カッコいいなぁ、グリエル。横浜DeNAに新加入したユリエスキ・グリエルである。ご存知のように、「キューバの至宝」と呼ばれる内野手だが、キューバの政策もあって、日本のプロ球団と契約することが可能になった。キューバと言えば、巨人のフレデリク・セペダやレスリー・アンダーソンもそうだけれども、グリエルはちょっと別格である。
 と言うと、異論がありそうだ。DeNAではそんなに大した活躍をしていないではないか。同じキューバ出身の選手なら、ドジャースのヤシエル・プイグの方がよほどすごいんじゃないの……。いいえ! と断じておきたい。この人には他の選手にはない何かがある。まずは、活躍したシーンから見ておこう。

 6月29日のDeNA−広島戦。広島の先発は野村祐輔だったが、1回裏無死一、二塁から、グリエルは外角スライダーをとらえて、センター前タイムリー。スライダーを、ごく自然に右方向にもっていった。これがよほどこたえたのか、3回裏の第2打席、野村はストレートの四球。明らかに、逃げていた。そして5回裏、2死一塁で打席にはグリエル。初球は内角低目にシンカー。ボール。これで野村はグリエルに5球連続ボール。さて2球目。内に一球はずしておいてから外の変化球、という勝負の外角スライダー。これをスカーンと打つと、打球は大きな弧を描いてレフトスタンドへ。一時は逆転となる4号ツーランとなった。

 いや、外国人選手の1本のホームランをもの珍しがっているわけではない。目を奪われるのは、そのスイングである。この人は、やや左肩を入れた構えで、顔をその肩に乗せるように構える。北京五輪やWBCのときもそうだったと記憶するが、ただ、肩の入り具合は少し深くなったように見える。ポイントは、その肩に乗せた顔が、みごとに投手に正対していることだ。

 ステップはするけれども、上げた左足がそのまま元の位置に着地するのではないかと思うくらい前に行く幅は小さい。ステップする以上、当然、体はわずかながら前に出るが、このとき、顔の位置がまったく動かないかのように見える。すなわち目の位置を一切動かさないまま、ボールを見る。そうして振り出されたバットの軌道は、実に前が大きい。すなわち、センター方向に向けて、体の前で大きく扇状の軌道を描く。これが、素晴らしくいいんですね。だから、当たれば打球は遠くへ飛ぶ。

 強打者に共通した境地

 この日、テレビ解説だった宮本慎也さんによれば、「(アテネ五輪や北京五輪で見た全盛期の頃は)見逃すと思ったところでバットが出てくる。それだけポイントが近くて力強くてすごいバッターだった」とのこと。ちなみに、宮本さんの解説は、個人的な感想を言わせていただくなら、いま一番的確で鋭いのではないだろうか。この解説を私なりに咀嚼すれば、目の位置を動かさないままステップして、ぎりぎりまで長くボールを見て、引きつけて、前に大きく振り抜く、ということだろう。

 ちなみに、「見逃すかと思ったところからバットが出てくる」という視点は、名選手を語る上でのひとつのカギになる。たとえば、西山秀二さんはこう証言している。イチローの究極の打撃技術にふれたあと、「“見逃しか!”と思った瞬間、急にバットがポーンと出てきて戸惑ったことがある。元中日監督の落合(博満)さんですわ。〔イチローと〕このふたりに共通するのは、ボールを最後まで見極めてから振りにいくこと」(二宮清純著『プロ野球 名人たちの証言』講談社現代新書。この本、面白いですよ)。もうひとつ、石井一久氏のバリー・ボンズについての証言。石井さんはドジャース時代、当時の最強打者だったボンズを比較的抑えていた。「ボンズは、見逃すのかなと思ったところから、いきなり左腕がアッパーカットのように出てくる」(記憶で書いているので、細部の表現はちがうかもしれません)。つまり、見逃すかというところからいきなりバットが出てくる、というのは、限られた強打者だけがたどりつける境地なのである。

 グリエルに戻ろう。もうひとつ特徴的なのは、外国人の強打者にしては、見るからに細身である点だ。決して、筋肉の鎧をまとったかのようなごつい体ではない。183センチ、89キロ。ちなみに30歳。顔も細面で端正。首も長く見える(かく言う私自身が首が長いので、首の長い人に好感を抱くという側面があるのは否定しないが〔笑〕)。ありきたりな表現になるが、力よりしなやかさ。しなやかさの中に潜在する力強さ、とでも言おうか。要するに打者として、スイングに気品があるのだ。

 例えば、今季、大ブレイクした外国人選手に広島のブラッド・エルドレッドがいる。一部のカープ女子に言わせると、彼はとてもカッコいいらしい。確かに、よく見るとハリウッド俳優のような二枚目である。しかし、打者としての彼は、ごつい体(196センチ、122キロ)を利して強烈な腕力で打球をブッ飛ばす。典型的なパワーヒッターである。エルドレッドの道の先には、例えば、メジャーリーグで言えば、アルバート・プホルス(エンゼルス)やミゲル・カブレラ(タイガース)がいるだろう。あえていえば、グリエルの道には、デレク・ジーター(ヤンキース)がいる。

