2月4日、マディソン・スクウェア・ガーデン(MSG)で次期防衛戦の発表会見に臨んだWBA、IBF、WBO世界ヘビー級王者ウラディミール・クリチコ(ウクライナ)は、周囲の誰もが驚くほどに上機嫌だった。壇上では常に笑顔を浮かべ、ついにはフランク・シナトラの有名曲「ニューヨーク・ニューヨーク」の歌詞まで口をついて出たほど。
「“ニューヨークでやれるなら、どこでもやっていける”。この場所で再び戦うことができてとても幸せだ」 
(写真:いつも冷静なクリチコだが、ジェニングス戦での会見時は極めて饒舌だった Photo By Kotaro Ohashi)
 4月25日にMSGで行なわれるブライアント・ジェニングス(アメリカ)との防衛戦は、38歳の王者にとって久々のアメリカでの試合になる。過去の米リング登場時には、慎重過ぎる戦いぶりが不評だった。特に2008年2月23日のスルタン・イブラギモフ(ロシア)との統一戦では大凡戦(判定勝ちで王者統一)をやらかし、MSGがしばらくボクシングビジネスに消極的になるという悲惨な事態にまでなっている。

 それから7年――。ヨーロッパでは大人気のクリチコは、割安のファイトマネーを受け入れてまでアメリカ再進出を熱望してきたと伝えられる。それほどこの舞台を待ち望んできたのだとすれば……会見当日の満面の笑顔も当然だったのかもしれない。

「今回の試合では皆さんを楽しませてみせる」
 そう語ったクリチコにとって、ジェニングス戦は勝敗的にはまずは問題ないカードだろう。デヴュー以来19連勝(10KO)を続けてきた30歳の挑戦者は悪い選手ではないが、王者を攻略するにはサイズ、目立った武器に欠ける。地力に勝るクリチコは序盤から距離を掌握し、ペースを掴むはずだ。

 問題は、本人の言葉通り、ファンを喜ばせることができるかどうか。MSGでの久しぶりのヘビー級タイトル戦とあって、大アリーナには1万人以上の大観衆が集まるはず。前回の米国進出時と一線を画し、せっかちなニューヨーカーをエキサイトさせることが今回の課題となる。
(写真:ハートの強さで知られるジェニングス(右)だが、クリチコ相手では絶対不利は否めない Photo By Kotaro Ohashi)

 そして、クリチコがアメリカのリングで存在感を示せるかどうかは、今後のこの国のヘビー級戦線を占う上でも重要な意味を持ってくる。
 1月17日にラスベガスで行なわれたWBC世界ヘビー級タイトル戦で、指名挑戦者だったデオンテイ・ワイルダー(アメリカ)が王者バーメイン・スタイバーン(カナダ)に判定勝ち。デヴュー以来の連勝を33(32KO)に伸ばしたワイルダーは、アメリカ人としては2007年にシャノン・ブリッグスがWBO世界タイトルを失って以来のヘビー級タイトルホルダーとなった。

 モハメド・アリ、ジョー・フレイジャー、ジョージ・フォアマン、ジョー・ルイスといった巨星たちがファンを湧かせた時代も今は昔。タイソン、イベンダー・ホリフィールドら活躍した1990年代前半を最後に、アメリカのヘビー級は低迷期に突入していた。そんな時代に現れた29歳のパワーパンチャーに、ここで一躍、次期スーパースター候補の期待が集まり始めている。
(写真:かつてアリ対フレージャー戦などの伝説的試合が行なわれたMSGにヘビー級タイトル戦が戻ってくる Photo By Kotaro Ohashi)

 時を同じくして、近年はケーブルテレビ限定のコンテンツだったボクシングが3月から地上波のNBCで定期的に放送されることが1月14日に発表されたばかり。ワイルダーもこのシリーズの仕掛人となった強力アドバイザーのアル・ヘイモンの契約選手だけに、防衛戦はNBCで中継されることが有力だ。

