ボクシングのWBC世界フェザー級王者・長谷川穂積にとって、2010年は波乱に満ちた1年だった。4月、フェルナンド・モンティエル(メキシコ)にTKO負けを喫し、10度防衛したバンタム級王座から陥落。10月には母・裕美子さんをがんで亡くした。しかし、その1カ月後、フェザー級王座決定戦でファン・カルロス・ブルゴス(メキシコ)を判定で下し、日本人初の飛び級による2階級制覇を達成した。そして2011年、現役最強王者はどんなボクシングを見せてくれるのか。4月にジョニー・ゴンザレス(メキシコ)との防衛戦を控える長谷川に、あらためて激動の1年を振り返ってもらった。
(写真:「バンタムでできなかったボクシングをやりたい」と意気込む)
二宮: 昨年は防衛失敗にお母さんの死と、長谷川さんにとって本当にいろいろなことがあった1年でしたね。
長谷川: そうですね。最終的には世界チャンピオンのまま年を越せたので、いい形で1年は締めくくれましたが。

二宮: 昨年4月にモンティエルに敗れて感じたことは?
長谷川: 世界チャンピオンの偉大さですね。負けて初めて「世界チャンピオンって本当にすごいんだな」と思いました。自分がチャンピオンの時は、それが当たり前過ぎて感じなかったのですが、やはりボクサーである以上、チャンピオンでいることが大事なんだと。

二宮: ほかのスポーツも勝ち負けにより明暗は分かれます。しかし、ボクシングの世界は本当にシビアです。特に世界チャンピオンともなると、1度の負けが即引退につながる。殴られることによるダメージもある。負けが許されない世界と言ってもいい。
長谷川: でも、あの試合で負けて自分はボクシングが本当に好きなんだと再認識しました。と同時にやはり「勝者が絶対だ」とも感じました。勝ったからこそ、みんなが自分の言葉に耳を傾けてくれるし、注目もしてくれる。負けた時に「あのときはこうだった」と言っても、それはすべて言い訳としか受け止められないんです。だから、正直、負けた後はインタビューには応じたくない心境でした。それでも「どうしても話を聞きたい」という取材は受けましたが……。

二宮: ただ、後になって事実を明かしてもらえれば、それは言い訳ではなく、私たちも「なるほど」と納得できる。たとえば、4月のモンティエル戦前に親知らずを抜いた話がそうです。歯を抜いた部分が穴になって弱くなっていたところへ不運にもパンチをもらってあごの骨が折れてしまった。勝負には必ず伏線があるものだと改めて感じました。
長谷川: でも、親知らずを抜いたことが原因で負けたわけではないですからね。モンティエルが放った最後の左フックがラッキーパンチだったとしても、彼が「あれは狙ったパンチだった」と言えば、それが真実になる。負けた側が「ラッキーパンチでやられた」と言っても、それはただの言い訳にしかならない。勝負の世界では勝者の言葉しか存在しません。勝者の言葉は絶対で、敗者の言葉は言い訳になる。これを負けて初めて実感できました。

二宮: 勝者の言葉は絶対。名言ですね。
長谷川: 今振り返ればモンティエルに負けたことは大きな意味があったのかなと思っています。負けたからこそ時間ができて、オカンが死ぬまでの間ずっと一緒にいられました。それにフェザー級に挑戦するチャンスも与えてくれた。あごの骨も、あそこでレフェリーが試合を止めてくれたおかげで、きれいに折れただけで長期離脱しなくてすみました。ある意味、“神様からのプレゼント”やったんかなと。

二宮: 確かにあのまま勝っていれば、日本人最多となる13回連続の防衛記録更新もかかっていましたから、まだバンタムで続けていたでしょうね。長谷川さんにとっては苦しい減量からも解放され、新たなレベルアップの機会が生まれた敗戦なのかもしれません。
長谷川: そうですね。フェザーで13回の防衛記録を破るのはキツイので、いずれは飛び級での3階級制覇も狙ったらおもしろいかなと思っています。そのためにも次の試合で、また一段と強くなったと、みなさんに思ってもらえるようなボクシングをお見せしたいと思っています。

<現在発売中の『第三文明』2011年4月号では、さらに詳しいインタビューが掲載されています。こちらもぜひご覧ください>