 日本人選手が模倣すべきスイング

 日本人選手で考えてみよう。例えば、中田翔(北海道日本ハム)。日本代表でも4番に据えられるほどの、いわば期待の星である。大阪桐蔭高校1年で甲子園デビューした時の中田には惚れた。まだ若いしななかや体に下半身だけは大きく張りがあり、躍動していた。あれからもう9年もの月日が経った。今、日本ハムの4番を打つ中田は、もちろん当時と比べれば、大きく成長したであろう。体もごつくなった。鍛え上げた体から繰り出すスイングは確かに強くて速い。もっと言えば、物理的に強く、速い。野球をボールとバットの物理学ととらえれば、それで十分である。

 ただ、同じ日本ハムの選手で言うならば、打者・大谷翔平をとりたい。最近では、やはり6月29日の東北楽天−日本ハム戦だろうか。6回裏1死から、則本昂大のスライダーを振り抜くと、打球は大きな弧を描いて、ライトスタンドに飛び込んだ(もっとも則本の側から言えば、8回裏に148キロの渾身のストレートで三振を奪ってリベンジしている)。このスイングの軌道が体の内側からバットが出て、しかも前が大きい。だから、打球は大きな弧を描いて、高いところを飛ぶ。想像をたくましくすれば、中田のホームランがぐわーんと強烈な初速を与えられてぶっ飛んでいくのに対し、大谷のホームランは打球の弧の半径が大きくて、空中の高いところを飛んでいるのではあるまいか。

 大谷については、6月21日の広島戦にも触れておきたい。この日、3番DHで出場した打者・大谷は二塁打2本の活躍だった。どちらもものの見事な打撃だったが、とくに1本目が印象深い。3回表2死無走者。カープの先発投手・大瀬良大地の低めに落ちるカットボールを打つと、打球はセンター方向に飛んでいく。センター丸佳浩がぎりぎり追いつけるかどうかと思った瞬間、打球はぐいっともうひと伸びして、頭上を越えていった。なぜ、あのもうひと伸びが生み出せたのか。ここにこそ、並の強打者と大谷との違いがある。自然に体の内側から振り出されたバットは、グリエルのスイングに似て、前に大きな軌道でボールをとらえたがゆえに、打球は伸びたのである。あえて繰り返せば、スイングの強さではなく、前に大きいしなやかさゆえである。

 大谷の二刀流は、未だに賛否両論、かまびすしい。確かに究極の選択である。投手として20勝する可能性と、打者として3割5分、50本塁打打てる可能性(あくまで可能性ですよ)の、どちらをとるか、ということだから。そして多くの人は、20勝する方をとるべきだという。私なら、即座に3割5分、50本塁打の方をとる。別に、へそまがりなわけではないですよ。これはおそらく「文化」の問題である。日本野球は、根本のところで、投手中心なのだ。日本の社会が、そういう「文化」を育んできた。しかし20勝できる投手は今後も出現するかもしれないが、3割5分、50本の才能は、そう簡単には出てこない。少なくとも、21世紀もすでに十数年も過ぎた現在、日本野球にもそう考える「文化」があってもいいのではないだろうか。

 そして、グリエルのバッティングにも同じことが言える。体格、体力にすぐれた外国人選手のように、体に力をつけて強い打球を打つのか、それとも細身で敏捷な日本人の特徴を生かして、俊足巧打の野手をめざすのか。たとえば中田翔やT−岡田(オリックス)、あるいは阿部慎之助(巨人)なども前者に分類されるのだろう。後者は、あげればきりがないほど数多くいる。それが、これまでの日本野球の「文化」だったとすれば、今後、そこにグリエルのようなスイングを加味してもいいのではないだろうか。つまり、たとえ細身、非力であっても、力ではなく、前の大きいスイングで打つ、という「文化」を、これから根付かせてはどうか。折に触れ、日本人打者こそグリエルを目指すべきではないか、と言ってきたゆえんである。

 日本人選手が、エルドレッドや、あるいは昨季のウラディミール・バレンティン(東京ヤクルト)のようなスイングをするのは至難の業だろう。逆に、グリエルのような軌道のスイングを多くの打者が身に着けることならば、できるのではないか。たとえば、高校野球でそれが主流になっていけば、日本野球は緻密なだけではなく、これまでにない強打の野球文化を獲得することができる。そうすれば、これまでしばしば見られたことだが、WBCのような国際大会になるととたんに貧打に陥る、という可能性も低くなる。

 打者の気品というものは、物理的な力から生まれるのではない。そういう「文化」が研ぎ澄まされていった先に、スイングの軌道から生まれるのではないだろうか。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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