93年の発足当時、Jリーグは世界屈指の金満リーグだった。そのことは、欧州や南米で取材をしていると如実に実感することができた。というのも、こちらが日本人の記者だとわかると、必ずと言っていいほど、かけられる言葉があったからである。

 

「俺のことをJリーグに売り込んでくれないか?」

 

 選手から直接言われたこともあれば、代理人を名乗る人物から言われたこともある。当時世界最高峰と言われたセリエAでプレーするブラジル代表選手ですら、例外ではなかった。

 

 状況が変わったのは、EU国籍を持つ選手であれば、EU圏内のどの国であってもプレーする権利を認めた、いわゆるボスマン判決以降だった。

 

 それまでであれば、たとえばスペインの選手がドイツでプレーする際は、外国人としてプレーしなければならなかった。雇う側からすれば、ならば物価の安い地域からの選手を獲得した方がいい、ということになる。必然的に、3人であることが多かった外国人枠は、各国ともに南米、もしくはアフリカかの選手で占められる例がほとんどだった。

 

 だが、ボスマン判決の導入によって、状況は一変した。EU国籍を持つ選手が外国人枠から外れたばかりか、南米やアフリカ出身の選手も、EUにルーツがあれば同じ立場に身をおけるようになった。3人しかなかった外国人枠は、ほぼ無限大と言っていいほどまでに広がったのである。

 

 市場が拡大したことで何が起こったか。選手の獲得競争である。当然、選手の価値は急騰した。日本行きを希望していた選手たちは、自国に残ってもフェラーリが買えるようになったことに気づき、極東への興味を失った。

 

 変わったことは他にもある。四半世紀前まではまだ拮抗していた欧州CLと南米リベルタドーレス杯のレベル差は、ボスマン判決以降、一気に広がった。南米は以前にもまして才能の草刈り場となり、たとえばメッシのようにローティーンのうちに欧州に引き抜かれる選手も珍しくなくなった。すべてのきっかけはボスマン判決にあり、そして、ボスマン判決の根底には、EUという壮大な構想があった。

 

 果たして、英国人はいかなる判断を下すのか。

 

 元イングランド代表選手の中には、「EUに加入していることで若手選手の育成が阻害されている」として離脱を支持する者もいるようだが、そもそもEUへの加盟がなければ、プレミアリーグが現在のような隆盛に至ることはなかったとわたしは思う。

 

 EUが立ち上がった時、現在の欧州サッカーを想像した人は、おそらく、誰もいなかった。いま、変わりゆくEUがどんな影響をサッカーに及ぼすのかを想像する人も、決して多くはない。だが、いずれ変化は起こり、日本にも、そんな余波は間違いなく及んでくる。

 

<この原稿は16年6月23日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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