満員の2万人を飲み込んだアルサッドスタジアムは一瞬にして静まり返った。
 地元カタールを後押ししていたブーイングも、鳴り響いていた音楽も止まった。落胆のため息ばかりがあちらこちらでこぼれた。
 後半44分。2−2で迎え、延長が目前に迫ったとき、長谷部誠からの目の覚めるような速い縦パスを、香川真司は絶妙なトラップで受けて前を向く。慌ててファウル覚悟で飛び込んでくる相手に倒されながら(完全な相手のファウル!)、こぼれ球を伊野波雅彦が押し込んでこれが決勝点となった。吉田麻也が2枚目のイエローで退場し、1人少ない状況のなかで同点、そして勝ち越したのだからアルベルト・ザッケローニ監督が派手なガッツポーズをつくって興奮したのも無理はない。
 苦悩に満ちていた香川が、日本代表を救った。2ゴールに加え、決勝点にも絡む活躍。大会に入って初めて背番号「10」が躍動した試合となった。
「ゴールは一番自分を落ち着かせてくれる。なかなか点を決められていなかったので、ホッとした部分はありました。内容に関してはまったく(ダメ)。ミスも多かったし、動きも重い。4試合目で日程的にきつかったし、厳しかったというのはある。ゴールが唯一の救いだった」
 ミックスゾーンで記者団に囲まれたこの日のヒーローに満足そうな表情はない。

 しかしながら、機動力を武器にゴール前のチャンスに絡む香川本来の持ち味が活きた試合だと言えた。1点目は本田圭佑の裏に出したパスに反応した岡崎慎司がGKをかわすようにボールを浮かし、そこに香川が飛び込んでヘディングで奪ったゴール。2点目も本田圭の縦パスに岡崎が反応し、トラップでこぼれたところを香川が持ち込んで決めた。伊野波の3点目も、ペナルティーエリアに入ってプレースピードを加速してゴールを呼び込んでいる。
「ゴール前でボールを受けられたことが一番、良かったと思う。これまでああいう形がなかなかなかったので、ゴール前で前を向いて、抜けたのがよかった。ここ3試合にはなかったこと」
 香川自身も、復調気配を感じている。今大会から代表引退した中村俊輔に代わって背番号「10」を背負う香川は所属するドルトムントで今季既に8点を挙げているだけに、ゴールを期待されていた。しかしグループリーグの戦いではボールが足につかず、簡単に失う場面も少なくなかった。不慣れな左サイドでのプレーと、背番号「10」の重圧があったのか、活躍できなかった。シリア戦では後半20分で途中交代させられ「自分の責任」と声のトーンを落とした。

 もどかしさを募らせるなか、香川を支えたのがチームメイトだった。左サイドで連係を組む長友佑都は「あいつを(守備で)楽にさせたい。こっちに任せてもらっていい」、本田圭は「真司の得点がないと、優勝するのは難しい」と次々と後輩を叱咤激励する言葉を発した。15日の練習後にはザッケローニ監督からも直接呼び止められて「ポジションはサイドだけど、もっと自由に好きなようにプレーしてくれていいんだ」とも言われた。
 チームの誰もがこの日の香川の活躍を自分のことのように喜んだ。試合後の岡崎は「アイツが悩んでいたのはみんな分かっていた。だからこのゴールはチームにとっても大きい」と言葉に力をこめた。

 香川は言う。
「やっと決めてくれたとみんなに言われましたね。ゴールはみんなの支えがあったから。ただ、内容はもっと上げていかないといけない。ゴールは一番うれしいし、もっと大事な局面で決めたい」
 優勝まであと2つ。レバノン大会では名波浩が、中国大会では中村俊が背番号「10」としてチームをけん引してMVPに輝き、そして優勝を果たした。そう、香川の活躍なくして、優勝はないと言っても過言ではない。香川には、もちろんその覚悟がある。

(このレポートは不定期で更新します)

二宮寿朗(にのみや・としお)
 1972年愛媛県生まれ。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、サッカーでは日本代表の試合を数多く取材。06年に退社し「スポーツグラフィック・ナンバー」編集部を経て独立。携帯サイト『二宮清純.com』にて「日本代表特捜レポート」を好評連載中。