監督が代われば選ばれる選手も代わる。それが代表チームの宿命である。
 わずか半年前、果たしてどれだけの人が武藤嘉紀の名前と存在を知っていただろうか。
 彼はザッケローニ監督時代も優れた選手ではあったが、アギーレ監督に抜擢されたことで人生が変わり、今なお変化を続けている。
 Jリーグのクラブに比べ日本代表の存在感と露出度が桁外れに多いこの国において、日本代表とプレーすることの意味と収穫は、他の国にも増して大きい。

 ハリルホジッチ氏が次期日本代表監督に決定したことで、次の注目はどんな選手が選ばれるか、という点になってくる。

 まだJリーグを見ていない以上、最初のメンバー選考はこれまでの流れに沿った形になるのでは、と思う。ただ、彼がオシムの推薦を受けた指導者である以上、ある傾向が見えてもおかしくはない、とも思っている。

 ある傾向――それはストロングヘッダーの抜擢である。

 市原時代のオシムは巻を育てた。名古屋でのストイコビッチはオーストラリアのケネディを獲得した。どちらも足元の技術は決して高い選手ではなかったが、その高さは、チームにとって欠かせないアクセントとなっていた。

 かれこれ10年以上前になるが、日本で女子バレーの指揮を執っていた米国人監督に言われたことがある。
「国際舞台で負けるたび、日本人は体格差を理由にするが、一方で大きな選手を育てようとする努力を放棄してしまってもいる」

 確かに、日本人にも大柄な体格の人間がいないわけではない。実際、日本プロ野球において、身長1メートル85は必ずしも飛び抜けた体格ではない。サイズが財産にもなることを長年の経験によって指導者たちが認識しているからだろう。

 話が逸れてしまった。わたしの知るオシムやストイコビッチは、日本人の体格をよく知り、その上で高さの優位性を生かそうとした。その点、最終的には高さでの勝負を捨てたザッケローニ監督とは考え方が違う。

 もしわたしがJリーグでプレーする、これまでまったく代表とは縁のなかった、しかしサイズのあるストライカーだとしたら、これからの数週間に命をかけるつもりでプレーをする。たとえ、所属しているチームのカテゴリーがJ1でなかったとしても、である。

 小さな選手のミスは許せても、大きな選手のミスには厳しいところが日本人にはある。そして、そうした気質が、大型ストライカーの育成を阻んでもきた。サッカーは体格に関係なくプレーできるスポーツだが、小さい方がいいわけではない。新監督の就任が、小さくて速い選手に対する日本人の偏愛を矯正するきっかけになれば……そんなことを期待したりしている。

<この原稿は15年3月12日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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