監督就任1年目の2014年シーズンは、プレーオフでは勝つことができませんでしたが、多くの選手が成長し、そして球団としては6年ぶりとなる「優勝」という2文字を、前期に達成することができたことは、とても大きかったと思っています。とはいえ、課題がたくさん出てきたことも事実です。今季はそれを踏まえて、さらなる躍進を目指していきます。
 最も大きな課題として、夏場に浮上したのはスタミナでした。前期は劇的な逆転で優勝し、後期も3連勝と好スタートを切りました。ところが、8月に入ると徐々に失速し始めたのです。失速の原因が体力にあったことは明らかでした。というのも、特に野手の動きが鈍くなり、打撃でもバットが振れなくなっていたのです。外から見ていても、体に力が入らず、力強く振り切ることができていませんでした。そういう状態の選手が1人や2人であれば、元気のある選手でカバーすることもできたでしょう。しかし、ほとんどの選手に体力不足が露呈し、カバーしきれなかったのです。投手陣も含めて、シーズンを通して戦いきることができる体力をつけて開幕を迎えることができるかが、今オフの最大のテーマです。

 一方、最後のプレーオフではチームの成長を感じとることもできました。夏場に失速し、結局後期は2位で終わりましたが、その後の石川ミリオンスターズとの地区チャンピオンズシップでは、本当にいい戦いをしてくれました。どの試合も緊迫した試合でしたが、第1、2戦を落とし、もう後がなくなった第3戦、9回表を終えた時点で3点をリードしていたのは石川でした。そしてその裏、石川は守護神の木田優夫さん(元北海道日本ハムGM補佐)がマウンドに上がりました。ベンチでもスタンドでも、石川の優勝を確信していた人は少なくなかったと思います。

 正直、富山ベンチも追い込まれていました。しかし、その雰囲気を変えてくれたのが野原祐也(大宮東高−国士舘大−富山−阪神)でした。先頭で打席に立った野原は、木田さんの初球をライトスタンドに運んだのです。この一発が反撃の糸口となりました。ヒット、エラー、四球で無死満塁とすると、生島大輔(今季より福島ホープス)がタイムリーを放って1点差とし、木田さんをマウンドから引きずりおろしたのです。そして1死後の四球押し出しで、同点に追いつきました。

 なおも1死満塁とサヨナラのチャンスをモノにすることはできませんでしたが、それでもその勢いは第4戦につながり、翌日は11−4と大勝。これで2勝2敗とタイに戻すことができたのです。最後の第5戦は、雨のために0−0のまま5回コールドに終わり、規定により優勝は石川となりました。しかし、最後にこれだけ盛り返すことができたのは、やはりチームに力があった証拠です。そういう意味でも、後期で露呈した体力不足は必ず克服しなければならない課題だと痛感しました。

 捕手佐伯、3番手から1番手へ

 さて、成長した選手が多かったことは前述しましたが、なかでも著しい成長を感じさせてくれたひとりが佐伯遼(西武台千葉高−清和大)でした。実は開幕時、佐伯は3人いるキャッチャーの中で3番手という位置づけでした。そのため、試合に出るチャンスはなかなか巡ってきませんでした。しかし、彼は決して腐れることはありませんでした。それどころか、上達するためにどうすればいいのかを自分で考え、懸命に努力していました。例えば入団当時は守備も決してうまいとは言えなかったのですが、ワンバウンドのボールを後逸しない練習を何度も繰り返し行なっていたのです。

 私も「頑張っているな。試合に出させてやりたいな」と思いながら見ていたのですが、実はピッチャーからも徐々に「佐伯に受けてほしい」という声があがっていたのです。コツコツと練習し、上達していく佐伯に対し、信頼を置くようになっていたのでしょう。キャッチングも上達していましたから、実際ブルペンで佐伯に球を受けてもらった感触も良かったのだと思います。

 その佐伯が先発マスクをかぶるようになったのは、5月後半でした。開幕スタメン入りした杉本昌都(今季より福井ミラクルエレファンツ)が打席で死球を受けて骨折し、チームから離れてしまったのです。その後2試合は2番手の大誠(光星学院野辺地西高−青森中央大)が先発マスクをかぶったのですが、うまくゲームをつくれなかったのです。当時、チームは最下位にあり、厳しい状態だったということからも、なんとかこの状態から脱したいということで、佐伯を出すことにしました。

 すると、初めて先発マスクをかぶった6月6日の石川戦、佐伯は先発の高塩雅樹(藤沢翔陵高−神奈川大−横浜金港クラブ)、抑えの大竹秀義(春日部共栄高−信濃グランセローズ)をうまくリードし、試合も4−3と接戦を制しました。それはチームにとって4試合ぶりに味わう勝利でした。そして、6月の1カ月で最下位から優勝争いをする位置にまで浮上したこともあり、佐伯はチームの信頼を得て、杉本が復帰後も、正捕手のポジションを守り続けたのです。

 もちろん、キャッチャーに必要な洞察力や瞬時の状況判断など、課題はまだまだあります。しかし、「うまくなりたい」「試合に出たい」と必死に練習してきた佐伯の努力が実を結んだことは言うまでもありません。今季はさらにピッチャーから信頼を得られるキャッチャーに成長し、チームをけん引していってほしいと思います。

 2015シーズンのスローガンは「昇」としました。上に上に昇っていけるように、という思いがこめられています。初めて監督として過ごした昨シーズンを振り返ると、やはり一番印象に残っているのはプレーオフでの最終戦です。雨で5回コールドで引き分けに終わり、そこで富山のシーズンは終了を迎えました。わざわざ平日に石川まで足を運んでくれたファンの人たちが泣いていた姿を今でも忘れることはできません。そのファンを、昨季以上に楽しませたい、喜ばせたいという気持ちがあります。

 シーズン終了後、チームの成績はもちろん、ファンの気持ちも、実際の観客動員数も、そしてひいては富山県の野球の底上げという意味でも、すべてが前年よりも上回っているよう、チーム一丸となって頑張りたいと思います。

吉岡雄二(よしおか・ゆうじ)>:富山サンダーバーズ監督
1971年7月29日、東京都生まれ。帝京高校3年時にはエースとして春夏連続で甲子園に出場。夏は全5試合に登板し、3完封と優勝に大きく貢献した。打者としての素質も高く、高校通算本塁打数は51本を数えた。90年ドラフト3位で巨人に入団するも、右肩を手術。4年目の93年から内野手に転向した。97年オフ、交換トレードで近鉄へ。2004年の球団合併に伴い、新規参入の東北楽天に移籍した。09年にはメキシカンリーグでプレーする。10年オフに現役を引退。翌年、愛媛マンダリンパイレーツ(四国アイランドリーグplus)の打撃コーチに就任。14年からは富山サンダーバーズの監督を務める。
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