社会人野球の二大タイトルは夏の都市対抗と、秋の日本選手権である。2005年創部のセガサミーは、これまで都市対抗に7回出場しているが、最高の成績は2回戦(08年、09年、12年)。初戦負けが4回もある。日本選手権は過去2回の出場で、いずれも初戦負け。今年の日本選手権も戦前の評価は高くなかった。
 それが初戦で延長タイブレークの末に三菱重工神戸に競り勝つと、あれよあれよという間に勝ち進み、決勝にまで進出した。
 チームを変えたのは元千葉ロッテの初芝清監督である。95年には打点王に輝いた90年代のパ・リーグを代表する強打者のひとりだ。

 二松学舎大付高卒業後、東芝府中で4年間プレーした。引退後は新日鉄君津が前身のかずさマジックでコーチも務めた。プロ野球と社会人野球の昔と今の双方を知る数少ない人物である。

 日本選手権が開幕する前、ヒザを交えて話をする機会があった。聞いてみたかったのは社会人選手への打撃指導法である。というのも、社会人野球は01年(クラブチームの大会は04年)まで金属バットを使用しており、かつてはホームランが乱れ飛んでいた。初芝が東芝府中にいた時代も、もちろん金属バット。当時は「社会人出身のスラッガーはプロでは大成しない」と言われていた。これを覆したのが初芝であり、石井浩郎(プリンスホテル)であり、小笠原道大(NTT関東)であり、松中信彦(新日鉄君津)であった。

 金属製と木製とは、どう違うのか。「金属は(バットの)面をぶつける打ち方。逆に木はギリギリまで面を見せたらダメ」。初芝の指摘は明快だ。「要は(木製は)内側から振り抜かなければいけないんです」。問題は、この理論を実際の指導に、どう落とし込むか、だ。初芝によれば、木製に慣れている選手でも、バットが内側から出る選手は少ない。そこで彼が指した最初の一手は「革手袋の禁止」。その狙いはなんだったのか。「要するにバットを振るかたちをつくろうということ。皆さんだってゴルフクラブや車のハンドルを握った時、しっくりくる位置ってあるでしょう。あの感覚は素手でなければつかめない。素手でバットを振り込むことによってマメができ、握った時のフィット感が生まれる。最初から革手袋をはめていたんじゃ何もつかめない」

 技術の押し売りはしない。押しつけもしない。納得を得るまで丁寧に説明する――。簡単そうで、これが一番難しい。初芝に指導者としての器量と奥行きを感じた。

<この原稿は14年11月12日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから