7月下旬の10日間、高校野球の地方予選を取材した。フリーのライターになって20年、甲子園で取材をしたことはあっても、地方大会を1回戦から取材するとなるとさすがに初めてのこと。頭では理解しているつもりだった、この国における高校野球というものの存在の重さを、改めて実感させられた10日間でもあった。
 だが、それ以上に痛感させられたことがあった。物語を持つものの強み、である。

 わたしが観戦記を依頼された学校には、怪物と言われるスラッガーがいた。というより、依頼されたのは彼の言動やプレーを描くことであって、その学校の戦いぶりではなかった、と言ってもいい。

 案の定というべきか、その学校の戦いぶりは芳しいものではなかった。特に、投手陣の弱さは素人目にも明らかで、せいぜい準決勝まで勝ち上がれれば上出来だろうというのが、大会序盤を見ての率直な印象だった。

 ところが、打たれても打ち返すことで辛くも勝ち上がった彼らは、絶対的不利を予想された優勝候補との準決勝で、それまでの試合が嘘のような戦いぶりを見せる。名もない公立高に火ダルマにされてきた主戦投手が、全国屈指の破壊力を誇る強打線を3安打完封してしまったのである。

 高校野球が始まってから100周年となる今年、その学校は記念すべき第1回大会の出場校でもあった。そして、甲子園での開会式では、OBが始球式を務めることも決まっていた。

 監督にとっては大変な重圧だっただろう。だが、彼が必死になって取り除こうとした重圧は、選手たちの力になってもいた。勝ち進むにつれ、彼らは自分たち以外のもののためにも戦うようになっていたからである。

 センバツ出場チームとの対戦となった決勝戦、彼らは序盤から劣勢を強いられ、7回が終了した時点では大差をつけられていた。けれども、土壇場に追い詰められてから、彼らは信じられないような反発力を見せた。結果は、見事な逆転勝ちだった。

 思い出したのは、なでしこたちの戦いぶりだった。4年前、彼女たちは震災で傷ついた日本に力を与えるべく戦った。絶対絶命の場面では、あの惨劇と、そこから立ち上がろうとしている人たちの姿を思い浮かべることで自分たちの力とした。そして、優勝した。

 記憶に新しい今年のW杯で、彼女たちは「初戦で大ケガを負った安藤を再びカナダに」という物語を力に戦った。だが、いまから思えば、この物語が効力を発揮できるのは、決勝に進出するまでのことだった。

 誰かのために。なにかのために。そうした物語を持っているチームは、あるいは作り出すことのできる監督のいるチームは、強い。改めてそう痛感させられた今年の夏である。

<この原稿は15年7月30日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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