田村尚之(トレーナー)<後編>「平井門下生の活躍にトレーニングあり」
「これまでいろいろな競技のトレーニングを見てきましたが、平井(伯昌)先生のようなコーチは皆無に等しいですよ」
北島康介をはじめとする世界のトップスイマーを育ててきた平井に対し、トレーニング指導員の田村尚之は尊敬の念を抱いている。それはトレーニングに対する平井の驚くほどの熱心ぶりにあった。
「コーチは毎日、選手ひとりひとりの練習プログラムをつくらなければいけません。ふつうはそれだけで精一杯のはずなんです。ところが、平井先生は睡眠時間を削り、プログラム作成の時間をスライドさせてまで、トレーニングの時間も選手に付き添う。今は大学の仕事もあってなかなか来られなくなりましたが、以前は毎回トレーニングルームに顔を出していましたよ」
そんな研究熱心な平井の存在があったからこそ、競泳界ではタブーであったウエイトトレーニングの成果が競泳に結びつき、北島らメダリストが誕生した。田村はそう考えている。
競泳選手を初めて指導する田村にとっても、トレーニングルームに毎回現れる平井の存在は大きかった。
「平井先生は水中練習の時の動きや様子について、いろいろと教えてくれるんです。だから私も選手の気になる動作に対応しやすかった。『トレーニングではこういうところが変わってきているんですけど、もしかしたら水中ではこういう動きをしていませんか?』と聞くと、『そうそう、その通り』なんてことも少なくありませんでした。お互いにフィードバックし合って、情報を共有していたのが大きかったですよね。『じゃあ、トレーニングではこうしていきましょうか』という話がすぐにできましたから」
平井からのフィードバックによって、田村は競泳について深く知ることができ、そのために効果的なトレーニング方法が生まれたことも少なくなかったという。平井との毎日やりとりの中で、新たなものをつくりあげていくという作業は、田村にとっても刺激的であった。
新たな試みによる新たな発見
平井という指導者は決して現状で満足することはない。より高みを目指し、さらに新しいことにチャレンジする。北島のアテネに続いて、北京での2大会連続2冠達成という偉業は、指導者である平井の人一倍強い探求心なしに語ることはできないだろう。
実際、アテネで2冠達成後、北島のトレーニングは変化している。アテネまでは全体的な筋力を強化し、ベースアップを図ることがテーマだった。そのため、ベースの筋肉をつけることを優先に考え、その分、オーバーワークにならないように水中練習を多少抑えていたところがあった。しかし、北京に向けては技術的なレベルアップも必須だった。鍛えた筋力を、いかに泳ぎに結び付けるかが課題だったのだ。そのためには水中練習の割合を増やすことが必要だった。とはいえ、トレーニングが重要であることに変わりはない。
そこで田村と平井は話し合い、トレーニングの回数を、それまでの週2回から3回に増やすかわりに、1回1回のボリュームを落とし、翌日の水中練習に影響を及ぼさないようにした。そうすれば、水中練習の回数も増やすことができる。さらに水中練習の前に行なわれる陸上トレーニング(ドライランド)のボリュームを増やし、腕立て伏せや腹筋だけではなく、ダッシュ系やジャンプ系のトレーニングを入れた。トレーニングルームで削られたものをドライランドで補ったのだ。
「ダッシュ系やジャンプ系のトレーニングをプールサイドでのドライランドで行なうことでメリットもあったんです。トレーニングをすると、神経が活性化されて筋肉と神経の連携が促進されます。つまり、神経からの信号がダイレクトに筋肉に伝わる状態になるんです。その状態で水中練習に入るので、身体がとてもいい状態で泳ぐことができる。実際にやってみたら、そういう効果もあったんです」
平井の探求心が、またひとつ、日本競泳界に新たな発見を呼び起こし、北島らメダリストたちの礎となったのである。
中村礼子をトップへ押し上げた“連動性”
平井のもと、田村のトレーニング指導を受け、五輪の舞台で花を咲かせたのは北島だけではない。中村礼子、寺川綾もそうだ。アテネ、北京と2大会連続で、女子背泳ぎ200メートルで銅メダルを獲得した中村が、北島とともに平井の指導を受け始めたのは、2003年のシーズン後のことだった。翌年に控えたアテネ五輪の選考会を兼ねた日本選手権まで半年を切っていた。当時の中村の印象について、田村はこう語る。
「とにかく普通の女の子という感じでした。今も語り草となっていますが、JISS(国立科学トレーニングセンター)に入ってくる時も、受付の人に『一般の人はここには入れないですよ』と言われたくらいだったんです(笑)。そんな彼女が平井先生の指導を受けに来たのは03年の11月か12月の頃。それまでほとんどウエイトトレーニングはしていませんでしたから、他の選手同様、筋力が少なかったですね」
