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(写真:「これからも世界を目指して精進してほしい」と選手たちにエールを送った佐々木氏)

 日本サッカー協会(JFA)は18日、JFAハウスで女子日本代表(なでしこジャパン)の監督を務めた佐々木則夫氏の退任会見を行った。2008年の就任以来、11年ドイツW杯優勝やロンドン五輪銀メダルなど数々の栄光をなでしこにもたらしてきた。コーチ時代を含め、なでしこに携わってきた日々を「満足し、充実した11年間」と振り返った。佐々木氏は今月10日付で退任。今後については未定とした。

 

 稀代の名将が、指揮を降りた。W杯、五輪の世界大会で3大会連続決勝進出。佐々木氏はなでしこを世界の強豪へと押し上げた。昨年10月に続投が決まったが、リオデジャネイロ五輪の切符を逃したことで辞任した。

 

 会見に同席したJFAの大仁邦彌会長は「それまでの戦績、戦いぶりは大変素晴らしいもの。今回は残念でしたが、それまでの成績が貶められるものではないと思っております。特になでしこスタイル、なでしこのサッカーを世界で戦えるようにした。逆に言えば、なでしこのスタイルを世界が真似してきている。女子のサッカーを佐々木監督が変えたと思っています」と功績を称えた。

 

 佐々木氏は冒頭の挨拶で胸を張る。その晴れやかな表情からもやりきったという想いは感じ取れた。

「女子の指導者として携わって11年、監督して9年間。これまで選手たちとサッカー協会とともに世界を目指して仕事ができたということ。世界と戦えて結果もある程度出て、未来に向けられた。最終的には大切なリオ五輪の結果にはいたりませんでしたが、僕自身は満足し、かつ充実した11年間だった。サッカーの指導者として経験できたことは、僕の大きな宝物」

 

 10年前、あるいは8年前に誰がなでしこの現状を予想できただろうか。男女通じて初の世界一。五輪でのメダル獲得。愛称の「なでしこジャパン」は一躍、有名になった。

 

 佐々木氏はなでしこに関わる前はアマチュアクラブの指揮を執っていた。フィジカルは高いレベルではなかったが連係、連動するというサッカーである程度結果を残していた自負があった。当時、女子委員会委員長を務めていた大仁会長からオファーをもらい、女子サッカーに関わることを決めた。「フィジカルはあまりない。でも連係、連動する質があるんじゃないか」。可能性を見出していたという。

 

 その読み通り、なでしこの花は艶やかに咲いた。敵チームの選手に「1人が動くとチーム全体が動く」と言われたことあった。人もボールも動くサッカーは、女子サッカーの勢力図を、流れを大きく動かした。

 

「特別に僕自身は鎧を着て、何か肩肘を張って指導をしたつもりはなかった」と佐々木氏は言うが、新たな指導者像を築いたと言ってもいい。“オレについて来い”のリーダーシップではなく選手を立てた。リオ五輪アジア予選でも選手たちを責めるようなコメントは一切しなかった。この日の会見でも「頼りなさそうな私でしたが、よくこれまでついてきてくれたなと。選手たちの包容力、頼もしさを感じた。厳しくもあり、楽しくもありやってきました。本当にありがとう」と感謝の言葉を口にした。

 

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(写真:「自分のパーソナリティー」と語る笑顔で会見を終えた)

 今後については「まっしろな状況」と白紙であることを強調した。なでしこの指揮官として戦った125試合で80もの白星を挙げた。7割を超える勝率は驚異的である。この名将の経験や知見は日本サッカー界の財産だ。佐々木氏も「どんなかたちでも女子サッカー、サッカー世界には寄与したいと思っています」と協力を惜しまない姿勢を見せている。

 

 なでしこが描いたシンデレラストーリーはひとつの終わりを迎えた。日付が変わり、ブームという魔法は解けてしまうかもしれない。だが、女子サッカーが文化になるためにも、強い根を張り、芽を出し、花を咲かせなければならないだろう。普及、育成、強化――。ここから新たな物語を紡ぎたい。

 

(文・写真/杉浦泰介)