に当たったりすると本当に怖いですからね」
 投手出身ならではの、実感のこもったコメントである。

 4月10日に発覚した、飛び過ぎる統一球の問題について、ここで議論を蒸し返すつもりはない(29日からは適合球を使用、とされている)。ただ、少なくとも、「どのチームも平等なんだからいいではないか」とか「得点が入ったほうが観客が喜ぶ」といった主旨の「飛ぶボール擁護論」はやめたほうがいい。「別に関係ないです」とか「我々は与えられたボールで戦うのみ」といった類の一部の監督や選手のコメントも同断である。槇原さんの解説を聞いただけでも、それは無責任な言い方だと、容易に理解できるはずだ。

 ボールの反発係数は、明らかに野球の質を左右する。定期的にチェックし、それを情報公開することはNPB(日本野球機構)の義務といってもいい。さらに、あるべき反発係数を、どこに設定すべきかという議論も継続することが必要なのではあるまいか。日本がどのような質の野球を志向するのかということと直結するのだから。

 リリーフする松坂の沈むストレート

 ボールの話になると、メジャーリーグに触れざるをえない。彼の地のボールは、日本製に比べて粗雑で、滑りやすいそうだ(たとえば、4月27日TBS系「サンデー・モーニング」での山田久志さんの発言)。ヤンキースのマイケル・ピネダが首筋に松ヤニをつけていたのが発覚して退場処分になった時など、向こうでは滑るから実は少々は大目に見られているが、ピネダは露骨にやり過ぎた、という論調が大半を占めた。でも、飛ばなかった2011〜12年の日本の統一球よりも飛ばない、らしい。これもまた、ベースボールと野球の違い、ということでしょうか。

 話はボールから離れる。実はメジャーで最近、気になる日本人選手がいる。田中将大(ヤンキース)じゃないですよ。松坂大輔である。彼は、今季はメッツに在籍している。開幕はメジャーリーグではなかったが、3Aで好投を見せ、昇格を果たした。そして、なんと、リリーフで起用されている。

 監督はかつて、鳴り物入りでオリックスの監督に就任し、悪いけどパッとしなかったテリー・コリンズだ。このコリンズおじさんが、ダイスケを8回か9回で起用することを思いついたらしい。
「彼が5回、8時15分のあたりで消耗しているのは見たくない」
 とおっしゃったとか。なんだか、自らの“名将願望”に酔っているような言葉ではある。

 松坂は、もはや横浜高校の松坂ではない。西武(現埼玉西武)の1、2年目の松坂でもない。メジャーリーグに行って、おそらくは滑るボールや硬いマウンドと悪戦苦闘し、11年には右肘靭帯再建手術も受け、投球スタイルはまったく変わってしまった。昔のグワンと伸びる剛速球ではなく、ストレートは145キロくらいで、すべて動く系統。伸びるというよりは沈むように見える。つまり、ストレートは日本式からメジャー式に変わった。

 そして、変化球を根気よく投げてアウトを取る。三振に過剰な意味は見出さない。レッドソックスで三振をバッタバッタと取った投球スタイルとも、WBCでMVPになった姿とも違う。だが、ついに4月24日のカージナルス戦では初セーブも挙げた。本人は先発に戻りたいようだが、実は、今の姿は感動的である。

 新鮮に映る再生した松坂

 松坂は、メジャーリーグという怪物に消費され尽くしてきた。もちろん応分の収入は得ただろうけれども、投手としての松坂を消費し、それで成り立った試合で、メジャーの強打者たちは激しく打ち合い、多くの観客を楽しませてきた。メジャーとは、よほど傑出した投手が出現しない限り、投手が作った試合を舞台として、強打者たちが躍動するシステムである(これについては、論じ始めると長くなるが、一例を出しておこう。松坂のレッドソックス時代、確かにエースのジョシュ・ベケットもクローザーのジョナサン・パペルボンもいたけれど、最高のスターは“ビッグ・パピー”こと強打者のデヴィッド・オルティスだった。ベケットはチームを去ったが、オルティスは今季もレッドソックスのスーパースターであり続けている)。

 だが、今の松坂を見ていると、巨大なシステムに消費され尽くした後、再び誕生してきた存在に見える。もはや、消費されるための才能ではない。自分を証明するための、自立した個である。あるいは、力である。それを目撃することは、一種の感動である。

