トルコが世界有数の親日国であることは広く知られている。それは以下のような理由に依る。“建国の父”と言われる初代大統領ケマル・アタチュルクが明治維新を手本にして近代化をなしとげたこと、日露戦争で日本がロシアに勝利したことで、帝政ロシアからの脅威にさらされ続けていたトルコ人が溜飲を下げたこと、紀伊半島沖でトルコの軍艦エルトゥールル号が遭難した折、村人たちが献身的な救助活動を行い、それに感銘を受けたこと――。

 

 そのトルコが国難に見舞われている。先月末、イスタンブールの国際空港で自爆テロが起き45人が死亡、230人以上が負傷した。これは過激派組織ISによる犯行と見られている。そして、その約2週間後には国軍兵士によるクーデターが発生し、市民ら190人を含む290人が死亡し1440人以上が負傷した。混乱に乗じて、ISがさらに大規模なテロを行うのではないか、との不気味な指摘もある。

 

 もし2020年夏季五輪の開催都市が東京ではなくイスタンブールに決まっていたら、今頃、IOC幹部は頭を抱えていただろう。

 

 IOCが2020年夏季五輪招致の書類による第一次選考を行ったのは2012年5月のことだ。この選考で東京とマドリード、イスタンブールがパスし、ドーハとバクーが落選した。

 

 この結果を受け、当時、JOC副会長を務めていた福田富昭は「最大の強敵はイスタンブール。最後は東京との争いになるだろう」と感想を口にした。福田の見立ては概ね、正しかった。イスタンブールにとって五輪は5回目の挑戦。「欧州とアジアの架け橋」「イスラム圏初」という標語も新鮮に響いた。

 

 しかしフタを開けると、投票結果は東京の圧勝に終わった。イスタンブールのアキレス腱――それは治安問題だった。隣接するシリアの内戦が混迷を深め、テロのリスクは日増しに高まっていた。まだISが登場する以前の話である。

 

 5度目の挑戦が失敗に終わったにもかかわらず、画面から伝わるイスタンブール市民の表情は爽やかだった。東京へのエールを送りつつ、6度目の挑戦を口にする者もいた。ところが3年が経って状況は一変した。あろうことかクーデターでは“欧州とアジアの架け橋”そのものが標的にされ、聖火リレーの予定地は戦車で埋め尽くされた。イスラム圏に五輪がやってくる日は、残念ながら遠いと言わざるを得ない。

 

<この原稿は16年7月20日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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