権田達也とウエイトリフティングの出合いは突然だった。新居浜工業高校に入学して間もない2009年4月、身体測定が行われた。この時、権田はひとりの教員から声をかけられた。その教員こそ権田をウエイトリフティングの世界へ導いた同校重量挙部監督・石川洋平である。実は石川は、ウエイトリフティングで活躍できそうな人材を探していたのだ。石川は権田の姿を見た時、「どうしても欲しい」と思ったという。一体、石川は権田のどのような部分に目が留まったのか。
「権田は他の生徒とは、体付きが違っていました。肩幅が広く逆三角形の体型で、お尻が張っていて、太もももがっちりしていた。また大腿部が短く、足首も細いなど、私の考える理想の体型に近かったんです。権田のような体型の生徒は後にも先にも見たことがないですね」

 では「ウエイトリフティングを意識したことはなかった」という権田を、石川はどう口説いたのか。
「君が戦うであろう階級(男子53キロ級)は人数が少ない。競技を始めたらすぐ全国大会にいけるぞ」
 全国大会という言葉が、権田の心を揺さぶった。というのも全国大会に出場していれば将来、就職活動でプラスになるかもしれないと考えたからだ。権田は中学までバレーボールをやっていたが、成績は県内ベスト16止まり。石川の勧誘に魅力を感じた権田は身体測定から2日後、重量挙部に早速入部し、ウエイトリフティング人生をスタートさせた。

 競技1年目で達成した全国出場

 初めて挙げた重量は50キロだったという。権田は「意外と簡単に挙げられた」と振り返る。石川も「生まれ持ったパワーがすごかったですね」と彼の素質の高さに驚いたことを明かした。

 とはいっても、初心者の権田には、ウエイトリフティングを始めるにあたって2つのテーマをクリアしなければならなかった。ひとつはフォームの習得だ。ウエイトリフティングでは腕力のみならず、バーベルを引き上げる際の足の使い方も重要だ。権田は「体をうまく使えないとバーベルが挙がってこない。その辺に難しさを感じました」と当時を振り返った。

 もうひとつの課題は体格の肥大化だ。入部当初の権田の体重は約48キロで、現在より10キロほど軽かった。体型には恵まれていたものの、53キロ級で全国を目指す選手として十分な土台とは言えなかった。

 石川指導の下、権田は激しいトレーニングに取り組んだ。ベンチプレス、スナッチとクリーン&ジャーク(ジャーク)の練習、スクワット、デッドリフト(バーベルを下から引き上げる動作の練習)。これが権田が行なっていた練習メニューだ。筋トレで筋力アップを図るともに、フォームの基礎を叩き込まれた。全身筋肉痛になることは日常茶飯事だった。

 しかし、日々の練習をこなすだけでは、体重はなかなか増えない。体格を大きくするためには食事も重要である。権田は合宿で、石川に厳しい食事トレーニングを課された。
「とにかく、ごはんをたくさん食べました。限界まで食べて、戻してしまった時には、その後で大盛りのスパゲッティを食べたこともありましたね(笑)」

 権田は当時をこう振り返った。石川も「つらかったでしょうね」と過酷さを認めた上で、食事トレーニングの意図を次のように語った。
「体重が増えれば、その分、力もつきます。ケガ予防という面でも体をつくらなければなりませんでした。また、(厳しい食事トレーニングを乗り越えて)精神的にも強くなってほしいという思いもありました」

 日々の練習と食事トレーニングは権田の体を変えた。1年生の冬を迎えた時、彼の体格は一回り大きくなり、スナッチで70キロ台前半、ジャークでは90キロ台後半を持ち挙げられるようになっていたのだ。

「やればやるほど、成果として自分に返ってくるので、厳しい練習にもやる気をもって取り組めました」
 権田はすっかりウエイトリフティングの虜となっていた。

 公式戦での結果もついてきた。権田は11月の県高校新人大会で優勝。この時に記録したトータル164キロ(スナッチ74キロ、ジャーク90キロ)が全国高校選抜大会の出場条件(男子53キロ級はトータル160キロ以上かつ記録が全国上位10人)を満たした。「全国大会に出られる」という言葉に惹かれて始めたウエイトリフティング。権田は競技開始から1年も経たないうちに、目標だった舞台に到達したのだ。

(第3回へつづく)

<権田達也(ごんだ・たつや)>
1994年1月23日、愛媛県新居浜市出身。中学校までバレーボールを続けていたが、新居浜工でウエイトリフティングを始める。高校1年の時に男子53キロ級で全国高校選抜に出場。高校3年の2011年には同級でインターハイ(スナッチ、ジャーク、トータル)、山口国体(少年=ジャーク、トータル)を制覇した。中央大進学後は14年に同56キロ級で全日本大学個人選手権(ジャーク、トータル)、長崎国体(成年=ジャーク、トータル)で優勝。同年11月の全日本インカレではスナッチ、ジャーク、トータルすべて公式自己ベストを叩きだして56キロ級を制した。公式自己ベストはスナッチ=105キロ、ジャーク=134キロ、トータル=239キロ。身長156センチ、体重57キロ。

(文・写真/鈴木友多)




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