 佐々木主浩さんは、こう論評した。
「ある程度、長いイニングを投げさせて力を発揮するタイプで、お世辞にも(クローザーが=引用者)適任であるとは言えないだろう」(「日刊スポーツ」4月25日付)
 おそらく正論である。なにしろ、テリーおじさんの思いつきに端を発したことなのだ。もともと先発投手のタイプに決まっている。

 おそらく、今、彼を肯定的に評価する人は少ないだろう。私とて、西武でのプロデビュー戦で、1回に片岡篤史(当時日本ハム)から三振を奪ったあの155キロのうなりを上げるストレートこそが松坂である。投げ終わった右腕が踏み出した左足の膝にからみつくようなフォロースルーが松坂である。――そう思えば、重心も高く、腕の振りも小さく、やや手投げにさえ見える今の松坂には、失礼ながら、もう未来はないのではないか、と言いたくなる。露骨にいえば、彼は終わったのであり、今は、ダルビッシュ有(レンジャーズ)であり、田中でしょう、というわけだ。

 だが、リリーフする松坂には、なぜか、そういう閉塞感ではなく、ある種のすがすがしさがある。希望といってもいい。かつて彼が背負い続けた日本中からの期待感は、今や消え失せた。たぶん、そこがいいのだ。三振とか豪球とか、そういう物語を身にまとって投げているのではない。もっとシンプルに、ただ、目の前のひとつのアウトを重ねていく。あるのはそれだけ。すがすがしさは、あるいは、ここに発しているのかもしれない。

 だから、中継ぎでもクローザーでも、かまいはしないのだ。今は、メジャーリーグで、ダイスケがひとつアウトを重ねることが、観る者に新鮮な快感を与えるのだから。なぜ新鮮か。消費し尽されたその後で、再生した存在だからである。

 田中は、期待通りの活躍を見せている。未だに(5月2日現在)、去年からの不敗神話が続いている。もちろん、彼はかつて松坂が背負った物語を一身にまとっている。ただ、一抹の不安はある。あんなにスプリットを投げ続けて、もつのだろうか。4月28日のエンゼルス戦で、3打数無安打1四球だったエンゼルスの主砲アルバート・プホルスの言葉は記憶しておいてもいい。
「スプリットが多い。でも、それだけじゃないかな。日本人投手はみんなほとんど一緒だよ。ダルビッシュも岩隈(久志)も」
 もちろん、抑えられた負け惜しみもあるだろう。

 間違いもある。ダルビッシュは、明らかに「スプリットが多い。それだけ」の投手ではない。それに、岩隈(マリナーズ)のフォークは「それだけ」かもしれないが、なかなか打たれない。とはいえ、今のかたちでいくと、結局、田中も、かつての松坂のように、メジャーに消費され尽くしてしまうのではないか、という可能性に(おそらくは無意識に)触れたコメントと言えるだろう。

 ビデオ判定による共通感覚の衰退

 メジャーは今季、さらに新奇なものを導入した。「チャレンジ制度」である。つまり、審判の判定に対して、監督はビデオ判定を要求できる(その結果、判定が覆った場合は、再度この権利を行使できる)というもの。テニスなどで導入されているやつですね。超高性能のビデオらしいので、100分の1秒くらいまでわかるのかもしれない。

 ビデオ判定における「アウトの定義」というものがある。「アウトになるのはボールがグラブの奥の革部分に当たった時」(「スポーツニッポン」4月22日付)、という規定で判定するらしい。つまり、ボールが一塁手のグラブに入っていても、まだ奥の革部分に到達していない時に、打者がベースを踏んだらセーフ、ということなのでしょうね。

 うーん、やはり、どこかバカバカしいでしょう。アウト、セーフは、審判、選手、観客含め、何千何万というケースを経験して、ある種の共通感覚として成立するものではないか。その感覚に基づいて、審判が決定権を持つ。この感覚よりもデジタルな情報を優先すれば、やがては現在、高度に成立しているはずの共通感覚は衰退していってしまう。野球は(ベースボールはと言ってもいいが)デジタルな情報で画面を満たしてテレビ観戦するスポーツではない。よもや、このような制度が、日本野球に導入されることのないよう、切に祈る。

 問題は、アメリカで通用することではない。日本野球にあっても、メジャーリーグに移っても、その舞台で、新鮮な存在であり続けることであると、松坂は教えてくれる。ボールの問題にせよ、判定の問題にせよ、明らかにプレーの質を直接的に左右する重大な問題である。そのようなシステムに関するNPBやMLBの思慮のない決定が、プレーの新鮮さを阻害する要因には、決してなってはならない。日米ともに、経営者の明敏な感覚が問われている。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者
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