スペイン語の発音通りに表記するならばメヒコ・オチェンタイセイス。日本語に直せばメキシコ86。ちょっと信じられない気もするが、わたしにとって初めての外国でありW杯だった86年のメキシコ大会から、かれこれ30年近くが経とうとしている。
 長旅の疲れでヨレヨレになって到着したメキシコシティーのホテル。何げなくつけたテレビにまず映ったのは、清涼飲料水を片手に微笑むサッカー選手の姿だった。
 ウーゴ・サンチェス。

 もちろん名前は知っていた。レアル・マドリードでプレーするメキシコの英雄。けれども、その人気の凄まじさは想像をはるかに超えていた。街を歩けばウーゴ・サンチェス。テレビをつければウーゴ・サンチェス。そして、選手紹介のアナウンスで地鳴りのような歓声を呼び起こすのも、ウーゴ・サンチェスという名前だった。外国人であるわたしの目には、メキシコ人がウーゴ・サンチェスにすべてを託し、委ねているようにも映った。

 当時のメキシコ人にとって、レアル・マドリードでプレーする選手というのは、それほどに価値があり、偉大だったのである。

 わたしが次にメキシコを訪れたのは21世紀に入ってからだった。巨大なアステカ・スタジアムは少し古びただけだったが、場内の雰囲気は確実に変わっていた。W杯予選。相手が宿敵米国だったということもあるのだろうが、86年当時、一人のスターに寄り掛かるだけだったメキシコ人たちは、すべての選手を全力で後押しする戦う集団になっていた。牧歌的な空気は、完全に消え去っていた。

 先日行われたCL準々決勝。レアル・マドリードのベスト4進出を決めるゴールを決めたのは、メキシコ人のエルナンデスだった。だが、そのことによってメキシコ人が狂喜乱舞することは、なかったはずだ。ウーゴ・サンチェスの得点が逐一伝えられ、国民の目が国内リーグよりスペインに向けられていた時代は過ぎ去った。いまや、メキシコリーグは世界でも屈指の活気と経済力を持つリーグとなっている。

 86年当時、日本にプロ・サッカーリーグは存在していなかった。だから、仕方がないことなのかもしれない。Jよりも海外にファンやメディアの目が向きがちになってしまうのは。ただ、まだこの先どうなるかわからない13歳の少年が、ただバルサに所属していたというだけで注目されてしまうのは、あまりにも情けない。ウーゴ・サンチェスは、ただレアルに所属していただけではない。得点王を獲得している。ただビッグクラブに所属しているというだけで期待してしまうというのは、30年前のメキシコ人よりも遅れている、ということである。

<この原稿は15年4月30日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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