二宮: 14歳での金メダル獲得は日本五輪史上最年少。一躍、時の人となりました。戸惑いも大きかったのでは?
岩崎: 周りの注目度が一気に上がってしまって、最初はビックリしましたね。注目されると「まだ14歳なのに“今まで生きてきた中で、一番幸せ”とか偉そうに」といった批判も聞こえてくる。まだ中学生でしたから、それらを自分の中で納得させて消化させるのに時間がかかりました。

二宮: 岩崎さんとしては率直な気持ちを言葉にしただけだったのに、思わぬ方向に解釈されてしまったと?
岩崎: 正直、「大人は身勝手だな」と感じましたね(苦笑)。「今まで生きてきた中で」というのが、大袈裟にとられてしまったのかもしれませんが、生きてきたのが14年間であってもうれしかったり、幸せなことがあってもおかしくない。子どもだって、うれしいことや楽しいことがあるのに素直に表現するのはいけないことなのかなと疑問に感じました。この体験があったから、今、親の立場になってみて「子どもの気持ちを素直に認めてあげよう」との思いは強いですね。

 普通の女の子に戻りたかった

二宮: 金メダルは今も自宅にあるのですか。
岩崎: はい。イベントなどで見せてくださいと依頼されることもあります。特に子どもたちには、ひとりでもスポーツを身近に感じて目標を持ってもらいたくて、メダルを触ってもらったり、首にかけてあげたりしていますね。でも、金メダルを獲った直後は3年くらい見ないようにしていました。

二宮: それはやはり、注目されすぎてイヤな思いもしたからでしょうか。
岩崎: 「おめでとう」とか、そういう祝福はしばらくすると終わります。それから何年も続いたのはイタズラや無言電話です。留守電にして電話番号を変えざるを得ないくらいかかってきました。途中からはおもしろがって、たまに出てみるとビックリして切られてしまったり(笑)。

二宮: アトランタ五輪までの4年間は長く感じたでしょうね。
岩崎: それまで、単に負けず嫌いで姉の背中を追いかけて泳いでいた女の子が、いきなり、どこに行っても追いかけ回される。人に会えば声をかけられたり、サインを求められるんです。当時は存在を気づかれたくなくて、下を向いて歩いていました。泳いでいても「速くならなければ注目されなくなるのに」という気持ちがあるから、練習も集中できず、タイムが伸びない。

二宮: ちょっと古いたとえですが、キャンディーズが「普通の女の子に戻りたい」と解散宣言したように、普通の生活を取り戻したかったと?
岩崎: まさに、そうですね。ただ、バルセロナから2年後の世界水泳とアジア大会で代表入りを逃して、「自分は何をやっているんだろう」と我に返る瞬間がありました。そんな頃、バルセロナの前に中学1年で行った米国のサンタクララに遠征する機会をいただきました。当時、日本水連で競泳委員長をしていた青木(剛)先生が「もう1回、頑張ってもらいたいから」ときっかけを与えてくださったんです。同じ場所に行くと、「前回来た時は、今と違って純粋にがむしゃらに取り組んでいたな」と初心を思い出すことができました。

二宮: 苦しい時期を乗り越えての2大会連続出場。連覇は叶いませんでしたが、充実感はあったのでは?
岩崎: ものすごく達成感がありましたね。気持ちが前向きになってからはアトランタまでの2年間、日々、目標を持って過ごすことができました。その積み重ねで五輪の代表にも入れた。あのアトランタではマラソンの有森裕子さんが2大会連続メダルを獲って、「自分で自分を褒めてやりたい」とおっしゃっていましたけど、私も同じ心境でした。私はメダルに届かなかったので、有森さんはもっと大変だったんだろうなと思うと、ジーンとくるものがありましたね。それだけ、メダルを獲るのは過酷なことなんだと初めて気づかされたんです。

二宮: メダルを獲れなかったアトランタ五輪で、勝つことの難しさを知ったと?
岩崎: メダルを獲るには、何より競技に対して本気になって打ち込む覚悟が必要です。そして、そのためのプロセスを自分の中できちんと消化していくことが大事になる。2回目の五輪では、それがよくわかりました。アスリートとしては連覇もできず、メダルも逃したので「負け」です。ただ、人間としてバルセロナよりも成長できた自分がいた。その意味では「勝ち」と言える五輪だったととらえています。