そんな中村の最大の課題はスタートだった。その原因は筋力不足と、非効率な身体の動きにあった。トレーニングではスタートに必要な下半身のパワーを強化するため、スクワットやスナッチをメインとした。ところが、両足を折り曲げた状態から伸ばす際、ヒザと股関節が連動した動きをせず、ヒザはヒザ、股関節は股関節と、伸ばすタイミングがバラバラだったのだ。それでは下半身の力を効率よく発揮することはできない。つまり、「1」(ヒザ)と「1」(股関節)のものを、足して「2」の力にかえることができていなかったのだ。田村による細かい指導のもと、中村は徐々にヒザと股関節をうまく連動した動きを身に着け、加えて筋力やパワーも上げていった。
中村に対し、田村が最も懸念していたのは、トレーニングによるデメリットが出ないかどうかだった。
「彼女も、当時の競泳選手としては例外にもれず、ほとんどウエイトトレーニングをしてきていませんでした。また、彼女の場合は全ての練習環境が変わったわけですから、緊張もある。そんな彼女に、しっかりと年月をかけて積み上げてきた康介と同じことはさせては、負担が大きすぎると思ったんです。もちろん、いい結果を生み出すかもしれない。でも下手したら、疲労が原因で、泳ぎ自体がグチャグチャになることもある。それだけは避けなければと思いました」
そこで日本選手権までの期間も考慮し、平井との相談のうえ、田村は中村の課題だったスタートやターンにフォーカスすることにした。下半身の筋力を即効的に上げるのではなく、動きの効率性を高めることで、蹴る動作の改善に結びつけようと考えたのだ。それが功を奏した。実際、田村自身も「どこまでタイムが伸びるのかは未知数だった」が、100メートル、200メートルで2冠を達成し、アテネ五輪の切符をつかんだ日本選手権での泳ぎを分析した結果、彼女のタイムを伸ばしていたのは、スタートやターンだったのだ。
「レースを分析したところ、泳ぎ自体のスピードは変わっていないんです。何が良かったかというと、スタートやターン。バサロで15メートル付近で水上に上がってくるまでのタイムが縮まっていた。それが勝因となっていたんです」
疑問から確信へ。筋トレへの信頼
一方、09年から平井の指導を受けるようになった寺川は、ウエイトトレーニングを避けるようなところがあった。実は、彼女は平井に師事する前、米国でトレーニングをしていた時期があった。その時のことがトラウマとなっていたのだ。
「もともと彼女には側彎があって、背中の動きが左右非対称なんです。それで向こうのストレングスコーチに『左右対称となるように、トレーニングをしてバランスを整えましょう』と言われて、結構厳しい筋力トレーニングをやったんだそうです。ところが、泳ぎがめちゃくちゃになってしまった。それで彼女の中では『ウエイトトレーニングは私の泳ぎをダメにする』というイメージがあって、平井先生のチームに合流した時にも、はっきりと『トレーニングはやりたくない』と言っていました」
そんな寺川が、ウエイトトレーニングの効果について信頼を置くようになったのは、1シーズンを過ごした後だったという。競泳では、4月の日本選手権に向けて、シーズンオフの1〜3月に記録会に出場することが多い。平井も同じだが、違うのはトレーニングを休ませないことだ。ふつう、レース期間中はオーバーワークを避けるために、ウエイトトレーニングを抜くことが多い。ところが、平井はレース直前に1回休むくらいで、あとはいつも通りにやらせるのだ。もちろん、選手には疲労感がたっぷり残る。ところが、そんな中でも自己ベストを出すのだという。すると選手は「こんなに疲れているのに、なんでベストが出るの?」と疑問を抱く。そしてそれが続くと、今度は「トレーニングすると疲労は残るけど、それをかき消すくらいの効果があるんだ」ということに気づいていくのだ。寺川もそうだった。
田村はその理由をこう語る。
「それまでの競泳界では、疲労をしっかりと抜いた状態でレースに臨むというのがテーパリングのかけ方だったんです。でも、その頃の平井先生は違う考えを持っていた。というのも、疲労を抜くということは、練習量を落とさなければいけなくなる。そうすると、技術を維持する力が弱まってしまうんです。そういう状態で試合に出すよりは、多少の疲労があったとしても、技術のレベルを高いままキープした状態でレースに出る方がメリットがあると。それに予選から数えて1日2本も3本も泳ぐわけですから、疲労を残さずに決勝に臨めることなんてないわけです。それに耐え得る持久性が必要になる。そう考えれば、トレーニングは重要になってきます」
