もはや遠い記憶のような気さえするが、まぎれもなく今秋10月のことである。

 

 17日の巨人-東京ヤクルト戦。クライマックスシリーズ(CS)も最終盤、ヤクルトが勝つか引き分ければ日本シリーズ進出が決まるという一戦だった。実際、ヤクルトは3-2で逃げ切り、日本シリーズ進出。そして試合後に判明するのだが、巨人・原辰徳監督が采配をふるう最後の試合となった。

 

 きわめて印象的なシーンがある。

 2-3と巨人が1点を追う7回表の攻撃でのことだ。継投に入っていたヤクルト・真中満監督は、中継ぎ左腕・久古健太郎が左打者の1番立岡宗一郎を打ちとって1死となったところで、2番井端弘和に対して右腕・秋吉亮を起用。井端は、「これが井端だ」と言わんばかりのライト前ヒットで出塁した。1死一塁。打席には3番坂本勇人。秋吉vs.坂本の対決は、以下のように進んだ。

 

(1)ボール、(2)空振り、(3)見逃しストライクで、カウント1-2。

 

 4球目。はずれて、カウント2-2。

 

 5球目。ファウル。いぜんカウント2-2。

 

 坂本がつなげば、次はこのシリーズ絶好調の4番阿部慎之助である。同点どころか、一挙に逆転の可能性まである。

 

 6球目。ボール。カウント3-2。

 

 次の瞬間である。まるで条件反射のように間髪を入れず、原監督が立ち上がった。何をするのかと思ったら、一塁走者の井端に代えて、代走・寺内崇幸を送ったのだ!

 

 この局面、カウント2-2と3-2では、全然違うことは理解できる。3-2のフルカウントになれば、通常、一塁走者はスタートを切る。ならば、井端よりは、寺内の走力をとる、ということなのだろう(ちなみに、後日、井端が引退を表明したため、これが彼の現役最後のプレーとなった)。

 

 うーん。漫然と観戦している身としては思いもよらなかったけど、やられてみれば鋭いとしか言いようがない。だけど、シーズン中でもこの交代はするのだろうか。それとも、後がない短期決戦ならではの采配だったのだろうか。たしかなのは、原監督には、この場面のシミュレーションが完全にできていた、ということだ。

 

 ただ、やはり、相手のど肝を抜く果断さだったというべきだろう。バッテリーも、多少なりともその迫力にたじろいだにちがいない。続く7球目、寺内はきっちりスタートを切り、インハイを狙った秋吉のボールは大きくはずれて四球。1死一、二塁で阿部、という絶好の場面を迎えることになる。

 

 結果は、真中監督が秋吉からローガン・オンドルセクにスイッチ。阿部は紙一重ともいえるが、ピッチャーゴロ併殺に倒れてチェンジ。事実上、ここでヤクルトの勝利が決まった。

 

 しかし、あの代走策には、采配によって相手を攻めつぶそうとする監督の意志が感じられた。「監督とは何か」と問いだせば、それこそ無限の答えがありうるだろうけれども、この時の原采配が、あるべき監督像の一つの典型を示していたことは、まちがいない。

 

 成功の原動力は「他者性」

 

 いまや、監督といえば誰もが、この秋、日本中を沸かせた名将を思い浮かべる。ラグビー日本代表のエディー・ジョーンズ前監督(正式な肩書きは「ヘッドコーチ」)である。「ジャパン・ウェイ」というチームの理念を高く掲げ、練習、試合、規律、あらゆる行動をそこから逆算して、実行し、成功をおさめた。監督とは、まずは、理念を実現する者の謂である(理念のない監督は、監督ではない)。

 

 彼は、なぜ成功したのか。多くの要因のうちの一つに、外国人でありながら、日本の文化、あるいは日本人の気質をよく知っている、という彼ならではの特性があったと思う。そこに、じつは、名将の条件も暗示されているのではあるまいか。

 

 つまり、監督は、選手と文化を共有できなければならないが、選手とまったくの同僚・仲間になってしまっては務まらない。

 

 日本ではよく、いい監督のことを、父親であったり兄になぞらえたりするではないですか。「オヤジ」とか「アニキ」とか。もちろん、そういうある種の家族性も重要だろうけれど、その残余というか、他者性(エディーでいえば、外国人であること)も必要だろう、ということだ。

 

 そのエディー・ジョーンズが、離任にあたって、会見でこう述べた。

<しっかりとしたプランがなければ、強い代表はできないし、やり遂げる力も必要だ。でも、日本ではこれらを遂行するのは難しいだろう。変化を嫌う人もいるからだ>(『日刊スポーツ』10月14日付)

 

 ちなみに、これはイングランド大会から凱旋帰国した13日の会見である。4年後のワールドカップ日本開催にもはずみがついて万々歳と、日本中が祝福ムード満開のときに、こういう言葉を放つことができる「他者性」。これこそが、彼を成功させた原動力だろう(会見のこの部分だけをことさら大きくとりあげたメディアも少なかった。「変化を嫌う人」の国だから、と言いたくもなる)。

 

 摂津vs.山田 シリーズの分水嶺

 

 さて、そんな監督論をたずさえつつ、CSから日本シリーズに進もう。

 

 ご承知の通り、福岡ソフトバンクは、4勝1敗とヤクルトを圧倒し、日本一に輝いた。ソフトバンクが強かったのは事実だ。その一方で、セ・リーグの弱さには、大いに問題があるだろう。

 

 ただ、短期決戦は必ず実力通りの結果となるとは限らない。

 

 一例を出せば、今年の交流戦、広島カープはセ・リーグで唯一、ソフトバンクに勝ち越している。

 

