もし本当に「サッカーの神」なるものが存在するとしたら、彼(彼女?)は大ベテランの審判なみのバランス主義者である。
 93年のドーハで、日本人は足元の地面が突然消滅するほどの衝撃を味わった。4年後にはジョホールバルですべての感情が沸騰してしまうほどの歓喜を味わった。強烈な鞭(むち)で日本人を叩きのめした神は、手のひらを返すかのごとく極上の贈り物を与えてくれたのである。あたかも、一方にPKを与えたベテランの審判が、後の判定でバランスを取ろうとでもするように。
 日本に限った話ではない。同じく93年、サンドニで日本人以上の衝撃を味わったフランス人は、4年後、世界王者となる栄誉を与えられた。98年、ジョホールバルで打ちのめされたイランは、オーストラリアとのプレーオフで奇跡的な逆転勝利を収めた。

 途方もない痛みは、それと同じか、もしくは倍するほどの絶対値を持つ喜びの前触れである。世界で最も多くW杯の優勝をなし遂げた国は、世界で最も多く、W杯決勝後の自殺者を出してしまった国でもある。

 だから、わたしは確信する。

 先週土曜日、鳥栖で喫したロスタイムの同点弾は、浦和レッズがスーパークラブ、メガクラブに化けるためのパスポートとなる。いまだかつて、Jのクラブが1チームも手にしていない、特別な存在へ上り詰めるためのチケットとなる。

 これまで、わたしは何度か「日本代表にはW杯に於けるドーハ的な敗戦がない」と書いてきた。人々の記憶に半永久的に刻み込まれるような痛みがなければ、いま以上の飛躍は難しい。そう思ってきたからだ。

 残念ながら、W杯ブラジル大会での敗退はそういった類のものではなかった。以前、日本代表はW杯におけるドーハを知らないままだといわざるを得ない。

 同じように、Jリーグにもまた、サポーターやマニアの枠を超えて語り種になるような試合が少なかった。時代を超えて、名勝負と言えばすぐに思い浮かべてもらえるような試合が、ほとんどなかった。

 だが、埼スタでのガンバ戦に続き、レッズは2試合続けて伝説的な試合の主役となった。14年11月22日は日本にナショナル・ダービーが生まれた日だと書いたが、29日は、Jリーグにドーハの悲劇的試合が生まれた日となった。

 レッズ・ファンからすれば、気休めにすらならないかもしれない。だが、最終節の結果がどうなろうとも、これからの10年、もしくは20年、浦和レッズが日本の象徴となることは神によって約束された。

 神というものが存在すれば、の話ではあるのだが。

<この原稿は14年12月4日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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