このように、田村はこれまでいくつも競泳界の定説を覆し、新たな風を吹き込んできた平井とともに、トレーニングを指導してきた。その経験が今、田村にとっても大きな財産となっている。
「平井先生でなければ、ここまでやれなかったと思います」
平井−田村のタッグは、現在も続いている。平井が務める東洋大学には昨年、個人メドレーで2つの日本記録をもち、21日のアジア競技大会では200メートル自由形を日本新で優勝した萩野公介、200メートル平泳ぎ世界記録保持者の山口観弘らが入学し、同校の水泳部に所属している。もちろん、彼らにはウエイトトレーニングが課せられている。その成果は少しずつあらわれているようだ。
なかでも萩野の変化は顕著だという。例えば今年8月、豪州で行なわれたパンパシフィック選手権から帰国後、他の選手は疲労が残り、いつもの負荷に耐えられない中、萩野は普段通りの数値を出していたという。本人も「逆に疲れが抜けて、パフォーマンスが伸びているかも」と語っていたほど、いい状態だったという。
「筋力トレーニングである程度、身体の下地ができている選手は、大会後もそれほど筋力や体重が落ちないんです。だから体調が高いところで維持することができる。萩野の場合も、キャパシティが増えてきている証拠ですよ」
“平井門下生”の活躍の裏には、必ず田村のトレーニング指導があると言っても過言ではない。19日に開幕した4年に一度の祭典、アジア大会もそのことを踏まえながら見ると、また違う視点で競泳を楽しむことができるのでないだろうか――。
(おわり)
<田村尚之(たむら・なおゆき)>
1965年12月7日、東京都県生まれ。国立スポーツ科学センター(JISS)主任トレーニング指導員。東海大学卒業後、スポーツクラブインストラクターを経て、97年にはアメリカンフットボールチーム、オンワード・オークスのヘッドストレングス&コンディショニングコーチとなる。2001年、全日本女子柔道のトレーニング担当および、JISSのトレーニング指導員となる。同年11月より北島康介のトレーニングをサポートし、アテネ五輪、北京五輪と2大会連続での2冠達成に寄与した。競泳・シンクロナイズドスイミング日本代表チームのトレーニング担当として、多くのアスリートのトレーニング指導を行なっている。
(文・写真/斎藤寿子)
北島康介をはじめとする世界のトップスイマーを育ててきた平井に対し、トレーニング指導員の田村尚之は尊敬の念を抱いている。それはトレーニングに対する平井の驚くほどの熱心ぶりにあった。
「コーチは毎日、選手ひとりひとりの練習プログラムをつくらなければいけません。ふつうはそれだけで精一杯のはずなんです。ところが、平井先生は睡眠時間を削り、プログラム作成の時間をスライドさせてまで、トレーニングの時間も選手に付き添う。今は大学の仕事もあってなかなか来られなくなりましたが、以前は毎回トレーニングルームに顔を出していましたよ」
そんな研究熱心な平井の存在があったからこそ、競泳界ではタブーであったウエイトトレーニングの成果が競泳に結びつき、北島らメダリストが誕生した。田村はそう考えている。
競泳選手を初めて指導する田村にとっても、トレーニングルームに毎回現れる平井の存在は大きかった。
「平井先生は水中練習の時の動きや様子について、いろいろと教えてくれるんです。だから私も選手の気になる動作に対応しやすかった。『トレーニングではこういうところが変わってきているんですけど、もしかしたら水中ではこういう動きをしていませんか?』と聞くと、『そうそう、その通り』なんてことも少なくありませんでした。お互いにフィードバックし合って、情報を共有していたのが大きかったですよね。『じゃあ、トレーニングではこうしていきましょうか』という話がすぐにできましたから」
平井からのフィードバックによって、田村は競泳について深く知ることができ、そのために効果的なトレーニング方法が生まれたことも少なくなかったという。平井との毎日やりとりの中で、新たなものをつくりあげていくという作業は、田村にとっても刺激的であった。
新たな試みによる新たな発見
平井という指導者は決して現状で満足することはない。より高みを目指し、さらに新しいことにチャレンジする。北島のアテネに続いて、北京での2大会連続2冠達成という偉業は、指導者である平井の人一倍強い探求心なしに語ることはできないだろう。
