相当に稀なタイプの監督であることは間違いない。
「わたしは攻撃的な戦術は得意ではない」
 日本にやってくる前、アギーレ監督はメキシコのメディアにそう答えていたという。驚いた。
 というのも、世界のトップクラスの監督から市井の少年チームの監督に至るまで、実際にやっているサッカーは恐ろしく守備的であっても、自ら「守備的なサッカーを目指している」と口にする人はほぼ皆無だからだ。特に日本の場合、攻撃に関してはまったくの選手任せで、戦術どころか方向性すら打ち出せていない監督であっても、口を開けば「攻撃的なサッカーを目指してます」と平気で言い放つ。口では男女平等、でもその実は……というどこかの議員さんともよく似ている。

 それを思えば、いくら気心しれた地元のメディアが相手とはいえ、アギーレ監督の言葉からは相当の覚悟と、そして自信がうかがえる。攻撃的と守備的。どちらが好きかと問われて後者を選ぶファンはまずいない。わたしの経験でも「イタリアは守備的だから嫌いだ」という人には何回かあったことがあるが、未だかつて「ブラジルは攻撃的すぎて嫌いだ」という人には会ったことがない。

 もちろん、一言で攻撃的、守備的といっても、そのやり方は千差万別であり、中には攻撃的なサッカーを標榜しているだけのチームより、はるかに面白い守備を重視したチームもある。ドルトムントやザルツブルクといったチームは、守備に牙を持たせることで競争力とファンの支持を獲得している。

 だが、そんなチームの監督であっても、自分たちは守備的なチームだ、などとは言ったりしない。言うことによるメリットはほぼ何もなく、あるのはデメリットばかりだからである。

 実際、アギーレ監督が率いたオサスナやメキシコ代表が、特に守備的だったという印象はわたしにはない。亀のように守り、あとは前線の選手にすべてを託す……といった“アンチ・フットボール”と一線を画す監督であるのも間違いない。特別な才能に頼ることなく、自分たちがボールを保持する時間をできる限り長くすることで守備の機会を減らす。おそらくはそれがアギーレ監督の言う「守備的なサッカー」なのだろう。

 ではなぜ、彼はデメリットしかないように思える言葉を口にしたのか。言うことにおよるメリットは、本当に皆無なのか。

 いや、ある。

 どれほど世論が騒ごうが、流されない人物。ファンの支持を集めるスター選手にも容赦しない監督。勝敗の全責任は自分にあると考える男――戦う前にして、早くもそんなイメージがわたしの中に刻まれた。

 鉄の意志を持つ男――。

 現役時代の彼には何の魅力も感じなかったが、監督としては、ちょっと愉しませてくれそうだ。

<この原稿は14年8月14日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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