 日本シリーズのポイントは第4戦だった。ソフトバンクが2連勝して地力の差を見せつけ、第3戦は、ヤクルト・山田哲人の史上初となる一試合3打席連続ホームランが出て、ヤクルトの勝ち。ソフトバンクの2勝1敗で迎えた第4戦。もしヤクルトが勝てば2勝2敗のタイとなる。地力とは別の、短期決戦ならではの勝負の流れがくるかもしれない。

 

 第4戦は、ソフトバンク先発・摂津正対山田の対戦がすべてを決めた、と言っていい。

 

 1回裏の第1打席。

 

 摂津は、山田に対して初球、いきなりカーブを外角低目に決めてストライクをとる。そのあと、シンカー、ストレート、カーブと3球ボールが続いて、カウント3-1。さすがに前日3連発をかっとばした打者である。バッテリーが最大限に警戒しているのがよくわかる。

 

 で、5球目。

 

 真ん中高目から大きく割れて落ちるカーブ。ストライク! 3ボールからあれだけ大きな変化をする球種で、しかも文句なしのストライクをとる。この日の摂津の覚悟があらわれている。山田は、このとき、なんともいえない表情をする。

 

 第1打席は結局、四球で出塁するのだが、おそらくはこの5球目が、この日の勝負のカギとなった。

 

 ソフトバンクはヤクルト先発・館山昌平を攻めて3回裏までに5-0とリードする。

 

 山田の第2打席は3回裏。2番川端慎吾のサードゴロを三塁手・松田宣浩が絵に描いたようなトンネルエラーをして、1死一、二塁の大チャンスがやってきた。しかも、打席には山田である。相手は後味の悪いエラーをしている。ここで打てば、まだ3回。4点差以内ならなんとかなる、という、シリーズ全体の分水嶺だった。

 

(1)インコースへシンカー レフト線へかなり鋭いファウル。まだ、3連発の余韻が残っているようなスイング。

 

(2)低目へのストレート インコースを狙ったのがやや甘くなったのか? しかし山田は見逃し。ストライク。

 なぜ? なぜ振らなかったのだろう?

 

(3)外角高目へのストレート ウエスト気味。ファウル。いぜんカウント0-2。

 

(4)外角へストレート 今度ははっきりはずす。カウント1-2。

 

(5)捕手・細川亨、インローに構える。摂津の投じたストレートは、やや沈み気味にも見えたが、細川、捕球してミットをクイッとわずかに上げる。見逃し、ストライク! バッターアウト!

 

 3、4球目で外角高目へはずし気味のストレートを見せておいて、最後はインローに決める。おそらくそういう意図の配球だろう。

 

 でも、と疑問が残る。その前の、2球目をなぜ振らなかったんだろう? 甘いボールに見えたが、おそらく(想像ですよ、もちろん)1回の5球目のカーブの残像が、どこかにあったのではあるまいか。それが、とりあえず、ストレート系を見送るという反応を誘発したのではないか。

 

 第1打席ではカーブを多く見せておいて、第2打席はストレート中心。そういうバッテリーの戦略だったのだろう。

 

 山田に3連発を打たれたあと、工藤公康監督は、長いミーティングをしたと伝えられている。このあたりは、現役時代、日本一を11度も経験している工藤監督の力が生かされたのかもしれない。

 

 宮本慎也に垣間見える名将の資質

 

 ところで、就任1年目でソフトバンクを連覇に導いたのだから、工藤監督も、名将といっていいだろう。その工藤采配に対して、宮本慎也さんは、このような指摘をされた。

 

<(ヤクルトにも逆転の要素があるのは)ソフトバンクが実践する野球は「隙だらけ」だからだ。(略)6回裏の摂津は、(略)危険な続投になった。さらに1死満塁での外野の守備位置も疑問だった。(略)攻撃面でも7回表無死一塁からオートマチックで三振ゲッツー。(略)臨機応変に対応していく姿勢がなかった>(『日刊スポーツ』10月29日付)

<これだけ能力のある選手がいるならば、あまり窮屈な野球を実践する必要はないのかもしれない>(『日刊スポーツ』10月30日付。いずれも「宮本慎也の野究道」)

 

 前者は、ソフトバンクが王手をかけた第4戦。後者は、日本一を決めた第5戦の評論である。

 

 宮本さんの指摘は、いつもながら、きわめて鋭い。工藤監督がこの一年、腐心したのは、この充実した戦力の実力を、どう十分に、年間通して試合で発揮させるか、ということであっただろう。実力さえ出せば、優勝できる能力があることはわかっているのだから。それを宮本さんは、第4戦後には「隙だらけ」と評し、第5戦後には自らの指摘を「窮屈な野球」と表現した。

 

 昨年、日本一になった戦力を引き継いで連覇を狙うには、工藤監督のやり方は正解だった、と言うべきだろう。それは了解したうえで、もう一度、かのエディー・ジョーンズヘッドコーチを思い起こしてほしい。

 彼のやりかたは、おそらくは、工藤監督よりも、宮本さんの指摘のほうに親和性がある。

 

 さきほどの言葉をつかえば、工藤監督は、「他者性」よりも「家族性」の強い名将ではないか。そして、もし、宮本さんが将来、監督になることがあるとすれば、「他者性」も前面に出して戦うのではないか。

 ここで、両者の優劣を語ろうとは思わない。一口に優れた監督といっても、実際には様々なやり方があるに決まっている。ただ、今後、たとえば、日本代表がWBCを戦うときなどは、「エディー・ジョーンズ的な」監督が必要になるのではあるまいか。

 

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。


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