すぐれたサッカーチームは、柔らかな有機体のようなものだ。相対する相手、味方の特性に応じて、形を変えていく。そうしたチームのサッカーを見るのは実に楽しい。
 ある時期のオリンピック・リヨンはそうしたチームだった。
 リヨンは2001-2002シーズンにフランスリーグ初優勝、その後は7連覇を果たしている。ある一定水準以上のリーグでは考えられない圧倒的な強さだった。
(写真:トニーニョはジュニーニョのプレーをブラジル時代から見ている。 撮影:西山幸之)
 ジュニーニョが苦しんだ欧州流ディフェンス

 バルセロナやレアル・マドリー、あるいはバイエルン・ミュンヘン、チェルシーなどと比べると、選手の知名度では劣っていたかもしれない。また、クラブチームにとって最高のタイトルである、欧州チャンピオンズリーグも獲得していない。それでも、当時のリヨンを目の当たりにした人間は、最高のフットボールチームの1つだというぼくの評価に同感してくれることだろう。

 その中心選手の1人がブラジル人のジュニーニョ・ペルナンブッカーノだった。
 トニーニョは母国ブラジルのバスコ・ダ・ガマ時代にジュニーニョと共にプレーしている。

 ジュニーニョは93年に地元ペルナンブッコ州のスポルチでプロデビュー、95年にバスコへ移籍。足元の技術のあるドリブラーで、その才能は際立っていた。給料未払い、遅配が連発していたバスコでも、ジュニーニョだけ特別扱いだったことは、前回ですでに触れた。バスコではリベルタドーレス杯を獲得し、ブラジル代表にも選出されている。01年、ジュニーニョはリヨンへ移籍した。

 トニーニョはジュニーニョがフランスへ来たばかりの頃のことを良く覚えている。
「最初は全く芽が出なかった。ボールの持ちすぎだったんだよ」
 ブラジル――特に高温多湿で1年中試合のあるリオのクラブは、体力の消耗を避けるために中盤は激しい守備をしない傾向がある。ブラジルのディフェンスがギアを入れるのは、得点に直結するエリアにボールが入ってからだ。

 一方、欧州リーグの守備はどこも固い。フランスリーグでは、旧植民地出身の選手は外国人枠に数えられないため、多くのアフリカ系選手が所属している。長い手足、強い身体を持った守備的ミッドフィールダーの黒人選手はリーグにゴロゴロ転がっている。彼らは1対1の攻防に滅法強い。抜かれても、身体で潰してくる――。
 身長178センチ、比較的小柄な部類に入るジュニーニョはブラジル時代と同じように、中央からドリブルで持ち込むと、激しく当たられた。

 リヨンがリーグ初優勝を成し遂げた、2001-2002シーズンではトニーニョの弟、ソニー・アンデルソンが攻撃の中心だった。
「弟はスピードがあった。そしてポジショニングを理解していた。フォワードで最も大切なのはボールをいかにフリーで貰うか、だ。ゴールに近い場所でボールを受ければ、相手のディフェンダーもフリーキックやペナルティキックを恐れて、不用意に当たってこない。だから、アンデルソンは得点を量産できたんだ」

 ソクラテスが認めた選手

 リヨンの監督は後にフランス代表の指揮を執る、ジャック・サンティニだった。親しみやすい性格のサンティニとトニーニョは気が合った。アンデルソンのトレーニング着を借りて、練習に参加することもあった。
「サンティニのサッカーは非常にシンプルで、目的がはっきりしていた。センターバックは強くて、守備が固い。前線にアンデルソンのような足の速い選手を置き、ボールを奪うと、なるべく手を掛けず、素早くパスを繋いで前線に入れる」

 アンデルソンは03年にスペインのビジャレアルへ移籍することになり、トニーニョもフランスでの生活は終わることになった。
 しきりにアンデルソンが助言を与えていたジュニーニョがフランスで花を開かせたのは、トニーニョたち兄弟が去った後のことだ。

 ジュニーニョは比較的プレッシャーの少ない、サイドに位置することが多くなった。彼はサイドから長短のパスを操り、チームを動かした。そして、彼にはフリーキックという素晴らしい武器があった。ブラジル時代とは全く違うスタイルの選手となって蘇ったのだ。
(写真:ソクラテスはジュニーニョの素質を評価していた)

 06年ドイツワールドカップ前、元ブラジル代表のソクラテスは、ジュニーニョをこう評している。
「ロナウジーニョ、カカ、ロビーニョなどが注目されるが、技術、戦術理解、攻撃と守備のバランスなどを考えれば、最も完璧に近い選手はジュニーニョだ。ただ、残念ながら、ブラジル代表のスタッフたちはジュニーニョを重用しないだろうがね」

 ソクラテスの予想通り、ドイツワールドカップではジュニーニョに十分な機会は与えられなかった。ただ、グループリーグ3試合目、日本戦で見せた得点は圧巻だった。彼の蹴ったシュートは、ボールが回転せず、すとんと落ちた。日本代表のキーパー川口能活は全く反応できなかった。

(つづく)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクション作家。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち—巨大サッカービジネスの闇—』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)。最新刊は『怪童 伊良部秀輝伝』(講談社)。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。
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