実際、アテネで2冠達成後、北島のトレーニングは変化している。アテネまでは全体的な筋力を強化し、ベースアップを図ることがテーマだった。そのため、ベースの筋肉をつけることを優先に考え、その分、オーバーワークにならないように水中練習を多少抑えていたところがあった。しかし、北京に向けては技術的なレベルアップも必須だった。鍛えた筋力を、いかに泳ぎに結び付けるかが課題だったのだ。そのためには水中練習の割合を増やすことが必要だった。とはいえ、トレーニングが重要であることに変わりはない。
そこで田村と平井は話し合い、トレーニングの回数を、それまでの週2回から3回に増やすかわりに、1回1回のボリュームを落とし、翌日の水中練習に影響を及ぼさないようにした。そうすれば、水中練習の回数も増やすことができる。さらに水中練習の前に行なわれる陸上トレーニング(ドライランド)のボリュームを増やし、腕立て伏せや腹筋だけではなく、ダッシュ系やジャンプ系のトレーニングを入れた。トレーニングルームで削られたものをドライランドで補ったのだ。
「ダッシュ系やジャンプ系のトレーニングをプールサイドでのドライランドで行なうことでメリットもあったんです。トレーニングをすると、神経が活性化されて筋肉と神経の連携が促進されます。つまり、神経からの信号がダイレクトに筋肉に伝わる状態になるんです。その状態で水中練習に入るので、身体がとてもいい状態で泳ぐことができる。実際にやってみたら、そういう効果もあったんです」
平井の探求心が、またひとつ、日本競泳界に新たな発見を呼び起こし、北島らメダリストたちの礎となったのである。
中村礼子をトップへ押し上げた“連動性”
平井のもと、田村のトレーニング指導を受け、五輪の舞台で花を咲かせたのは北島だけではない。中村礼子、寺川綾もそうだ。アテネ、北京と2大会連続で、女子背泳ぎ200メートルで銅メダルを獲得した中村が、北島とともに平井の指導を受け始めたのは、2003年のシーズン後のことだった。翌年に控えたアテネ五輪の選考会を兼ねた日本選手権まで半年を切っていた。当時の中村の印象について、田村はこう語る。
「とにかく普通の女の子という感じでした。今も語り草となっていますが、JISS(国立科学トレーニングセンター)に入ってくる時も、受付の人に『一般の人はここには入れないですよ』と言われたくらいだったんです(笑)。そんな彼女が平井先生の指導を受けに来たのは03年の11月か12月の頃。それまでほとんどウエイトトレーニングはしていませんでしたから、他の選手同様、筋力が少なかったですね」
そんな中村の最大の課題はスタートだった。その原因は筋力不足と、非効率な身体の動きにあった。トレーニングではスタートに必要な下半身のパワーを強化するため、スクワットやスナッチをメインとした。ところが、両足を折り曲げた状態から伸ばす際、ヒザと股関節が連動した動きをせず、ヒザはヒザ、股関節は股関節と、伸ばすタイミングがバラバラだったのだ。それでは下半身の力を効率よく発揮することはできない。つまり、「1」(ヒザ)と「1」(股関節)のものを、足して「2」の力にかえることができていなかったのだ。田村による細かい指導のもと、中村は徐々にヒザと股関節をうまく連動した動きを身に着け、加えて筋力やパワーも上げていった。
中村に対し、田村が最も懸念していたのは、トレーニングによるデメリットが出ないかどうかだった。
「彼女も、当時の競泳選手としては例外にもれず、ほとんどウエイトトレーニングをしてきていませんでした。また、彼女の場合は全ての練習環境が変わったわけですから、緊張もある。そんな彼女に、しっかりと年月をかけて積み上げてきた康介と同じことはさせては、負担が大きすぎると思ったんです。もちろん、いい結果を生み出すかもしれない。でも下手したら、疲労が原因で、泳ぎ自体がグチャグチャになることもある。それだけは避けなければと思いました」
そこで日本選手権までの期間も考慮し、平井との相談のうえ、田村は中村の課題だったスタートやターンにフォーカスすることにした。下半身の筋力を即効的に上げるのではなく、動きの効率性を高めることで、蹴る動作の改善に結びつけようと考えたのだ。それが功を奏した。実際、田村自身も「どこまでタイムが伸びるのかは未知数だった」が、100メートル、200メートルで2冠を達成し、アテネ五輪の切符をつかんだ日本選手権での泳ぎを分析した結果、彼女のタイムを伸ばしていたのは、スタートやターンだったのだ。
「レースを分析したところ、泳ぎ自体のスピードは変わっていないんです。何が良かったかというと、スタートやターン。バサロで15メートル付近で水上に上がってくるまでのタイムが縮まっていた。それが勝因となっていたんです」
疑問から確信へ。筋トレへの信頼