 引退を決意したゲスト出演

二宮: 結局、これが最後の五輪となりましたが、もう1回、シドニーを目指す選択肢は心の中になかったのでしょうか。
岩崎: 全くなかったですね。自分自身は満足していました。一応、続けていれば新たな目標が見つかるかもしれないと競技は続けていましたけど、2年経っても気持ちが変わらない。そんな時、福岡で開催されたパンパシフィック水泳の中継にゲストとして招かれました。まだ現役でしたし、迷っていると、当時の日大の監督から「いい機会だからやってみなさい」と勧められたんです。現場に行くと、自分が出場できない悔しさはまったく出てこない。日本の選手たちを心の底から応援している。その瞬間、「競技者としては終わり」だと実感しました。

二宮: ロンドン五輪で銅メダルに輝いた寺川綾さんは、出場できなかった北京五輪の中継を「最初は見たくなかった」と振り返っていました。アスリートである以上、仲間といえども他の選手が活躍するのはおもしろくないものです。応援している時点で闘争心が既になくなっていたのでしょうね。
岩崎: 大学に戻って監督に引退の意思を告げたら、「水泳だけが人生じゃないから」とすんなり受け入れていただきました。それから大学を卒業するまでは、インカレの時に選手用のおにぎりをつくったり、裏方の仕事をしていましたね。大学生活も満喫できましたよ。

二宮: グラスも空きましたから、2杯目は「那由多(なゆた)の刻(とき)」をロックでいきましょう。
岩崎: ロックにすると、また香りがひきたちますね。そば焼酎がこんなにいい香りがするものだとは想像以上でした。飲みやすくて、本当においしいです。

二宮: ご主人と晩酌する機会はあまりないとのことでしたが、お酒は強いでしょう?
岩崎: 強いですね。ただ、主人はお酒そのものよりも、皆で集まってワイワイするのが好きみたいです。だから家よりも外で飲みたいんでしょう。

二宮: さて、世界の競泳界を見ていると、イアン・ソープ(オーストラリア)、マイケル・フェルプス、ライアン・ロクテ(ともに米国)と、どの泳法もハイレベルな“怪物”が現れます。日本からも、ようやく萩野公介のようなオールマイティーなスイマーが出てきました。これは突然変異のようなものなのか、それとも日本の育成環境が変わりつつあるのでしょうか。
岩崎: もちろん萩野君の素質が素晴らしいのは言うまでもありません。加えて環境がうまくマッチしたのでしょう。これまで日本は小さい頃から種目を絞って取り組ませる指導法でした。なぜなら、専念した方がタイムが出るし、好成績を収める可能性が高いから。それで他にタイムのいい種目があっても、やらずに芽を摘んでしまうんです。一方、米国では小さい頃はどんな泳ぎ方でも泳がせます。その中で急成長して“怪物”と呼ばれる選手が出てくる。幸い萩野君も瀬戸(大也)君も個人メドレーが主で、すべての泳法を練習する必要がありました。だから、今のように伸びてきたのでしょう。

二宮: ただ、たくさんの種目でレースに出場すると可能性が広がる半面、共倒れのリスクも伴います。フィジカルの強さはもちろん、最終的には選手の状態を見極めるコーチの能力も問われますね。
岩崎: 種目を絞りすぎても広げすぎてもいけないので、難しいところですね。今、萩野君を指導している平井(伯昌)先生は、リオデジャネイロを見据えて彼を試している段階だと思います。種目を絞らずに、いろいろ出場させて、どのくらいできるかを見ているのでしょう。一番の目標はリオでの金メダル。残り1年を切ったところで最終的に判断をするのではないでしょうか。

 親子で着衣泳を学ぶ機会を

二宮: 現在はスイミングアドバイザーとして全国の水泳教室やイベントに出かけて指導しています。少子化の時代、ひとりでも多くの子どもたちに水泳の楽しさを伝えて競技人口を増やしたいとの思いがあるのでしょうか。
岩崎: それもありますが、近年はマスターズ水泳も盛んで大人になって泳ぎ始める人も増えてきました。だから、幅広い年代に泳ぎを伝えていきたいなと考えています。もうひとつ、最近、重要だと感じているのは、自分の命を守るための泳ぎを教えること。特に着衣泳には力を入れていきたいですね。

二宮: 着衣泳は非常に大事です。欧米では水難事故を防止するために競泳よりも着衣泳に力を入れている国もあります。岩崎さんのような金メダリストが指導するとなると影響力も違ってくる。
岩崎: 私も子どもを産んで、命の大切さをより感じるようになりました。だからタイムが速くなることよりも、まずは自分の命を守れる泳ぎを身につけてほしいんです。学校やスイミングスクールで着衣泳の練習をする機会を設けてほしいと願っています。

