nakamura2「4位で“健闘”と言われるのは嫌です……」

 温厚な青年が覗かせた勝ち気な一面。早稲田大学競走部の中村信一郎(4年)は、伝統校の襷を掛けるプライドをにじませた。早大はオリンピック選手を多数輩出している名門である。「東京箱根間往復大学駅伝競走」には1920年の第1回大会から計80回に出場。総合優勝は歴代2位の13度を誇る。早大に籍を置く中村はこれまで全国にその名を轟かせるような活躍をしてきたわけではない。だがエンジのユニホームに袖を通す以上、目指すのは頂点のみなのだ。

 

「4位で健闘」と言われたのは11月の「第47回全日本大学駅伝対校選手権大会」のことである。優勝候補と目されていたのは3校。「出雲全日本大学選抜駅伝」を制した青山学院大、大会5連覇のかかる駒澤大、近年安定して上位をキープしている東洋大だった。一方、早大は予選会からの出場。3強に割って入ると見る向きは、決して多くはなかった。

 

 今シーズンから指揮を執る相楽豊監督は、中村にチームを勢いづけるスターターとしての役割を任せた。

「スピードランナー­で­スタミナもついたので、­どんな­レースでも対応できる。元々、­1区­向きだなと思っていたのもあり、今回は­流れを作ってくれるだろうと自信を持って送り出しました」

 

 愛知県名古屋市の熱田神宮西門前から出発する1区には青学大の一色恭志(3年)、駒大の中谷圭佑(3年)、東洋大の服部勇馬(4年)、中央学院大の潰滝大記(4年)、第一工業大のジョン・カリウキ(4年)、全日本選抜として京都大の平井健太郎(4年)と各校のエース級が勢揃いしていた。

 

 気温は10度を切る肌寒いコンディションの中、号砲は打ち鳴らされた。全27チームの第1走者が一斉に飛び出す。実力者が集い、ハイペースの展開が予想されたが、フタを開けてみると1キロは3分5秒。互いが牽制し合うようなスロースタートとなった。

 

 給水リレーから見えた落ち着き

 

 14.6キロを駆け抜ける1区。3キロ、5キロと通過しても先頭集団は10人以上で形成されたままだった。すると7.5キロ付近で、集団に動きが生まれる。その主役は中村だった。

 

 中村が持っていた給水ボトルを一色に手渡したのである。少し驚いたような表情を見せた一色は、受け取ったボトルで喉を潤してから、服部へ。そして服部も給水を摂ってからカリウキに渡す。先頭グループ数人の給水リレーが繋がった。それは異質な光景に映った。

「僕の目の前を走っていた一色が、2回の給水チャンスで2回とも失敗していたんです。後ろで見ていたので、見て見ぬふりができなかった。特に深い意味は考えずに渡しただけです」

 

 選手、指導者として陸上界に関わってきた相楽監督は「僕もあまり見たことない」と証言しつつも「特に­違和感はなかった。彼は­優しいですから」と語った。中村自身も特別なことをしたという認識はない。体に染みついている行動のひとつに過ぎなかった。

 

nakamura3 中村の母・博美は、このシーンを別の角度から見ていた。

「こんなに余裕があるなんて、“すごく落ち着いているなぁ”と思いました」

 

 事実、中村は冷静だった。12キロ過ぎ、集団から飛び出そうと前に出る。

「1回、自分が仕掛けて、他の選手がついてこられるのかを確かめたかったんです。あとは青山学院、東洋、駒澤の選手はどれほど余裕があるのかなと」

 探りを入れた中村のスパートに集団は振るい落とされていった。ついてきているのはやはり一色、服部、中谷の優勝候補3校のランナーたちだった。

 

 13キロ過ぎでは、中谷が仕掛けた。一色、服部が引き離される中、中村はピタリと背後についた。「全然体が動いていて、焦りはなかった」。すぐに中谷をかわし、再び先頭へと躍り出た。

「最初に頭を過ったのは、中谷がこのまま行ってくれれば、後ろに付けて最後の最後で中谷を抜くことができるんじゃないかと。でも中谷がきつそうだったので、ここで抜いた方が良さそうだなと判断しました」

 

 追いかけた2人の背中

 

 抜け出しはしたものの、アクセルを踏み切れなかった。勝負の潮目はひとつの選択を間違うだけで、ガラリと変わる。「中谷を抜いてから、後ろとの差が少し開いたんですが、あそこで攻め切れれば逃げることはできていたかもしれません。この判断のズレが響いてしまったのかなと思います」。14.3キロあたりで、一色と服部に追いつかれ、三つ巴の戦いになった。

 

 ラスト0.3キロを切り、あとは意地と意地とのぶつかり合いだ。ここで一色と服部が前に出る。中でも大きく腕を振って、前への推進力に使う服部が先頭に立つ。中村も2人の背中を必死に追いかけた。3人のデッドヒートは弥富第一中継点まで続き、中村は服部、一色に続いて3番手で、後輩の平和真(3年)に襷を渡した。「欲を言えば区間賞をとりたかったですが、1区のスターターとしての責任は果たせた」。強敵ひしめく1区で、秒差なしの3位に胸を張った。

 

 結局、レースは1区で流れを掴んだ東洋大が全日本大学駅伝初優勝を果たした。2位には青学大、3位には駒大が入った。早大は3位と3秒差の4位だった。

「中盤から後半に入り、優勝争いができなくなったことは、まだまだだと思います。ただ10月の出雲駅伝から3週間で、トップ3を狙える位置までにはこられた。トップの尻尾はちょっとでも掴めたんじゃないかなと、僕も含めた選手、コーチが感じていると思います」

 

 学生駅伝3冠を目標にしながら、6位に沈んだ開幕の出雲駅伝からチームは上昇気流に乗ったといいだろう。約1カ月後に迫る箱根路にも弾みがついた。これまで練習でいい走りを見せながら、本番で実力を発揮できていなかった中村。覚醒のきっかけとなるのか――。

 

 中村は香川県高松市に生まれ、外で遊ぶことが大好きだった。小学1年で始めた陸上競技。きっかけは「どちらかといえば、憧れよりもライバル」という姉の存在だった。屋島クラブに所属していた5歳上の長女と、2歳上の次女の背中を末っ子はひた向きに追いかけたのだった。

 

(第2回につづく)

 

nakamura1中村信一郎(なかむら・しんいちろう)プロフィール>

1993年4月14日、香川県高松市生まれ。小学1年時から陸上を始め、6年時には全国小学生陸上競技交流大会の走り幅跳びで9位に入った。龍雲中、高松工芸高時代はいずれも中距離で全国大会出場。11年、早稲田大学に入学すると、2年時に出雲駅伝で学生駅伝デビューを果たす。14年の箱根駅伝に10区を任され、15年は1区を走った。今シーズンは全日本インカレの1万メートルで日本人2位の5位入賞。出雲駅伝では区間7位と振るわなかったが、全日本大学駅伝では1区を3位で襷を渡し、チームの4位入賞に貢献した。身長174センチ。体重57キロ。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 


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