19日の試合が終わってからの移動。オランダ戦の会場ダーバンからキャンプ地のジョージまで1200kmを超える距離をレンタカーで移動した。簡単にいえば東京から博多を越す距離だろうか。
 いつも移動は飛行機を使っていたのだが、ライターのT先輩やK君たちが南アフリカの会場をずっとレンタカーで移動していたので、一度参加してみたかったのだ。
「夜になると星がすごいんですよ」
 その言葉にひかれ、相乗りさせてもらった。
(写真:南ア−フランス戦を前に盛り上がる地元サポーター。看板の上には出場国の国旗が掲げられている)

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◇6月20日 南アで見る星空の素晴らしさ

 試合後が終わって、みんなの仕事がひと区切りついたときは夜9時を回っていた。夜のダーバンって怖いのなんのって。あまり人が歩いていなく、暗いところに人影が見える。そこを走るわけだから緊張だ。信号が赤になると周りをきょろきょろと見回してしまった。

 ダーバンを過ぎて高速に乗ると、「いけるところまでいって宿を探そう」ということになった。高速といっても日本のような道路ではなく、対面走行あり、町中ありで、共通点は信号がないことぐらいだろうか。
 何もないところを走ってようやく町が出てくると夜12時を過ぎているのに、バーみたいなところに人が集結していた。おっかなびっくりで町を過ぎていくと、今度は動物注意の標識が待っている。

 K君いわく「夜、動物がいて本当にあぶないんです」
 ライトを照らしてみると突然、馬や牛がいることに気付く。慣れていない僕はさすがに夜の運転は遠慮させてもらったのだ。しかし、トイレタイムで車から降りてみる星空の素晴らしさは、今までになかった経験だった。一面、星だらけ。こんなに星ってあったっけというぐらいの数だった。流れ星も見ることができたし、僕はしばし心を夜空に奪われていた。
 
 結局500kmほど走って(僕以外のドライバーさんに頑張ってもらった)、サヴォイという町に出てホテルを見つけた。深夜3時ぐらいになっていたが、フロントのおねえさんはとてもいい人で、こころよく泊めてくれたのだった。

 4時間ほど仮眠をとってから一路、ジョージへ。僕もここから運転させてもらったが、まっすぐなハイウェーを運転するのは最高だった。もちろん町に出るとビクビクしていたが……。
 到着したのは夜8時。よく考えたら丸一日ほとんど食事をしていない。海鮮レストランでお腹を満たしてからアパートへ。やっとジョージの町に戻ってきた。

 
◇6月21日 ジョージで過ごすゆったりとした一日

 日本代表はオフ。ということで我々も原稿を書いたり、ショッピングに出たりと比較的、自由に時間を使った。

 ジョージには大きなショッピングモールがある。ブランドもあれば、携帯ショップ、ペットショップ、スーパーまであらゆるものが入っている。
 お土産を買うためにいろんな店を見て回っていると、おばさんが声をかけてきた。
「あなた日本人? 日本のサッカーを応援にやってきたの?」
 僕が「日本代表の取材でジョージに滞在しているんです」と答えると、そのおばさんは笑顔でこう言った。
「そうなの。じゃあジョージが素晴らしいところだって、伝えてくださいね。南アフリカはいい国だって」

 このジョージという町は気さくな人が多い。結構、話しかけてくる。もちろんおっかなそうな人のときは急いで逃げるが……。
 モールには大会のお土産もいろいろ売ってある。ブブゼラも各国のものが置いてあって、もちろん日本のもあった。なぜか「オシムジャパン」と書いてあるが、まあよしとしよう。
 夜はカレーをつくって、みんなでビールを飲みながらサッカー観戦。たまにはこういうのんびりとした日があってもいい。
 といいながら、次の締め切り日をチェックしておかないと。


◇6月22日 テレビにかじりつくグループリーグ最終節

 ジョージの町は盛り上がっていた。この日は南アフリカとフランスの一戦が待っていた。ウルグアイとメキシコが引き分けならこの2チームが突破を果たし、どちらかが大量得点で勝ち、南アフリカもフランス相手に大差で勝たないと開催国の突破はない。そんな状況でも町は大フィーバーだった。ブブゼラがいたるところで鳴り響く。

 夕方のキックオフ。我々はアパートに戻って、ライターのM君がつくったハヤシライス(絶品!)を食べながら観戦。前半から飛ばす南アフリカがシュートするだけで隣の部屋から絶叫が聞こえてきた。先制すると、「キャー」という声。2点目とると「ウォー」という声。しかし、後半に1点奪われてしまうともう声が聞こえなくなった。
 開催国がグループリーグで敗退してしまったが、南アフリカ代表の戦いぶりは国民の心に訴えるものがあった。

 夜の試合では韓国がナイジェリアに引き分けて、グループリーグ突破を決めた。テレビにかじりつく一日になってしまった。
 さあ次は日本の番だ。明日、我々も決戦の場ラステンバークに向かうことにする。

(このレポートは不定期で更新します)

二宮寿朗(にのみや・としお)
 1972年愛媛県生まれ。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、サッカーでは日本代表の試合を数多く取材。06年に退社し「スポーツグラフィック・ナンバー」編集部を経て独立。携帯サイト『二宮清純.com』にて「日本代表特捜レポート」を好評連載中。