二宮: 大賛成です。東日本大震災で起きた津波をはじめ、海に囲まれている日本ではいつ、どこで水の事故に遭うか分からない。その際、裸や水着で泳ぐことは、ほとんどありません。着衣泳こそイの一番に教えるべきでしょう。
岩崎: 実は私自身も10年ほど前まで、着衣泳については詳しく知りませんでした。たまたま、あるテレビ番組で実際に着衣泳をする機会があり、その時に初めて、きちんと教わったんです。大人が知らなければ、当然、子どもにも伝えることはできない。それから、いろんな水泳教室やイベントで着衣泳の話をしてきたのですが、たいていは「いや、岩崎さんには速くなる泳ぎを教えてほしいんですよ」と言われてしまう。着衣泳をすると「プールが汚れる」と難色を示す関係者もいるんです……。

二宮: 悲しい現実ですね。競泳だけでなく、着衣泳を教えられる人材をもっと増やして、その重要性を広く伝えていく必要もあるでしょう。
岩崎: 鈴木大地さんと震災後に対談した時に、「水泳をやっていた人間として、着衣泳をもっと広めていれば……」とおっしゃっていました。私も同じことを感じていたので、今は所属事務所にも協力してもらって着衣泳を親子で教える機会をつくっています。まだ、なかなか人が集まらないのが現状ですが……。

二宮: 1年に1回でも2回でもいい。たとえ競泳が苦手でも、着衣泳の練習をするのとしないのとでは緊急時の対処がまったく違ってくるはずです。
岩崎: そうなんです。水が怖いと、どうしても人間は力を入れてしまう。これでは体はどんどん沈んでいく。でも、うまく力を抜けば浮いてくれます。そういったコツを知っておくだけでも、いざという時には役立つはずです。

二宮: 自然の猛威の前には人間はひとたまりもありません。着衣泳の指導は、海や川、山といった自然とどう向き合うかといった視点を持つことにもつながるのではないでしょうか。
岩崎: 以前、テレビ番組のロケで山梨の川の上流に向かって山登りをしたことがありました。すると、川遊びをした後で、そのままビーチサンダルで上流まで登ろうとしている人がいました。いくら水辺とはいえ、とても危険です。でも、スニーカーだと万が一、川に落ちても溺れにくい。そういったことも教えていく必要がある。着衣泳の指導は私のライフワークとして、今後も取り組んでいくつもりです。

二宮: 最後に、これだけは聞いておきたかった質問があります。「今まで生きてきた中で、一番幸せ」なお酒は?
岩崎: やはり、仲のいい人たちと楽しく飲んでいる時が一番幸せですね。そのお酒がおいしければ、なお幸せです。「那由多(なゆた)の刻(とき)」はすごくおいしかったので、また、みんなと飲む席で楽しみたいと思っています。

(おわり)

岩崎恭子(いわさき・きょうこ)
1978年7月21日、静岡県生まれ。5歳より姉の影響でスイミングスクールに通い始める。14歳で出場したバルセロナ五輪、女子200メートル平泳ぎで、日本人史上最年少で金メダルを獲得。当時の日本記録を更新する2分26秒65をマークする。続くアトランタ五輪にも2大会連続の出場を果たした。98年に競技引退後は米国へ児童の指導方法を学ぶために留学。05年には日本赤十字社の幼児安全法支援員、日本水泳連盟の基礎水泳指導員の資格を取得。現在は水泳指導や水泳の楽しさを伝えるためのイベント出演を中心としながら、メディアやトークショーへの出演などを精力的に行っている。シドニー、アテネ、北京、ロンドンの各五輪ではオリンピアンの視点で情報を発信するアスリートキャスターとしても活躍。11年3月に第一子を出産し、母親としても日々奮闘している。
>>オフィシャルブログ「ことばのしずく」



長期に渡り、樫樽の中で貯蔵熟成した長期貯蔵の本格そば焼酎「那由多(なゆた)の刻(とき)」。豊かな香りとまろやかなコクの深い味わいが特徴。また、ソーダで割ると樫樽貯蔵ならではの華やかなバニラのような香りとまろやかなコクが楽しめます。国際的な品評会「モンドセレクション」2014年最高金賞(GRAND GOLD QUALITY AWARD)受賞。

提供/雲海酒造株式会社

<対談協力>
おうどん銀座うらら
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営業時間:
朝食   7:00〜10:00  
昼・夕食 11:30〜04:00(L.O.03:00)月〜金  
      11:00〜22:00(L.O.21:00)土・日・祝

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 岩崎恭子さんの直筆サイン色紙を長期貯蔵本格そば焼酎「那由多(なゆた)の刻(とき)」(720ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「岩崎恭子さんのサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は10月9日(木)までです。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。
◎クイズ◎
 今回、岩崎恭子さんと楽しんだお酒の名前は?

 お酒は20歳になってから。
 お酒は楽しく適量を。
 飲酒運転は絶対にやめましょう。
 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成:石田洋之)


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