 パワー、無敗の戦績、カリスマ性といったスターに必要な要素を備えたワイルダーが、これから先、多くのファン、視聴者が見守る前で防衛を続ければ、その名は全米に知れ渡るはず。そして、その後にクリチコとの4団体統一戦が実現すれば……。そのときには、アメリカに、さらには全世界に、真の意味でヘビー級の熱狂が戻ってくるかもしれない。

「(スタイバーン戦は)ワイルダーに勝って欲しいと願っていた。全勝全KOで進んできてほしかったのに、そうならなかったのは残念ではあった。その一方で、彼が12ラウンドを戦えることを示したのは大きかったと思う。次に誰と戦うのかは分からないが、防衛戦で印象的な形で勝ってほしい。私との試合はPPVで行なわれるファイトになるだろう」

 ジェニングス戦の会見時にワイルダーについて訊かれたクリチコは、まるでプロモーターのような口調だった。“アメリカの希望の星”との近未来の対戦にも異存はない様子。米国内では実績に見合った評価がされているとは言い難い王者が、ビッグファイトを求めているのは事実に違いない。
(写真:スター性にあふれたワイルダーからしばらく目が離せない Photo By Kotaro Ohashi)

 現時点でクリチコはHBOとの契約下だけに、ヘイモン傘下のワイルダーとはテレビ局の違いが気になるところではある。ただ、2人が勝ち続ければ、究極の対決は米国でも最大級に待望されるマッチアップになるはずだ。

 さらにワイルダーに続く存在として、デヴューから23連勝(17KO)を続けてきたイギリスの暴れん坊、タイソン・フューリーの存在も忘れてはいけない。放言癖でも知られるフューリーのキャラクターは貴重で、クリチコ、ワイルダーのどちらにぶつけても話題を呼ぶカードになる。

 加えてロンドン五輪で金メダルを獲得したアンソニー・ジョシュア(イギリス/10戦全勝10KO)、シャープな攻撃が小気味よいジョセフ・パーカー(ニュージーランド/12戦全勝10KO)、力士のような体型に似合わぬスキルが売りのアンディ・ルイーズ(アメリカ/24戦全勝(17KO))といった楽しみなプロスペクトたちも各国で芽を出し始めている。中でも英国の雄、ジョシュアの将来性は高く評価され、ゆくゆくはワイルダーと国境を越えたライバル関係を築いていくことになるかもしれない。

 こういった楽しみな若手たちと次々と対戦し、現代のヘビー級を盛り上げていくために――。クリチコはまずはニューヨーク帰還戦で結果を出し、ファンをエキサイトさせ、アメリカでの商品価値を高める必要がある。ジェニングスを倒して豪快さをアピールできれば、この国のボクシングファンもヘビー級の魅力を少なからず再認識するはずだ。
(写真:目の肥えたニューヨーカーを魅了することが王者に課された命題になる Photo By Kotaro Ohashi)

 地上波放送復活、フロイド・メイウェザー(アメリカ)対マニー・パッキャオ(フィリピン)戦の交渉本格化といったビッグニュースが新春から続いた2015年は、米ボクシングにとって激動の年になりそうな予感が漂う。今年がヘビー級にとっても復興の年になるかどうかは、トップに君臨する役者たちの活躍次第。まずはクリチコが階級最強を改めて証明できるかどうか、4月の防衛戦では、そのお手並みを拝見である。





杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、NFL、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『スラッガー』『ダンクシュート』『アメリカンフットボールマガジン』『ボクシングマガジン』『日本経済新聞』など多数の媒体に記事、コラムを寄稿している。著書に『MLBに挑んだ7人のサムライ』(サンクチュアリ出版)『日本人投手黄金時代 メジャーリーグにおける真の評価』(KKベストセラーズ)。

※杉浦大介オフィシャルサイト>>スポーツ見聞録 in NY


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