わたしにとって、アジアカップにおける唯一の興味は、日本が勝つか負けるか、だった。これがW杯や欧州選手権、コパ・アメリカであれば、勝負とは別に好勝負、好チームのサッカーを楽しむという興味もあるが、残念ながらアジアのレベルはそこまで達していなかったからである。
 今回は、違う。

 たとえば、日本が予選突破を決める前日に行われたイラン対UAE戦。ワールドクラス、とまでは言わない。けれども、まったく異なる持ち味の両チームが最後までしのぎを削った一戦は、W杯や欧州選手権の凡戦よりははるかにスリリングで興奮に満ちていた。

 その原因を作ったのは、UAEだった。

 いわゆる“アンチ・フットボール”を具現する勢力の一つであり、真っ向から立ち向かうのではなく、勝ち点を掠め取ることのみに長けたチーム――そんな印象のあったUAEだが、今回のチームは違う。中盤、前線に個性的な才能を揃(そろ)え、自分たちが主導権を握るサッカーをやろうとしている。

 彼らの戦いぶりを見て、わたしは懐かしいチームを思い出した。

 フィリップ・トルシエが率いたシドニー五輪代表チームである。

 あの時のチームにも、才能が揃っていた。小野がいて、稲本がいて、高原がいた。日本サッカーが結果だけでなく、内容も追求するようになった最初の世代だった。2年前のロンドン大会で五輪初出場を果たしたメンバーを中心とする今大会のUAEは、10年ほど前の日本とよく似ているのである。

 若き日のマラドーナを彷彿させるヘアスタイルが特徴の10番オマル・アブドゥルラフマンは、以前から欧州の列強からも注目されている逸材。日本人からすると、小野と中村俊輔を足して、かつ“2で割らなかった”ような選手にも見えてくる。アジアがここ10年で生んだ最高の才能の一人であることは間違いない。

 そんな才能が、チームが、日本とぶつかる。近年では初めて、内容でも日本を圧倒しようとする中東勢との戦いが実現する。ワクワクせずにはいられない。

 ただ、退屈ではあるが体格という防ぎようのない武器を持っているイランと違い、UAEの武器は日本が熟知しているタイプの武器でもある。さらに、内容を追求するようになった第一世代であるUAEのサッカーは、まだ出し手と受け手の関係だけで成り立っている。魅力的ではあるものの、いわゆる“第三の動き”が恒常的に絡むようになってきた日本に比べ、一世代遅れているのも事実である。

 わたしは、シドニー世代の才能は、現代表のそれを上回っていたと見る。ただ、サッカーは才能だけでやるものではない。23日の準々決勝は、そのことを実感させてくれる一戦になるのでは、という気がしている。

<この原稿は15年1月22日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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