一方、09年から平井の指導を受けるようになった寺川は、ウエイトトレーニングを避けるようなところがあった。実は、彼女は平井に師事する前、米国でトレーニングをしていた時期があった。その時のことがトラウマとなっていたのだ。
「もともと彼女には側彎があって、背中の動きが左右非対称なんです。それで向こうのストレングスコーチに『左右対称となるように、トレーニングをしてバランスを整えましょう』と言われて、結構厳しい筋力トレーニングをやったんだそうです。ところが、泳ぎがめちゃくちゃになってしまった。それで彼女の中では『ウエイトトレーニングは私の泳ぎをダメにする』というイメージがあって、平井先生のチームに合流した時にも、はっきりと『トレーニングはやりたくない』と言っていました」
そんな寺川が、ウエイトトレーニングの効果について信頼を置くようになったのは、1シーズンを過ごした後だったという。競泳では、4月の日本選手権に向けて、シーズンオフの1〜3月に記録会に出場することが多い。平井も同じだが、違うのはトレーニングを休ませないことだ。ふつう、レース期間中はオーバーワークを避けるために、ウエイトトレーニングを抜くことが多い。ところが、平井はレース直前に1回休むくらいで、あとはいつも通りにやらせるのだ。もちろん、選手には疲労感がたっぷり残る。ところが、そんな中でも自己ベストを出すのだという。すると選手は「こんなに疲れているのに、なんでベストが出るの?」と疑問を抱く。そしてそれが続くと、今度は「トレーニングすると疲労は残るけど、それをかき消すくらいの効果があるんだ」ということに気づいていくのだ。寺川もそうだった。
田村はその理由をこう語る。
「それまでの競泳界では、疲労をしっかりと抜いた状態でレースに臨むというのがテーパリングのかけ方だったんです。でも、その頃の平井先生は違う考えを持っていた。というのも、疲労を抜くということは、練習量を落とさなければいけなくなる。そうすると、技術を維持する力が弱まってしまうんです。そういう状態で試合に出すよりは、多少の疲労があったとしても、技術のレベルを高いままキープした状態でレースに出る方がメリットがあると。それに予選から数えて1日2本も3本も泳ぐわけですから、疲労を残さずに決勝に臨めることなんてないわけです。それに耐え得る持久性が必要になる。そう考えれば、トレーニングは重要になってきます」
このように、田村はこれまでいくつも競泳界の定説を覆し、新たな風を吹き込んできた平井とともに、トレーニングを指導してきた。その経験が今、田村にとっても大きな財産となっている。
「平井先生でなければ、ここまでやれなかったと思います」
平井−田村のタッグは、現在も続いている。平井が務める東洋大学には昨年、個人メドレーで2つの日本記録をもち、21日のアジア競技大会では200メートル自由形を日本新で優勝した萩野公介、200メートル平泳ぎ世界記録保持者の山口観弘らが入学し、同校の水泳部に所属している。もちろん、彼らにはウエイトトレーニングが課せられている。その成果は少しずつあらわれているようだ。
なかでも萩野の変化は顕著だという。例えば今年8月、豪州で行なわれたパンパシフィック選手権から帰国後、他の選手は疲労が残り、いつもの負荷に耐えられない中、萩野は普段通りの数値を出していたという。本人も「逆に疲れが抜けて、パフォーマンスが伸びているかも」と語っていたほど、いい状態だったという。
「筋力トレーニングである程度、身体の下地ができている選手は、大会後もそれほど筋力や体重が落ちないんです。だから体調が高いところで維持することができる。萩野の場合も、キャパシティが増えてきている証拠ですよ」
“平井門下生”の活躍の裏には、必ず田村のトレーニング指導があると言っても過言ではない。19日に開幕した4年に一度の祭典、アジア大会もそのことを踏まえながら見ると、また違う視点で競泳を楽しむことができるのでないだろうか――。
(おわり)
<田村尚之(たむら・なおゆき)>
1965年12月7日、東京都県生まれ。国立スポーツ科学センター(JISS)主任トレーニング指導員。東海大学卒業後、スポーツクラブインストラクターを経て、97年にはアメリカンフットボールチーム、オンワード・オークスのヘッドストレングス&コンディショニングコーチとなる。2001年、全日本女子柔道のトレーニング担当および、JISSのトレーニング指導員となる。同年11月より北島康介のトレーニングをサポートし、アテネ五輪、北京五輪と2大会連続での2冠達成に寄与した。競泳・シンクロナイズドスイミング日本代表チームのトレーニング担当として、多くのアスリートのトレーニング指導を行なっている。
(文・写真/斎藤寿子)