漁業の世界では、前の年まで豊漁の続いた魚種が、突如として不漁になることがあるという。
 サッカーの世界でも似たようなことがある。たとえばブラジル。82年大会のチームは「史上最も魅力的」とも言われるが、あのチームには致命的な欠陥があった。
 ストライカーの不在である。

 ジーコをはじめとする“黄金の4人”による中盤の構成力は幻想的ですらあった。両サイドバックの攻撃力もズバ抜けていた。ゆえに、彼らはチャンスを作りまくったのだが、それをまるでモノにできなかったのが、CFに起用されたセルジーニョだった。せめて並のストライカーがいれば、ブラジルは優勝していただろうというのは、識者の共通した認識だった。

 面白いことに、この大会を最後に、ブラジルはストライカー不足という悩みからはほぼ解放されることになった。4年後のメキシコ大会ではカレッカがゴールを重ね、すぐにロマーリオという後継者も現れた。ロマーリオに衰えが出てくればロナウドが出現し…という具合で、チームの成績はともかく、セレソンが「決定力不足」に悩まされることはなくなった。

 ところが、いいストライカーが大挙して現れるようになると、それと反比例して減少していったのが中盤の芸術家たちだった。サッカーの質が時代とともに変化していった面も影響しているのだろうが、ペレ、リベリーノ、ジーコと続いた背番号10の系譜は、一時期、完全に途絶えた。結果、82年より決定力は上がったが、82年より決定的場面の数は、減った。

 さて、キャプテン翼の影響なのか、はたまた国民性の現れなのか。日本のサッカー界にも才能豊かなMFが大挙して出現した時期があった。小野伸二、中村俊輔、稲本潤一、小笠原満男、遠藤保仁……いずれも、背番号10としての仕事を遂行できる才能の持ち主である。

 ただ、チャンスを作る才能には事欠かない半面、常に不足気味だったのがチャンスを決める才能だった。好素材は現れても、誰一人として釜本的な存在にまで上り詰めることはできなかった。ストライカー不足という言葉は、日本サッカーにとっては常につきまとう常套句だった。

 だが、国をあげて課題解消に取り組んだからなのか、それとも資金不足で怪物的な外国人FWを獲得できなくなった影響なのか、ここのところ急速に点の取れる日本人FWが増加してきている。先週末のJでも、代表候補のFWたちが世界中どこに出しても恥ずかしくないような一撃を決めていた。

 一方で、あれほど人材豊富だった背番号10は、ここのところいささか不足気味にも思える。近い将来、日本サッカーの悩みは、決定力不足ではなく、決定機の数の不足になるのかもしれない。

<この原稿は15年4月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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