ボクシングの元WBA世界スーパーウエルター級王者・輪島功一氏の次男、輪島大千(ひろかず)(輪島)が、ウエルター級4回戦で宮川カツオ(花形)を1ラウンドKOで下した。輪島はこれで5月のデビュー戦から2試合連続の1ラウンドKO勝利となった。
(写真:冷静に相手を見極めた輪島(右))

★二宮清純特別コラム「オヤジを超えろ」掲載!
 ゴングと同時に突進する宮川に対し、輪島はガードを上げて様子を窺う静かな立ち上がりをみせた。細かいジャブを被弾する場面もあったが、次第に打ち勝ちプレスを強める。そして一気にロープ際につめて猛ラッシュを浴びせた。たまらず崩れ落ちる宮川。見かねたレフェリーが試合をストップしたのは1ラウンド2分25秒。輪島は連続KOでデビュー2連勝を飾った。

輪島大千選手のコメント
「勝ててよかった。腰痛があって全然練習できなかったので不安でした。スパーリングも3ラウンドくらいしかしてない。それでも強気でリングに上がることを心がけた。最初、相手がどんなパンチを打ってくるのか見ようと思った時に、少しパンチをもらってしまった。今後はもっと安全に戦えるようにしたい」


二宮清純特別コラム「オヤジを超えろ 〜輪島大千〜」

 緊張のあまり体は動かない、ジャブも伸びない。セコンドの声すら耳に入らない。こんなことは初めてだった。
 5月27日、東京・後楽園ホール。ウエルター級4回戦。この日がデビュー戦の輪島大千(ひろかず)は無我夢中だった。

 1ラウンド中盤、ボディーブローを放った瞬間、相手が「ウッ」とうめき声を発した。たたみかけるように攻め込んだ。相手の動きが止まった。
 1ラウンド2分33秒、TKO勝ち。左右の拳を観客に向かって突き上げた。晴れてプロボクサーになれたような気がした。
「やったというよりも勝ててよかった、というのが本音です。応援してくれた人が予想以上に多かったものですから」

 浅黒い表情をほころばせて大千は語った。
 父親は元世界スーパーウエルター級王者の輪島功一。「炎の男」と呼ばれた日本ボクシング史を飾る名ボクサーだ。現在は輪島ジムの会長も務める。

 樺太で生まれ、15歳の時、単身北海道から上京。日雇い労働者から身を起こし、世界の頂点に立ち、2度陥落するも王座に復帰。ラストファイトの時の年齢は34歳2カ月。
 代名詞ともなった「カエル跳び」はあまりにも有名だ。
 
 もう今から37年も前のことだ。28歳の輪島に世界挑戦のチャンスが訪れる。相手はローマ五輪銀メダリストのカルメロ・ボッシ。「万にひとつも輪島に勝つチャンスはない」と言われた。
 ところが5ラウンド、輪島は奇想天外な作戦に打って出る。まるでカエルが木にでも飛びつくようにジャンプし、強引に左フックを叩きつけたのだ。
 これが功を奏した。終わってみれば僅差の判定勝ち。リーチの短さを補うために編み出した苦肉の策が奇跡を演出してみせたのである。

 大千が生を享けたのは父親が引退したその年である。現役時代の試合は高校生の頃、ビデオで観た。
「正直言うと“エーッ”という感じでした。僕が観ていた鬼塚勝也選手や辰吉丈一郎選手のきれいなボクシングとはかけ離れていましたから」

 しつけは厳しかった。食事中、ヒジを立てただけで引っぱたかれた。家庭における父親は「ただただ怖い人」だった。
「中学や高校時代、友だちには不良が多かったのですが、ケンカに誘われても、ブレーキを踏む自分がいました。もしバレると新聞に“輪島の息子が……”と出てしまいますからね。その意味で父の名前は大きかった」
 物心ついた頃からジムには顔を出していた。いわばジムが遊び場だった。
 だが父親には息子をボクサーにする気はなかった。厳しい減量にハードなトレーニング。並大抵の練習では成功しないことを知っていたからである。

 その父親が「やるんだったらやってみろ」と言ったのは大千が高校生の時だった。
「なんとなく“オレ、プロになるのかな”と思っていたんですけどフラフラ遊んでばかりで練習に行ったり行かなかったり……。決心するまでには時間がかかりました」
 高校卒業後は、いわゆるフリーター生活。
「主にパチンコ屋で働いていたんですけど、おカネが入ると飲みに行っては遊んでしまう。そんな中途半端な生活が25になるまで続きました」

 気が付くと父親がデビューした年齢になっていた。
 輪島功一は25歳で当時は東京・塩浜にあった三迫ジムに入門した。
 25歳といえば、普通、20歳前にデビューしたボクサーが引退を考え始める年齢だ。まして輪島にはアマチュア・ボクシングの経験もない。自信があるのは連日の日雇い仕事で鍛えた体力だけだった。父親は己の拳だけで底辺から這い上がり、世界の頂点を極めてみせたのである。
 大千の筋肉質の肉体は父親を彷彿とさせる。パンチの一発一発が重く、力強い。父親譲りの強打者だ。

 父・功一は言う。
「パンチ力があるのはボクシングをやる上で有利な点だね。相手にパンチ力があるとわかると、そう簡単には攻められないよ。
 しかし、もっと大切なのは頭を使うことだよ。練習でいくら強くたって試合に弱ければ意味がない。
 オレは短いリーチを克服するために、いろんなことを考えた。あのカエル跳びだって好き好んでやったわけじゃないんだ。ああいうことでもやらなきゃ勝てなかったんだよ」

 父親がデビューしたのと同じ齢になったのをきっかけにプロになることを決めた。
「やるんだったら本腰を入れてやろう」
 まずはトレーナーの見習いから始めた。雑用でも何でもやります、と父親に告げた。自ら退路を断ったのである。
「トレーナーから始めたのはボクシングから逃げられないようにするためです。自分だけの仕事ではありませんからね。とにかく自分を追い込んでみようと。父親は黙ったままで何も言いませんでした」

 ボクサーになると聞いて、父親の気持ちはどうだったのか。功一は振り返る。
「いや、それは嬉しかったね。まず経験してみることが大切だから。それに将来的にはジムを継いでもらいたいなという気持ちもあったからね。
 オレもボクシングを始めたのが遅かったからわかるけど、ひとつ勝ったら、また次も勝てるかもしれないと思うんだ。できれば新人王、いや日本王者になって欲しいな」

 そのことを告げると、息子はかすかにはにかんだ。
「まずは次の試合をしっかり勝つこと。あまり先を見るとロクなことがありませんから……」
 ――父親に一歩でも近付きたいという意識は?
「もちろん、それはあります」
 見開いた目に31歳の決意がはっきりと見てとれた。
 一度きりの人生、遅すぎることは何もない。

<この原稿は2008年9月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>