羽生結弦選手が8日に行われたフィギュアのスケートグランプリシリーズ第3戦、中国杯の練習滑走中に他の選手と衝突し、負傷しながらも試合に出場した。この判断に対して、その後も様々な意見やコメントが出ている。僕自身も選手であったり、大会主催者であったり、報道する立場であったりと、この事件に関して思うことも多い。数々の見解を聞かせてもらう中で、いろいろと考えさせられている。
(写真:ソチ五輪で金メダルを獲得し、世界からも注目を集める羽生)


 まず、スポーツ指導者やドクターの見解。一度、脳に衝撃を受け、脳震盪などを起こした選手をすぐ現場に復帰させるのは危険極まりない。もし、彼が演技中に転倒して再度、頭を打ったなら、選手生命はおろか、命の危険さえあったかもしれない。本人の意思に関わりなくドクターやチーム関係者が止めるべきである。

 これは、もはやスポーツの世界では常識となっているので、僕も競技が継続されているのか怖かったし、不思議だった。スケートにはアクシデント後に競技復帰を禁じるルールがないのか、この業界にはその認識がないのか……。日本スケート連盟は「脳震盪を起こしていなかった事実を確認していた」とコメントしたそうだが、そもそも自国チームのドクターさえ帯同させていない状況を聞く限り、無責任に感じてしまうのは僕だけだろうか。

 スポーツ関係者の批判に対し、「羽生選手の判断を他人がとやかく言うべきでない」「彼に対して失礼だ」などの反論も数多くある。あのシーンを見て彼の強い意思を感じなかった人もいないはずだ。本人が自らのリスクを承知でとった行動を他人が批判するのはおかしいということだろう。

 ただ、世界を目指していた選手の端くれとして思うのは、選手が命を懸けて闘ったり、少々の痛みを抱えていても、競技を継続しようとするのは当たり前。誤解を恐れずに言うならば、その競技で世界を目指し、多少なりともお金をもらっている者として、少々の痛みや怖さなど吹き飛ばさなければならない。いかなる競技においても、第一線で戦っている選手は、その覚悟があるはずだ。僕もフィニッシュしてから骨が折れていたなんていうことがあったが、レース中は極度の興奮と気合で乗り切れてしまう。終わった瞬間に激痛を感じて……などということもあった。選手とはそんなものである。

 美談で終わらせるべきではない

 でも、スポーツは生死を争う場ではなく、限界まで追求された技や力を競う場である。興奮している選手を守り、安全に競技を進めるのは競技会であり、競技を司る人たちのはず。今回のケースも、職務が足りていないのは選手ではなく、競技会の責任者や競技団体ではなかったのか。そんな組織、システム、ルールがなかったことが問題だったのではないだろうか?

 先に書いたように、選手はケガを押してでも、強い意思で出場を主張してくるケースがほとんどだろう。それを止めるという行為は、よほどの勇気と判断力、信頼関係がなければできることではない。ましてや今回のように大きな大会で、多大な人、モノ、お金がかかっている中での決断は中立的な立場でのジャッジと相当な勇気が必要。経験と知識のある人を現場におき、普段からの積み重ねで信頼関係を築いた上で、しっかりとしたガイドラインを作っておけばできないはずはない。やはり、その不備は否めなかったのではないだろうか。

 幸いなことに今回は、大事には至らなかった。でも、次に同じようなことが起こった時に、棄権を選択した選手に「羽生選手はやったのに、この選手は気合が足りない」などとつまらない批判が起きてはいけない。そしてなにより悲劇を生み出さないためにも、競技関係者はこの問題に真摯に取り組んで欲しい。

 また、この機会を、脳震盪やセカンドインパクトの怖さを、多くの人に知ってもらえるきっかけにすべきである。羽生選手には不適切な表現かもしれないが、今回はそのいいチャンスだと思うのだ。そうした意味では、まだまだメディアのやることはあるのではないか。美談で終わらせたままでは、今回のハプニングは生かされない。

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
 スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦していた。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための新会社「株式会社アスロニア」の代表取締役に就任。昨年1月に石田淳氏との共著で『挫けない力 逆境に負けないセルフマネジメント術』(清流出版)を出版。
>>白戸太朗オフィシャルサイト
>>株式会社アスロニア ホームページ


◎バックナンバーはこちらから