長屋の前での父・一徹と息子・飛雄馬の熱のこもった“投球練習”は劇画『巨人の星』になくてはならないシーンである。1960年代から70年代にかけて、日本中のそこかしこでグラブの鳴る音が響き渡っていた。
 来季、福岡ソフトバンクの指揮を執ることが決定的となった工藤公康は名古屋の星飛雄馬だった。少年の日、工藤は父親が構えるミット目がけて思いっきり左腕を振った。ボール、ボール、またボール。「もう、やめじゃ!」。父親の表情が一変した瞬間、練習は終わりとなった。工藤は語ったものだ。「小学校に上がったばかりの子が、そんなにたて続けにストライクを投げられますか。こっちはワンバンを投げるたびに、もうヒヤヒヤですよ。家に帰ると案の定、オヤジが怒り狂っている。その日の家の中は真っ暗でしたよ」

 元巨人の桑田真澄は初めてグラブを買ってもらった日のことが忘れられない。「なんと綿が全部抜いてあったんです」。苦笑を浮かべて桑田は続けた。「要するに、いい捕り方をしろ、ということなんですが、僕はキャッチボールのたびに泣いていました。しかもパチーンと音を出さないと怒られる。もうなんちゅう親かと思いましたよ」。こちらは大阪の飛雄馬だった。

 文科省が発表した「2013年度体力・運動能力調査」によると、10歳男子のソフトボール投げの記録は、東京五輪が開催された1964年度に30.38メートルだったのが、昨年度は24.45メートルにまで縮んでいた。この数字は近年、キャッチボールをやる子供たちが激減したことと無縁ではないだろう。

 大人たちにも責任がある。公園に行けば「キャッチボール禁止」の立て看板があり、空き地には例外なく「立ち入り禁止」の柵が設けられている。サッカーにとっても、これは対岸の火事ではない。千葉県某市には「サッカー禁止」の看板が掲げられている公園があり、「見かけたら110番します」との文字が添えられていた。それも市役所の都市計画課の名前入りで。これが6年後にオリンピック・パラリンピックを開く国(開催都市は東京)のあるべき姿なのだろうか。

 もちろん住民たちの安寧は保障されなければならない。騒音を遠ざける措置は当然だとしても、子供たちの笑い声の消えた社会の行く末を思うと暗澹たる気分になる。未来の深刻さはボール投げの距離低下の比ではない。

<この原稿は14年10月22日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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