今年4月に行なわれた競泳日本選手権。そこには1年前とは違う表情の渡部香生子がいた。15歳でロンドン五輪(2012年)に出場した渡部は、4年後のリオデジャネイロ五輪でのメダル獲得に大きな期待が寄せられている。しかし、昨年の日本選手権では五輪で出場した200メートル平泳ぎでまさかの予選落ちをし、周囲を驚かせた。そんな渡部が今年は一転、100メートルと200メートルの平泳ぎ、200メートル個人メドレーの3冠に輝いた。特に、平泳ぎはともに高校新をマークしての初制覇。ロンドン五輪メダリストの鈴木聡美をおさえての価値ある優勝に、「渡部時代の到来」もささやかれている。その渡部の躍進を語るうえで欠かすことのできない人物がいる。竹村吉昭コーチだ。
 竹村が、新天地を求めていた渡部のコーチに就任したのは、昨年5月のことだった。彼女の存在は世間が注目する前から知っていた。竹村が勤め、渡部が通うJSSスイミングスクールの合同合宿では実際に泳ぎを見たことがあったからだ。

「練習に集中できるようになれば、もっと強くなれるだろうなぁ」
 竹村の目には、そんな風に映っていたという。
「頭角を現し始めたのは、中学2年生の時くらいからかな。直接指導はしていませんでしたが、見た目にも、泳ぎにキレが出てきたというか、スピードが上がっていました。ただ、当初はまだ練習にムラがあった。集中が切れると、ブスッとした表情をするから、すぐにわかるんですよ(笑)」

 弱さを自覚した世界選手権

 実際、渡部の指導を始めると、ムラの原因がはっきりした。体力面とメンタル面の不足にあった。
「きつい練習を続けると、身体が疲れてくるでしょう。そこで頑張り通すことのできるスタミナも精神力もなかったんです。自分では頑張りたいのに、少し身体がうまく動かなくなると、面白くなくなって諦めてしまう。素直な性格の分、それが表情にも表れていた。でも、本人としてはほとんど気づかず、無意識にやっていたんだと思います」

 そこで竹村は、渡部にこんな言葉を送った。
「辛い時こそ、笑顔でいよう」
 とはいえ、すぐに変えられるものではない。渡部の練習での態度に変化が訪れたのは、竹村が就任して半年近く経ってからのことだったという。きっかけのひとつは、7月から8月にかけて行なわれた世界選手権だった。大会初日、200メートル個人メドレーに出場した渡部は、決勝進出には至らなかったものの、自己ベストを出し、調子の良さをうかがわせた。ところが翌日の100メートル平泳ぎでは、一転、自己ベストから2秒も遅いタイムで27位と、予選敗退を喫したのだ。

 シーズンを終えて、竹村は改めて渡部にこんな質問をした。
「世界選手権の時も、確かに身体は疲れていたと思うよ。でも、(帰国後にあった)インターハイの時は、(初日の)100ブレ(100メートル平泳ぎ)で(1分)8秒58を出している。状態だけを考えれば、絶対に世界選手権だったよね。それでもインターハイより記録が出なかったのはどうしてだと思う?」

 すると、渡部はこう答えたという。
「やっぱり、(世界選手権では)気持ちの面で集中しきれていなかったんだと思います……」
 この時、渡部ははっきりと自分の弱さを自覚した。竹村はそう考えている。
「今のままでは、世界に通用しない。渡部は、そう感じたんじゃないかと思うんです」
 その後、渡部の練習態度は、徐々に改善されていった。

 殻を破った豪州遠征

 そして、渡部が大きな自信を得た出来事があった。今年2月末から3月にかけて行なわれた豪州での大会、渡部は100メートル平泳ぎ、200メートル平泳ぎ、200メートル個人メドレー、4×100メートルメドレーの4種目に出場し、3日間で計17レースをこなした。短期間でこれだけのレースを泳いだのは、渡部にとって初めての経験だった。竹村の狙いはどこにあったのか――。

「昨年、彼女は日本選手権でも世界選手権でも、同じ失敗をしているんです。つまり、1日目はうまく泳いでも、翌日になると力が出せなくなる。それでは勝てないことははっきりしていました。だからレースが続いても、いつも同じくらいの力を出せる体力や精神的強さが必要だったんです。そのためには、レースに出るのが一番いいトレーニングになるし、自信にもつながりますからね」

 すると、渡部は最も疲労が蓄積されているはずの最終日、個人メドレーで2分10秒65の日本新記録を出したのだ。
「確か13本目か14本目のレースだったと思います。そこで日本新の泳ぎができたわけですから、やろうと思えばやれるんだという自信になったと思いますよ」

 言葉かけひとつにも創意工夫

「竹村先生のおかげです」
 今年4月の日本選手権、3冠達成の要因を訊かれると、渡部は笑顔でそう答えた。竹村との信頼関係の厚さがどれほどのものなのかは、成績からも彼女の言葉からも伺い知ることができる。しかし、10代という最も多感な時期の女子を指導することは、決して容易なことではないはずだ。

 指導歴34年の竹村には、自らの経験に基づき、重要視していることがある。「一人ひとりを丁寧に見ること」だ。
「特に中学生や高校生の女子の場合は、『あなたのことをちゃんと見ていますよ』ということを示してあげることが大事かなと思いますね。全員に『今日はこういう練習をするから』とメニューを与えるだけでなく、そこからもう一歩踏み込む。『あなたはこうした方がいいね』『君の場合は、こうだよ』と、個別の対応が必要かなと」

 そしてもうひとつ、竹村が心がけていることがある。言葉かけだ。例えば、練習メニューを伝える時、竹村は「こうしなさい」「こうすべきだ」というような決めつけた言い方はしない。「こういうことができるといいね。じゃあ、こうしてみたらどうだろう」と、なぜそれをやるのか、その目的を提示しながら、あくまでも提案というかたちをとっている。その理由とは――。

「我々の年代と、今の若者とでは価値観がまるで違うんです。私たちは、とにかく頑張って頑張って、その先に何かを得ることができた。ところが今は、特に頑張らなくても手に入る時代。だから頭ごなしに『頑張りなさい』なんて言っても、『なんで?』となるわけです。大事なのは本人が『なるほど。じゃあ、ちょっと頑張ってみようかな』と思わせること。なぜ大事なのかを理解すれば、今の子たちは一生懸命やってくれますからね」
 こうした竹村の指導力が、渡部の躍進を陰で支えたのである。

(後編につづく)

竹村吉昭(たけむら・よしあき)
1955年8月28日、京都府生まれ。大阪体育大学体育学部出身。1979年、株式会社ジェイエスエスに入社。翌年、新潟へ移転し、新規校オープンにかかわる。91年、当時小学6年だった中村真衣を指導。以後、15年にわたって指導を行い、アトランタ、シドニーと五輪2大会連続出場に導く。中村はアテネで背泳ぎ100メートルで銀メダルに輝いた。また、種田恵を08年北京五輪出場に導く。昨年5月より渡部香生子を指導している。

(文・写真/斎藤寿子)
◎バックナンバーはこちらから