「今日はバーベルが軽く感じる」
 2011年8月、権田達也はインターハイのウエイトリフティング男子53キロ級に出場した。冒頭のコメントは、スナッチの1回目を挙げた時の感触である。ライバルと目されていた選手はスナッチが得意種目だったが、権田はライバルを上回ってトップ(87キロ)につけた。そしてジャークでもトップ(113キロ)となり、トータル200キロ。権田は目標にしていた日本一を、完全優勝で成し遂げた。優勝が決定した瞬間、会場には権田と監督の石川洋平が抱き合って喜ぶ光景があった。
 石川は日本一となった愛弟子に「よくやってくれましたよ」と賛辞を惜しまなかった。そして、権田の成長した部分を次のように語った。
「高校2年が終わるまでは小さな大会でも緊張が強く、試合でうまい具合に結果が出せなないことが多くありました。しかし、3年になってからメンタル面が大きく成長しました。試合でプラットフォームに上がってからの集中力が高く、勝つんだという闘志が伝わってきましたからね」

 悲願の全国制覇を果たした権田だが、休む時間はさほどなかった。2カ月後には山口国民体育大会が控えていたからだ。
「インターハイで優勝したので“国体で負けるわけにはいかない”という気持ちで練習していました」
 迎えた10月、山口国体で権田は“王者”としての実力を如何なく発揮した。スナッチこそ85キロ(同種目2位)に終わったものの、ジャークはインターハイの記録を上回る117キロ(同種目1位)を挙げたのだ。権田はトータル202キロで優勝し、インターハイと合わせて全国2冠を達成した。

 権田は高校に入学して間もない頃、身体測定の場で石川にスカウトされ、ウエイトリフティングの世界に飛び込んだ。そして食事トレーニングや体幹トレーニングなど、日本一となるために涙が出るような辛い練習を乗り越えてきた。
「ウエイトリフティングを始めて、目標を持つことの大切さを学びました。目標があったからこそ、日々の練習に取り組めたと思います。自分を競技に出合わせてくれた石川先生には本当に感謝しています」
 噛みしめるようにこう振り返った権田の口調から、高校3年間の充実ぶりが窺えた。

 成長を求めて選んだ場所

 上々の結果で高校生活を終えた権田が進学先に選んだのは、中央大学だった。3年時に高校2冠を達成した権田には、中央大も含めて4つの大学から誘いがあった。その中で中央大に進む決め手となったのは何だったのか。
「中央大OBの真鍋和人(84年ロス五輪男子52キロ級銅メダリスト、愛媛県出身)さんが、自分のことを推薦してくれたようなんです」
 権田は高校時代から練習場でよく真鍋と顔を合わせる機会があり、「オマエなら優勝できる」と激励の言葉をかけてもらっていたという。五輪メダリストからも期待されていたのだ。

 また、中央大には三木功司という優れた指導者がいることも進学の決め手となった。三木は選手としては73年世界選手権バンタム級(旧階級)で世界新記録(当時)を樹立して銅メダルを獲得。現役引退後は指導者として後進の育成に尽くし、88年ソウル五輪から00年シドニー五輪まで4大会連続で男子のナショナルコーチを務めた。五輪メダリストの推薦、そして優れた指導者の存在。どの大学に行けばより成長できるかを考えた時の答えが中央大にはあったのだ。

 しかし、大学1年の時は苦労の連続だった。まずは競技外。中央大重量挙部の寮に入り、1年の時は8人部屋で「プライベートの時間が全くない」ことに戸惑った。道場や寮の掃除で先輩に怒られることもしばしばあり、「高校時代はあまり意識しなかった」上下関係の難しさを感じた。しかし、これらは「思ったほどではなかった」という。

 権田が本当に苦悩したのは他でもない、競技のパフォーマンス内容だ。大学に入ってから、記録がまったく伸びなくなったのだ。それどころか、高校3年の時の記録を下回るようになった。いわゆるスランプである。不振に陥った原因はわからなかった。ウエイトリフティングに限らず、自身の成長を感じられないとなかなかモチベーションは上がってこないものだ。権田も「ウエイトリフティングを嫌いになりそうでした」と当時の心境を明かした。そんな彼がスランプから抜け出すきっかけとなったのは、同級生のアドバイスだった。

(最終回へつづく)

<権田達也(ごんだ・たつや)>
1994年1月23日、愛媛県新居浜市出身。中学校までバレーボールを続けていたが、新居浜工でウエイトリフティングを始める。高校1年の時に男子53キロ級で全国高校選抜に出場。高校3年の2011年には同級でインターハイ(スナッチ、ジャーク、トータル)、山口国体(少年=ジャーク、トータル)を制覇した。中央大進学後は14年に同56キロ級で全日本大学個人選手権(ジャーク、トータル)、長崎国体(成年=ジャーク、トータル)で優勝。同年11月の全日本インカレではスナッチ、ジャーク、トータルすべて公式自己ベストを叩きだして56キロ級を制した。公式自己ベストはスナッチ=105キロ、ジャーク=134キロ、トータル=239キロ。身長156センチ、体重57キロ。

(文・写真/鈴木友多)




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