かつては対立関係にあったゼップ・ブラッター国際サッカー連盟(FIFA)会長と、副会長で欧州サッカー連盟(UEFA)会長でもあるミシェル・プラティニ氏がともに倫理委員会から90日間の活動停止処分を受けた。

 

 FIFAに24年間君臨したジョアン・アベランジェ元会長の腹心として頭角を表してきたその経歴からもわかるように、どこか“油断できない人物”というイメージのぬぐえないブラッター氏と違って、プレーヤーとして数々の栄光に彩られてきたプラティニ氏に対しては多くの関係者が「ブルータス、お前もか」と叫びたい気持ちにかられたに違いない。

 

 2011年2月、FIFA会長選の4カ月前にブラッター氏からプラティニ氏に渡ったと見られる200万スイスフラン(約2億5000万円)もの大金。プラティニ氏が会長選への出馬を見送った背景には何があったのか。プラティニ氏には説得力のある回答が求められている。

 

 見落としてならないのは、この2人よりも重い処分を受けたのがFIFA元副会長で大韓サッカー協会名誉会長の鄭夢準氏であったことだ。18年、22年のW杯招致活動を巡る規律違反で倫理委から6年の資格停止と10万スイスフラン(約1200万円)の罰金を命じられた。これにより16年2月に予定されている次期会長選への出馬は消えた。

 

 こうした疑惑とともに鄭氏には答えなければならないことがある。日本より4年も遅れて立候補しながら、2002年を共同開催にこぎ付けたその剛腕を支えていたのは、現代財閥の存在だけではあるまい。

 

 鄭氏の政治的野心――それは投票で勝利し、イニシアティブを確保した上で日本を従属的なパートナーに指名する。具体的に言えば、開催地のいくつかを日本から選ぶことと引き換えに、財政的支援を約束させ、場合によっては北朝鮮まで引きずり込む。それが彼の「ファースト・イン・アジア」計画の尊大にして危険な骨子ではなかったか。現代財閥の創始者・鄭周永氏が北朝鮮事業に熱心だったことは広く知られている。

 

 96年5月30日、なぜ投票の前々日になってFIFAはルールをねじ曲げてまで共催というカードを切ったのか。キイパーソンの鄭氏は、この件についてまだ何も語っていない。

 

<この原稿は15年10月14日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


◎バックナンバーはこちらから